2007年03月07日   こんな風景の一コマがありました・・・


見ての通りゴジラです。

これは合成でも何でもなく、目の前にいたのでシャッターを押しました。時に「1990年の春」だとネガのメモに書いてあります。場所は東京有楽町 マリオンの前(かつて日劇があった場所)

全高3メートル以上?はあろうかと思われる程の大きなロボット模型でした!恐らくは1984年に新シリーズで復活した映画で 使われたものだと思われます。(或いは1989年のビオランテのものか?)見上げて撮ったものしかありませんので、当時どういう展示状態だったのか今ひとつ不明。全身模型ではなかったのか・・・足元はどうなっていたのか?もしかして人がいっぱいいて撮れなかったのか?イベント全体が分かる様に撮っておくべきでしたね・・・時間は二度と戻りません・・・

以前述べた様に 私はガメラ派なので、ゴジラに対する興味は今ひとつです(笑)関心が低いと こういう中途半端な観察の仕方になるのか。(頭の真上に避雷針?が立っているし)・・・反省・・・

偶然通りかかってたまたま撮ったカットでした・・・


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2009年07月28日   昭和の駄菓子屋さん


ちょっと思い出の深い写真が出て来たのでフィルムをスキャンしました。
それは・・・昭和の記憶。

街中に残っていた駄菓子屋さん。そこのおばあさんに声をかけて撮らせてもらった記念写真です。一昔前の駄菓子屋さんは、何処もこのようなちょっと薄暗い雰囲気の空間でありました。そして店の主は大抵おばあさんでしたね。お店にはお菓子だけでなく、様々なおもちゃがあって、それは子供たちのコミュニケーションのツールでもあった。つまりネットが無い時代には、駄菓子屋さんがコミュニティの中心近くにあった存在なのかも。自分より前の世代の記憶は、おばあさん達から口伝で教えてもらったものもあります。中には戦争の話なんかもありましたね。それは大変貴重な情報でした・・・私がよくお店の人と話し込むのはこういう所から培われた結果なんでしょうか。

この写真を撮った時・・・確か、お店はしばらくしたら無くなるかも知れないと聞いた覚えがあります。私が学生だった頃のことですから、今現在なら このお店のおばあさんも100歳を軽く超えている事になりますね。当時 色々な話を聞かせてもらったはずなのですが、メモの様なものをとっていた訳でもなく、私の記憶もかなり薄まってしまいました。あの後、お店は時間と共にどう変化していったのでしょうか・・・

ちょっとあえて注釈を・・・ブログは最近できた新しいメディア。写真を撮った人には許可を取っているとはいえ、この様に載せることには色々配慮すべき事もあります。肖像権があるのは知っておりますが、全てを杓子定規に捉えると何も表現出来なくなります。なので今回は伝えたいケースとして判断しました。ただ、時間と場所の特定は必要がない限りしません。フィルム時代のアーカイヴには人と対話して撮った写真がたくさんあって、時間の流れと共にその価値が新たになったものもあるかと感じます。そして、そこに写っている少年たちは、かつての自分を置き換えた姿です・・・


Nikon F2 FUJIFILM NEOPAN400 自家処理現像 その他データ不明
SCAN EPSON F3200使用 Photoshopにて温黒調処理


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2010年08月12日   25年前の今日


今日は群馬県の御巣鷹の尾根に、日航ジャンボ機が墜落して大勢の人が亡くなった日。私にとって、終戦記念日以上に印象が強い日になっています。それは、ちょうどその日に私は天文仲間と一緒に登山をしてました。山小屋に泊まった日に耳に飛び込んできたニュースだからです。

25年前の8月12日、私は飛騨の北穂高を登っていました。学生の時には何度も夏山には泊まりがけで行く機会があった。今から考えると自分でも意外なこと。気楽なハイキングとはちょっと趣が違う。山の天候はいきなり荒れて牙をむくし、険しい山道を舐めてかかると滑落したりして命にかかわりますね。でも・・・日常からは切り離された厳しさの中で自分を試す良い機会でもある・・・

話を戻して・・・北穂高の山小屋では、夜にラジオの前にほとんどの宿泊客が集まっていました。群馬県の御巣鷹は北穂高からはかなりの距離がありますが、山の中に飛行機が落ちたという衝撃は、山頂近くにいる自分たちに訴えるインパクトがあった。生存者が、何も無い山中で助けを求めていたとしたならば・・・山に登ると遭難者救助は最優先でという意識が自然に湧いてきます。それは、山で接する多くの人が共有する意識だと思います。あの時の雰囲気は一生忘れられないものでした。そして、就寝前に表に出て、山裾から吹き上がってくる風の中で綺麗な夏の夜空を見ていた瞬間も、しっかり記憶に刻み込まれました。

あの時自分は何処にいて何を考えていたか?その頃の写真を見るたびに自分の記憶に、忘れまいとする意識が働きますね。私にとって、写真は 記憶が風化するのを防ぐ大事な鍵となっているようです・・・

夏は、原爆被爆者への慰霊や終戦(敗戦)記念日など多くのメモリーが巡ってきます。不幸にして無くなった多くの方々に静かに黙祷・・・

写真は、北穂高小屋周辺で撮ったもの。下はポートレイト


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2012年04月21日   久しぶりのフィルム撮影


今や写真と言えばデジタルカメラで撮ったものが当たり前になりましたが、それはほんのこの10年ほどの間の事。元々写真と言えばそれはフィルムで撮るものでした。平成24年の現在 もはやフィルムで日常の記録を残す人は少数派でしょうね。先日久しぶりにフィルムで撮影してみた感触は、懐かしいの一言でした。

フィルムでは当たり前の事ながら、取り直しが効かないのでコマ数分の撮影しか出来ません。すると一枚を撮るのがより慎重になります。またフィルムは現像処理をするまではちゃんと写っているかどうかの確認が出来ないのは当然のこと。そのタイムラグが撮影の緊張感を生みますね・・・



現像したフィルムをスキャナーにかけて取り込みしました。この作業も久しぶりのこと。フィルムのグラデーションをデジタルに置き換えるセッティングはちょっとコツが入ります。今日はその作業の再開のきっかけとして・・・

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2012年6月19日   16mm映写機 ELMO-16AA


フィルム映像も一応フィルムメディアなのでこちらの欄に載せることにします・・・しばらく前に半世紀前の16mm映写機機材のオーバーホールを検討した件をコメントしました(→Products欄)その後で古いフィルム機材はもう修理がほぼ不可能であるとの結論を得ました。

ネットのオークション市場で16mm映写機を出品している人はいないかと探してみました。すると全国のフィルム機材を収集してオーバーホールし、定期的に出品している個人業者を見つけました。正にグッドタイミングでかなり程度の良さそうな機種を出している所でした。その時点であと数日のタイムリミット。そもそも国産の16mmフィルム機材は昭和の時代で生産もメンテナンス業務もほとんど終了していますので、稼働可能な個体があるだけでもそれは凄い事だと思われます。

ELMO-16AAは光学式フィルム・磁気式フィルム・サイレントの全てに対応しているとの事。機能としてこれ以上のものはありません。光学式・磁気式とは・・・フィルムのサウンドトラックの種別です。光学式音声はフィルムのパーフォレーションの反対側にオプチカルプリントにてステレオサウンドトラックを付けたもの。磁気式はフィルムに磁気素材を塗布したタイプとなります。

週末に落札して出品者と簡単なやり取りを得て、今日にはもう物が届きました。一時は中古機材屋めぐりをしなければならないかもと思っていたので、こんなに直ぐに事が進むとは本当に意外でしたね。っと同時にネットオークションの有り難さには改めて感心と感謝の意を新たにしました。これは私の所有機材として運用して行こうかと思っています。

梱包を解いた本体は大きな傷も無く綺麗な保存状態です。すでに動作チェック済みのコメントが添えられていましたが、私の方でも実際にフィルムをかけて動かして見ないことには安心出来ません。それは近日中に検証してみることにします。

何やら珍しい臭いがしたのか 小太郎とぼたんが機材にすり寄ってきてマーキングをやらかしそう。傷だらけにされたら堪らないので、スナップ写真を撮ったところで直ぐに機材は待避させました。本日はそんな所です・・・










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