新 着

履 歴

2012.02.06
2011.12.27
2011.10.23
2011.10.06
2011.10.01
2011.09.24
2011.08.12
2011.05.06
2011.07.05
2011.05.27
2011.05.06
2011.04.30
2011.04.19
2011.04.17
2011.03.27
2011.03.26
2011.03.25
2011.03.11
2010.12.29
2010.11.19
2010.11.17
2010.04.11
2010.03.15
2010.01.09
2009.04.17
2009.04.00

2007年06月22日   タイムマシンを覗いてみました


本棚の奧に、昔の写真が無造作に納められている箱があります。
気まぐれにその箱を開けてみました・・・全く整理されていないスクラップ・・・

そこには20数年程前・・・下宿をしていた部屋の古い写真が入っていました。戦後建てられた古い木造のアパートです。もの凄いボロ屋でしたがとても快適でした。場所が渋谷でしたから・・・大学生の私が写っています。これは・・・何かの記念に写した時のものです。

ぼんやり記憶があります・・・確か「10年後に自分は何をしているか?」未来の自分宛にメッセージを書いていた・・・いろいろと深く悩んでいた時でした。

学生の私は 将来の自分の仕事に いろいろなジレンマを抱えていた様に思います。本来 志望としていたのは美術教師の道でした。教職課程を取得するべく 準備をしっかり進めていたのですが・・・単位を取っている最中に得た情報では「卒業してリストに登録しても数年間〜下手をしたら10年位は待たされるかも!?」だったのです・・・冗談ではありませんでした。考えてみれば、小中高には美術と音楽の教師は一人のケースが多い。皆が定年まで勤めるでしょうから、欠員が空くのを待つしか無いという状況でした。リストに登録している待機者は大勢いたみたいです。

一応資格は取っておくにしても、大学を卒業した後に出来るだろうブランク期間。手堅い就職をしておかなければなりません・・・3年次以降に グラフィックと映像を天秤にかけ、最終的に映像表現に将来の可能性を感じて選択をしました。広告の仕事は 更にその先で選んだ二次選択でした。
結局 広告代理店でサラリーマンをしばらくやって、その後はフリーランスで自営業、最初考えていた美術教師にはならなかった。ただ現在専門学校の講師はしていますので、これは遠からず近からずなのでしょうか?

ちなみに当時の活動は・・・美術大学のグラフィック科だったので 課題は山ほど出るわ、自分の作品は作らなければならないわで一年中忙しかった・・・お洒落な事を考えている余裕もお金も無く かなり焦りもありました。その時にどんな事をイメージしていたのか・・・

「10年後」はあっという間に来ましたね・・・あんまり早く感じたので、その時に記したメッセージは見ませんでした。20年以上たった今でも見ていません(もう何処にあるのか分かりません)・・・それでも問題は無いと思われます。かつて考えていた事は、今もあまり変わっていないからです・・・つまり本質的にほとんど進歩していないと言うことか? 歳だけは取りましたね(笑)


→Nikon F2 広角レンズに魚眼アタッチメントを付けて撮影したもの
 顔が映っていますが今とは別人ですよ(笑)


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2007年09月17日   ウェブサイト制作 1


私がブログを書き始めたのは2006年の2月の事でした。

まずは継続することを目標とし、第一目標はまぁまぁクリア。現在感じているのは、ミクシが登録制の環境で誰もが閲覧できるものでは無いので、その条件から開放される手だてを考えている事。更に・・・写真にポイントを置いているのに、ここでは幅640ドットの制約があります。せめてもう一回り大きなサイズ(800×600)を載せたい。また ミクシに載せるとコントラストも若干悪くなる!?理由は不明・・・

以前より私はホームページ制作をすると公言していましたが、いつの間にか5年位経過しました!(大汗)何故か?(言い訳その1)

それは・・・私に「プログラムのスキル」がほんの少しでもある作業に対しての激しい拒否反応がある為です。あの呪文が羅列している様な書式を見ているだけで 思考が完全にフリーズ状態になってしまいます。思えば・・・学生時代に「フォートラン」と言う言語を授業で選択した時にトラウマが出来ました。1年間勉強したはずなのに全く理解不能で 大変落ち込んだ。恥ずかしながら 授業で習った内容の0.01%も憶えていません!宇宙人に記憶を抜かれたかの如く真っ白です。授業は一生懸命受けたつもりなので、これはやって出来なかったという結果になります。

ホームページ制作ではHTMLという文法を憶えなければならない。周囲の声を聞くと、HTMLはプログラムとは次元が違うという話です。それでも私にとっては、両者はほとんど同じに見える・・・この半年ほど関連書籍を買って読んでいたのですが、やはり感覚的に頭に入って来ませんねー(汗)この本には睡眠呪文が書いてありますよ・・・で、計画が停滞しておりました。

そんな事ではウェブ関係の仕事はどうしているのか?と言うと・・・(言い訳その2)仕事では分業なので、餅は餅屋に任せます。私は企画→撮影(取材)→加工調整(→レイアウト)までで、後は他の専門家にお任せ出来るのです・・・プの字が出たら私はばんざいします(薄笑)

先日「BiND for WEBLiFE」というアプリを買いました。ウェブサイト制作が容易に出来るというのが売りの様です。一月位前に雑誌の紹介で知りましたが、他の制作ソフトとは違うものを感じています。それは何かというと、理論ではなくビジュアル優先でデザインを組んで行ける発想がある。簡易機能仕様なので出来ない事が多いですが、まず作業が進まなければどうしようも無いのです。私はこれを選びました。

結果・・・買ってなんと1日たらずでサイトの大枠が出来つつあります。
自分でやっていて驚きました。確かにこれなら誰にでも出来そう。
「使う側にたって作られた道具」の存在はもの凄く大きいと実感します。


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2007年09月17日   ウェブサイト制作 2


私の「自分のウェブサイト」デザイン構想には希望的なイメージがあります。それは・・・「シンプルであること」

これに尽きます。シンプルとはストレートに単純という事だけではありません。見やすく分かりやすい。そしてデザイン的に質素な美しさがある・・・と言うことです。隅々まで目を通さないと内容が分からない様な造りにはしたくありません。何しろ私個人のサイトですし。今やウェブサイトに求められる機能やデザインには多岐に渡る条件が存在します。ブログが流行してからウェブ2.0と言う概念も露わになり、必要な条件をあまり省いて行くと物足りない出来になってしまうかも?と思うことは有ります・・・

ホームページデザインにおいて、テーブルの概念が一般になり多くの情報を盛り込める様になりました。そのこと自体はとても重要で、仕事でサイトを構築していく条件として欠かせないかも知れません。ですがその反面、どんどん仕組みが複雑化し、機能優先的な存在になって行きます。ややもすると見るのに疲れます・・・
人の気持ちには気分という不確定な要因がありますから、見たくないという意識が生まれると内容が良くても躊躇してしまう事がありそうです。まずは見ていて気持ちが和らぐ雰囲気を少しでも作りたい。

シンプルだから技術的に作るのは簡単か?と言うとそうはなりませんね。特にデザイン面のシンプルさはセンスが必要になるのです。ここがくせ者。私のセンスも果たしてどの程度か 客観的に見られます・・・HTMLの構成では、システム的にちゃんと動く事がまず求められますから、技術的な正しさが優先です。そこにデザインの良さを盛り込もうとすると、見た目のデザインと機能のデザインのバランスが必要になります。

私の様なシステムに疎い者には、頭に描いたデザインをどうすればまともな仕組みに落とす事が出来るか見えて来ない。具体的に言うと、HTMLの一覧を見てもそれが具現化した形にイメージ出来ません。先に目に見えるデザインがあって、それを構築するとHTMLでどうなるかという手順です。この順番は崩せない。ドリームウィーバーというアプリケーションを使っても結果は同じです。操作においてフレンドリーな仕様だとは思えない。だからたどり着けなかった。
(昔 熟練のプログラマー氏に聞いたら彼は真逆の発想でした)

言いたい放題ですが・・・ウェブデザイナーだったらこんな事を言っていられないのは分かっています・・・BiND for WEBLiFEはテンプレートベースで作業をしますので、ある意味
パターンを超えるものは作りづらいです。それを何処まで崩して自分のイメージに近づけられるかが肝になります。それでも5年間も停滞していたものが、購入からたった1日で作れるのは繰り返し驚きました・・・

私が調整したレイアウトは・・・「詰め込み過ぎない」というシンプルさにしました。操作は最低限度に減らす。イメージの出来は好みで評価が分かれることでしょう。どうなりますことやら・・・とりあえず第一段階に達したと思います・・・トップページの「ブルーグラスの写真」はこの日の為に撮っておいたものです。


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2008年04月29日   ホームページのリニューアル


昨年9月に一週間程度で形にして「簡単にできまっせ!」みたいな気楽なノリでいたのですが、その後全く手をいれずに放置状態・・・年賀状にもアドレスを書いて宣伝してしまいましたので このままでは失礼かと(汗)

まずしようと思っているのは、約2年の間にミクシで書いたブログコメントを系列毎にコーナー化し、記事を連続して読める様にすること。時々(→何時のコメント)なんて導線を引いていますが、これまた面倒くさいですし。ホームページ全体の構成も一旦仕切り直しが必要です・・・

この数日ほど、一部の内容についてコーナーを作りました。デザインにはまだ問題を抱えておりますけれど、まずは花子さんと小太郎のヒストリー。最初からずっと見てくださっている人には目新しいものはありませんが、後から見ても分かる様にしておきたくて・・・近いうちに現在のブログに追い付く様にします。

ミクシィで一番不満に思っている所は、写真のサイズが幅640pixel以下に限定されている事と、アップされた写真の鮮鋭感がかなり低下する事。コントラストが変化している感じがします。フィルム素材のキズや汚れが目立たなくなるの皮肉なメリットかも?他の所に写真を載せると自分でその違いが分かります。サイズに関しては、全ての写真サイズを大きくするとサーバー使用量を食いつぶしてしまいすから、せめてこれはというモノだけでも大きくしたい・・・

それでも現在の私のホームページはやはり暫定版であります。なぜならば、トラックバックやコメント書き込みの機能を付加出来ない場所なので・・・あくまで形にする第一段階ということです。今年後半にサービスを開始する予定の とあるプロバイダーに目を付けております。そこがサービスを解禁したら、私のホームページはそちらのサーバーに丸ごと移すつもりでいます。
(2008.7/25 現在でレンタルサーバーをニフティ系のコクーカンに移しました)

更にその先、ホームページで何をしていくのか?それを目論んでいる最中であります・・・


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2009年02月4日   修行時代の思い出 其の一


押し入れの中を整理していましたら、とても懐かしいモノが出て来ました(写真 左)
これは「テロップカードフォルダー」です。これを見ると、自分の修行時代の厳しく辛い それでも今となっては楽しくもあった記憶が色々と蘇ります。少しばかり過去を振り返って語りたくなりました(笑)

私はかつて 新卒で広告代理店に入社しましたが、希望して映像制作部署に配属できました。主にやっていたのはプロモーションビデオの制作でした。新米の仕事は制作進行の雑用全般、立場はADという奴です。企画のたたき台作りから、関係部署やタレント会社への事務連絡とスケジュール管理、現場での準備やスタッフのお世話などなど・・・冗談抜きで24時間目が回るほど忙しく、20代の時はプライベートな時間などほとんど無かった様に思います。説明が長くなるので途中省略・・・ビデオ映像の編集段階では、テレビ局の編集スタジオに入ります。そこで、私は映像を繋いでいく為のエディットシートの管理とテロップカードの制作を担当していました。っで、このテロップカード作りがもの凄くプレッシャーのかかる作業であったのです・・・

テロップカードとは・・・
ビデオにテロップ(文字情報)を載せる時には、黒いカードに白抜き文字を「写植」で打って、それをこのカードフォルダーに入れて専用機器に装着し、クロマキー処理(色抜き)して合成します。実はその「写植」というのがくせ者でした。専門の会社に発注して作ってもらいます。問題は・・・編集現場では急遽予定が変わってカードが足りなくなったり、私のミスで誤字脱字が発覚したりしました。そのたびに編集スタジオから電話をかけて追加発注をします。カードは物質なので、私が全速力で走って取りに行きます。まぁ昼間ならそれが出来ます・・・でも、編集作業は深夜に及ぶのも珍しくない。そんなときは、発注出来ないので自分で作らなければなりません。その方法は「切り貼り」という作業。既にある使い終わったカードをカッターで切って、糊付けしてつなぎ合わせるのです。100%アナログ作業。

大学のデザインの授業では、タイポグラフィや基本的なデザインワークを習ってはいましたが、テロップカードはまた勝手が違いました。コンマ数ミリずれただけで、画面上でそれが判ってしまう。スタジオ内ではクライアントも立ち会っており、いい加減な作業は一切許されませんし、映像は証拠としてずっと残ってしまいます。ディレクターに怒鳴られながら必死になってやりました。私の作業待ちで全作業がストップすることも有りました。デスクワークなのに全身汗びっしょりになるなんて自分でも予想していませんでした。プレッシャーが極まるとそういう状況になるのですね(汗)・・・そうやって憶えたスキルは一生モノで、感覚に刻み込まれたのは言うまでもありません。その後、テロップ作業がパソコン上で出来る様になってからも、文字間のカーニング処理にもバッチリ生きています。やはりというか・・・理論で憶えたものよりも、体で覚えた技術の方が自信がつきますね(苦笑)

ちなみに・・・切り貼りは一般のデザイン業務でも普通にやる作業です。
カッター・カッターマット・定規・ピンセット・ペーパーセメント・ソルベント(剥離剤)・ラバークリーナーは必携の七つ道具。当時使っていたもので今でも残っているものを並べてみました(写真 右)デザインに携わっている人で、私と同世代の人はこれを見て目頭を熱くするのでは無いでしょうか(泣)


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2009年02月29日   マルウエアに要注意!


まったく偶然な事ながら・・・私が作ったHPにマルウエアが存在する事に気がついてしまいました!!してやられました!プログラムを作った奴は頭が良いと言うか何と言えば良いのか!

事の起こりは、プロバイダーの接続状態がよろしく無く、HPにフラッシュを組み込んだ部分の読み込みがとても遅かった。そこで、ブラウザーの環境設定から、フラッシュ再生機能をオフにする為に「Java Script」をOFFにしたのです。そして自分のHPのトップページにアクセスしたところ、とんでも無いものが見つかりました。

マルウエア

マルウエアとは、悪意のあるワームやスパイウェア等の総称です。なんと、アクセスカウンターの下に、こんな項目が隠されていました(写真 下)

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それぞれの単語がクリックボタンになっています。誘導型の落とし穴ですね。今まで全く気がつきませんでした。これはどうやら「Java Script」をOFFにした時だけに画面に現れる仕組みの様です。古いブラウザーやスペックの低いPCで「Java Script」を使用出来ない人を狙っているのでしょうか?「Java Script」がONになっている人には、その存在自体すら認識できません。特定条件の場合のみ発動する様です。全く迷惑至極!なんということか!

その仕組みは「無料で利用できるブログパーツ」のスクリプトに仕込まれているみたいです。アクセスカウンターというサービスは大勢が利用していると思われる。どういうプログラムなのかは、私には分かりません。このカウンターを利用し始めた最初からマルウエアは存在していたのかどうなのか?とりあえずの処置として、注意を喚起するコメントを追加しておきました・・・

無料で使えるという事は、こういうリスクを伴う事であると再認識しました。 近日中に別のカウンターを探して入れ替える事にします。 それにしても、ネットの世界は闇の部分が多いですね。 何かをしようとするならば、利用者は有る程度理論武装とスキルの習得を高める必要がありそうです。

皆様もHPに無料のブログパーツを使われる場合は「Java Script」のオンオフで、何かが隠れていないかどうか確認の上 ご注意ください。もしかしたら、調べてみたら他にもマルウエアの脅威はまだ存在するかも知れません。私も今回大変勉強になりましたので、より注意を払うことに致します・・・

今までに、この項目に気がつかれていた方がおりましたら、不愉快な情報をお見せしていた事になります。私の知識の無さと不注意が原因でした。誠に申し訳ありません・・・ (>_<)ゞ m(__)m

2/17 10:30 追記情報
ブログパーツのタグの中に紛れていた 「意図しない所へジャンプする」スクリプトの部分を削除しました。これでしばらく様子を見ることにします。よく注意していれば、簡単に見つかる類のものでした。全く油断も隙もありませんね・・・


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2009年03月07日   継続とマンネリ化についての検証


少し難しいテーマにコメントします。メディア論です・・・
主観で論じますので少々断定的に語ります・・・

優れたシステムや面白いサービスであっても、それが延々と続いて行く間に、いつしか活気が無くなり魅力が薄れていく現象が起こりがち。それをマンネリ化といいますね。私がブログを始めた約3年前には、SNS( Social Network Service )が注目されはじめ、もの凄い勢いで普及し始めておりました。だから私もそこに乗った。ネットの世界では、虚構と現実が入り交じった混沌とした状況がありますが、そこに創造力を刺激する何かがある様に感じます。参加している間にもサービス自体がどんどん進化していったので、絶えず飽きない面白さが継続したのではないでしょうか。それから数年経過した今、目新しさは次第に日常の中に馴染み、ブログは当たり前の存在になりました。何時しか・・・目新しさからコンテンツの内容〜質自体に移行しています。その変移はごく当たり前のもの。言い換えればシステムが成熟してきた事の現れと言えます。

日常を継続すること自体に大きな疑問を持たない 例えば私の様な者にとっては、安定したシステムは居心地の良い現実の空間に匹敵する。しかしながら、繰り返しが刺激にならない人もいる訳だし、もっと別のサービスに期待する人・新しいコンテンツを欲する人も当たり前に増えてきます。そのうちに、成熟したシステムはやがて動脈硬化をおこし衰退が始まるのかも知れない・・・最近 mixi内でもその事を論じる人が出始めていますね。うまい言葉を使った人がいました。mixiは「お互いの生存確認の場」であると。それは言い得て絶妙な表現だと私は感じました。少し視点を広げて語ると、恐らく・・・SNSをはじめとしたIT業界全般は、停滞と陰りを迎えつつある様に最近思えるのです。

1990年代前半に起こったバブル崩壊で、経済的に世の中が停滞と衰退の時期に突入した時、Windows95とインターネットという新しいスキル&カルチャーが世間に現れた。それは、意識の隙間を埋めるには余りあるインパクトを持っていた為、新しい産業と文化までも生み出すきっかけになったと思います。それから15年ほどたった今、今度は世界的な不況の波が訪れ、世間から活気を奪う状況が生まれつつあります。場合によっては生活を優先せざるを得ない厳しい状況であり、心の余裕がやせ細る危うさを伴っている。当たり前の日常を継続することすらピンチになりかねませんね・・・

ここ最近強く思うことは・・・まずは意識レベルの変革を伴う新しい刺激が必要なのでは?ということ・・・今の停滞した状況を打破するために、新しい波を起こす必要性でしょう。個人でもの凄く頑張っている人はたくさんいらっしゃる。でもこの際求められるのは、世間全般を巻き込んでシステムに変革を及ぼす程のレベル。メディアそのもので例えるならば、電話・FAX・携帯・・・というふうに現れてきました。そしてインターネットも当たり前の存在となり、もう不可欠のものでしょう。次はコンテンツの質そのものだと言う声は以前からありますが、残念ながらその視点は、画質や音質を向上させる繰り返しが主なものであったかと思います。やはりシステムレベルでの変革が欲しいと感じますね。

今年中に何か大きな波が来ないと、現状のメディアは脆性疲労を起こして壊れ始めるかもしれません。そんな危機感を強く感じております。転じて、私自身は個人で出来るレベルの努力をするまでであります・・・

写真は本文と関係ありません。
気分から来る少し寂しいイメージを貼りました(笑)


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2009年04月17日   デザインのヒントは好きな色から


私のハンドルネームの蒼硝子はブルーグラスグッピーのスペルから貰ったものです。オリジナルはBlueGrassで<青い芝目模様>の意味があります。それをBlueGlass<蒼いガラス>と捩ったもの。蒼は通常青を意味しますが、日本の色彩感覚の範疇で図ると 蒼の中には緑色の要素も含まれます。私が一番好きな色は本来 碧(みどり)色。グッピーも最初グリーングッピーを飼っていました。でも完全なグリーン色のグッピーはいません。グッピーのバックグラウンドカラーは赤・黄・青・黒等になります。その中から選んだのはブルーでした。また・・・碧色は彗星の色にも通じます。だから理屈抜きでそれを美しいと感じ見たいと欲するのかも・・・

そして私の感覚として、輝きのある緑色も碧色に通じるものとして大好きです。何時しか身の回りのモノは緑色のプロダクツを無意識にチョイスして集めたりしています。つまり 蒼から緑色までを自分の<favorite color>嗜好色として認識しております。思えば今まで買ってきたクリアファイルやスケッチブックは皆緑色でした(笑)

先日 近場にあるショッピングモールに行ってきました。家具・インテリア・生活雑貨全般を扱う大型テンポ。ここに行くと私の大好きな緑〜碧色にたくさんお目にかかれます。それらは身近にある日本のものとは何か違う。スウェーデンが発祥の地ですから、そのデザインセンスは北欧のもの。やはり文化が違うと色に対する感覚が根本から違うのでしょう。見ているだけで感覚を刺激するインパクトがありますね。緑色のものを選んでちょっと撮って来ました。それはとても大事な緑のコレクションです。こんな壁を被写体にしてスナップしてくる奴はそう多くは無いでしょう。

貴重な緑色のイメージをたくさん見てきましたのでモチベーションが高まりました。色が持つ力はとても大きい。だから色彩学が重宝されるのは当然であると感じます。そしてそれらは今進めているHPデザインに何らかの影響を与えることになりそうです・・・


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2010年01月09日  記憶の彼方に浮遊していた場所を再び訪れる


最近どうも物忘れが多くなり、昨日食べた夕食の献立さえすぐに思い出せなかったりして焦ります(大丈夫かと自問自答!?)でも・・・私は幼少の時の記憶の多くはいつまでもかなり鮮明に覚えていて、恐らく一生消えないのではないかと思われる。特に小学4年生の頃に脳裏に焼き付いた情景のいくつかは、とてもリアルに思い出すことが出来ます。

当時住んでいた街の公園界隈で ある日昆虫採集をしていた時・・・同世代と思われる男の子と偶然会話を交わしました。そこ子もとても虫好きだったので話がはずみ、公園の近くのその子の家に遊びに行くことに・・・「その場所」に行ってみると、とても大きな庭がある邸宅で、敷地の中には雑木林がうっそうと茂っていたのでした。家の中には今でいうサンルームの様な広い空間があり、珍しい観葉植物がたくさんあって、当時植物園でしか見られなかったウツボカズラの鉢がたくさんぶら下がっていた・・・私が興味を示していると、その子がウツボカズラの鉢をひとつくれると言うではないですか。でも小学生が持って帰るにはかなり大きなサイズでしたので、残念に思いながら辞退してしまった。その後、その庭の雑木林で遊ばせてもらったのです。とても楽しい一時でした。帰り際に耳にしたのは、その子の父親が昆虫学者だということ。自然の多い庭があるのもそのためか?と勝手に納得して帰って来ました。何故か・・・その子とその後連絡を取ることも無く、一日限りの友達でした。

「その場所」は私の記憶の中で印象深いイメージにまで高まり、意識の底に眠っています。今でも時々夢に見たりします。その公園自体には、何年か毎にそこで行われる梅祭りを見に行ったりしています。一方「その場所」がどの辺りであったかだけは完全に忘れてしまい、二度と訪れることも叶いませんでした・・・

先日、たまたま仕事の関係でその街に行き、例の公園の近くを通り過ぎました。そして、全く偶然にも見覚えのある坂が視界に入った時、そこが「あの時の雑木林の庭」のあった場所のイメージと重なりました。恐らく間違いないと思われる。心象風景に焼き付いているとても懐かしい坂でした。なんでこの場所を忘れていたのだろうか?・・・一瞬にして当時の記憶が蘇ったのです。

その雑木林は・・・今は公園になっていました。そしてその敷地に面した邸宅だった場所には、アパートの様な建物が建っていて、境界線には柵が立っていました。長い時間の経過がそこに存在したのです。目を閉じると輝かしい思い出のある空間が、現実の目の前には寒々しい乾いた時間の中にありました。思い出というのは言葉で言い表しようの無い、とても心地の良い美しい存在に変化しています。つまりそれは、自分にだけ認識できる大事な心象風景なのです。それが何処であろうと、実際には大したことの無いものであろうと・・・

シャッターを押して撮ってきたこの一枚の写真。他愛の無いスナップです。他の人がこれを見て意識できるイメージと、私がこの空間を見て意識できるイメージには、全く違う何かが存在することでしょう。この風景は、私にとっては「記憶の鍵」が埋め込まれた貴重な存在となるのです・・・


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2010年03月15日  貧しかったけど楽しかった学生時代


棚の奧から無造作に束ねられた昔の写真が出て来ました。それは大学生の時の下宿部屋の記録。その時の風景がしっかり残っていてちょっと感動。

ここは戦後(昭和20年代前半)に建てられたボロボロのアパートで、直ぐに取り壊しても良いくらいの古い造りでした。だから・・・場所が渋谷なのに家賃は激安の物件。一部の部屋は共用トイレだったし、風呂は建物の表にプレハブ小屋が付いていて部屋の外の給湯器のスイッチを入れてから使うタイプ(あるだけでも充分有り難い)そう言えば、水場の給湯器も室内一体型で着火にコツのいるメカでした。この小汚い台所で一生懸命自炊をしていたのです(写真 二枚目)質素倹約に努めていましたね。そして、総菜の売れ残りやパンの耳なんかをほとんどタダ同然で貰って来れたのは、近所のお店のおじさんと仲良くなったお陰と言えます。日頃のコミュニケーションは自分を助けてくれる最大の武器なり。

その一方で、当時は景気が良かったのですが・・・生活費や遊興費などをバイトで稼いでは皆使ってしまう仕方の無い野郎だったかも(苦笑)お酒は昔から弱かった。でも出来るだけ人付き合いは大事にして、色々な人と話した覚えがあります。それは後になってからとても役立ちました。無論学校の勉強もしっかりやっていたと思います。自分で言うのもなんですが真面目な学生でしたね。学科はグラフィックデザインで二次専攻で映像を勉強。その他の教科含め10単位近く多めに取っていたのに後で気がつき、卒業は楽勝でした(自慢し過ぎかな 笑)

部屋の片隅に、1年時の立体造形の授業で作った「マグリットの玉」が転がっています(写真 三枚目)この写真を見るまでこの玉の存在を全く忘れてました。この玉は粘土で型を作って石膏を流し込んで作ったもの。当時は何故これを作らなければならなかったのか理解できなかった。かなり時間が経ってから何となく納得しましたけど・・・でも何で二つあるんだろう?誰かのものも貰ってきたということかな。作ったらすぐに壊してしまう人もいて、私はそういうのが理解できなかったなー・・・

他にもたくさん写真が出て来ましたけれど、大人になって結婚もして落ち着いて暮らしている今から見ると、出発点になった頃の体験がとても良い思い出になっています。貧しくてももの凄く楽しかったと思えるのは、幸せな学生生活をしていたのだということですね・・・


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2010年04月11日  カリカリ氏を偲ぶ


ほんの数日前・・・日頃お世話になっているプロダクションにいる或る方が逝去されました。あまりに急なことで言葉がありません。そしてその人がいなくなったという現実感がいまだにわいてきません・・・昨晩は、日頃親交のあった面々での偲ぶ会がありました。

その人の名は「カリカリ」氏。もちろんこれはペンネームです。カリカリ氏は猫が大好きで「猫になれ」という本を書いています。その本の抜粋がカードとして配られましたが、その冒頭は

 猫になれ

 無理をするな。
 自分を磨くな。
 明日できることは今日やるな。

というくだりで始まっています。

参りました・・・私が普段自分に言い聞かせている事とはベクトルが正反対です。厳しいビジネス社会では、精一杯頑張って背伸びもしないと生きて行けませんよね?

・・・でも・・・いや 待て・・・
カリカリ氏はその厳しい業界の中を生き抜いてきた人。世の中の紆余曲折なとすべてお見通しだと思われます。そこであえて このような言葉が浮かんでくるのは悟りの境地なのか・・・誰もが口にするカリカリ氏の人柄は感慨深いものでした。氏が書く文章はユーモアに溢れひょうひょうとした感じもします。猫を愛し、猫の生き方に人の在り方を重ねて尊ぶ姿勢に頭が下がります・・・

本人が湿っぽい御通夜を望まないだろうということで、昨晩は平服にての集まりでした。私は小太郎とぼたんの仲の良い写真を持っていきテーブルに置いてきました。やはり居なくなってしまったという認識に至らない不思議な感覚です。カリカリ氏はどこかへ旅に出たのではないかという感じでいます。「猫になれ」の本 私はまだ未読なので、書店で探して読んでみたくなりました。


写真 人形のモデルは勿論カリカリ氏 テーブルの上に置かれていました
   「猫になれ」カリカリ著 JAWS BOOKS 1300円
   200万部売れているベストセラーです!
あと、カリカリ氏のHPのコラム
   http://www.ladyweb.org/magazine/sokora/index.html


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2010年11月17日  元気はチャージして少し消費する


規模の大小を問わず、イベントというものは、大勢の人たちの協力と努力のたまものでありますね。企画・準備から当日の進行管理まで・・・並大抵の苦労では成し得ない。そういう場に何らかの形で関われるということの有りがたさは、最近特に感じることが増えました。昨晩仕事で撮影に行ったイベントは、年配の方々が目立つ会場でした。楽しい進行内容に笑いと拍手が途切れないその雰囲気がとても良く、良い動画がたくさん撮れました。ほとんどコンサートのノリと一緒。ちなみに、私も現場で「元気や活気」という数字で測れないエネルギーもたくさん貰って帰ります。

そして、テンションが上がった撮影の後に、素材の確認整理と長くて面倒な編集作業が待っている。そこで、最初にチャージした分のエネルギーを、少しずつ切り崩し消費しながら「完成」という目的に向かって進みます。近年では、ビデオ動画だけでなく、スチル写真の方もデジタルの後処理をカメラマンが行うことになっていますので、何をやってもデスクワークが増大していく。

私の年内の取材予定はほとんど完了しました。あとは年末までずっと部屋に籠もる業務とタイムスケジュール。その間のモチベーションの維持が自分にとっての必須の課題なのは言うまでもありません。己のメンタルな意識のはなしです。今日は何か独り言を書いてしまいましたね(苦笑)・・・


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2010年11月19日  自分の価値観のルーツとなった本


今日は所用で新橋に出張・・・ちょうどそこで恒例の古本市がやっていたので立ち寄りました。仮設テントがいくつも張られ、都内の古本を扱う書店が集まってワゴンを出しています。そのうちのいくつかを覗いていたのですが・・・私がいつも物色するのは、写真集・図鑑・絵本・映画パンフレットの類。すると、たまたま手を伸ばしたワゴンの中に、見覚えのある表紙が見えました。

何とそれは・・・私が小学生の時に祖父からもらった昆虫図鑑。忘れようもしない懐かしい本。私が所有していたそのは、ボロボロになって何故か表紙だけが今でも残っています。その「完全体」が見つかったのです!当然買って帰りましたとも。これは私の一番の宝物に確定です。何故ならば、私が昆虫はじめ生き物に感心を持つきっかけになった一番最初の本だからです。まさか今見つかるとは思ってもみませんでした。内容はほとんど手書きのカラーの挿絵。でもとても精密でこれは子供用の装丁では無いクォリティだ。イラストの味が写真を超えている!

保育社の学習図鑑「学習昆虫図鑑」
奥付をみると、昭和29年第16版とある そんなに古い書籍だったのか・・・

ページをめくると、驚くべきことに、ほとんどのページに見覚えがあります。小学生の時に毎日の様に読んでいたのだからそれも当然か・・・そして、数十年間記憶の底の引き出しにしっかり残っていたのですね。何とうれしいことか。

今日は、紙の本の価値に目一杯感激した素晴らしい日となりました。


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2010年12月29日  記憶の中に生き続ける美術室


昨晩、NHKの深夜番組で忌野清志郎氏の伝記的な特集を再放送していました。以前見逃していたので見ました。清志郎氏が音楽並びに美術に高い関心を持っていたのは知っていましたが、学生の頃から漫画を書いたり、コンサートツアー中にも日常的にイラストを描いたりしていたのは詳しくは知らなかった。注目したのは、彼の関心や姿勢を後押しした美術の恩師がいたということ。すごく納得できるドキュメンタリーでした・・・

関心をもって自発的に何かをしようとする時、人は誰でも最初から自信がある訳では無く、迷いもたくさんあると思われる。その時に相談に乗ったり、道を照らす光りを当ててくれるアドバイザーの存在は、もの凄く大きいのです。特に思春期においては絶大な影響力があったに違いない・・・

私が美術(デザインや映像)に関心を持ったきっかけは、まずは大阪万国博覧会であったと以前述べたこと。そしてその同時期に、小学校の美術の先生に色々な話をしてもらった事が、やはり大変大きかったのです。何となくでは無く、明白にあの時あの場であの人に貰った言葉というのが忘れられないのですね。

あの時の私の美術の先生は、その後病気で亡くなられたという話を聞きました。大変残念でなりません。そしてその時の美術室については・・・どうしても再度訪ねておきたかった場所になった。大人になってから、カメラを持ってそこをを訪れたのは意外にも割と最近でした。夏休みの時期にアポ無しで訪ね 校長先生にことわって、その美術室に入りました。奇跡的なことに数十年間その風景はほとんど当時に近い状態でそこにありました。そして私が訪ねた時は、その美術室の改装工事の間際であったのは、何かの因縁を感じざるを得ない事であります。その後にこの風景は恐らく失われてしまったものでありましょう。昨晩見た番組が、この写真の蔵出しをするきっかけをくれましたね・・・

この美術室の風景は私が生涯忘れ得ない場所なのであります。


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2011年03月11日〜  東北関東大震災


3月11日

本日午後2時46分 東北から関東にかけて、大変大きな地震が発生しました!
「東北関東大震災}

この地震は自分の体験した中でも最大のものでした。私は今日は幸いなことに外出する用事が無かったので家にいました。 家族と共に大きな揺れをやり過ごしました・・・ふと窓の外をみると、東京湾の千葉市方面の空が赤い。時折炎が上がるのが見える。千葉市原のコンビナートのタンクが爆発炎上したものらしい(写真一枚目)家の中の棚のものは色々落ちましたが・・・私のいる地域は堅い地盤の高台なので、比較的被害は少なかったかと思います。電話は不通になりましたので多方面に連絡がつきません。皆さんみんなのご無事を祈っております・・・

3月12日

一番大事なのは家族のいのち。何がなんでも必ず守る。うちの場合 次は猫でその次は…
今日の地震で本棚の中はかなりのモノが移動しました。私の商売道具のカメラ機材もキズが付いた⁈ まだこれから強い余震が来る可能性は高い。なので、退避処置を取りました(写真二枚目)他にも色々懸念事項はたくさんあるのですが、今晩出来ることはあまり多くない。そして恐らく・・・熱帯魚の水槽がある家ではみんな同じだったでしょう。大きな揺れが来ると、当然のことながら水槽の水は溢れます!今回東京から千葉は震度5辺りの揺れ具合。私も初めて体験しましたが、水槽の水はチャポンチャポン程度ではありませんでした。大きくうねった水面は簡単に水槽の縁を越え、一気に飛び出ました(写真三枚目)私は目の前でそれを見ていましたが、全く防ぎようが無いし、家族の安全の方が大事ですから、水槽の事など後回し。ただ、60cm水槽がひっくり返ったらただ事では済まないなとチラッと思いました。何しろその水量は1台あたり約50リットルある・・・最初の本震の時はただ耐えていましたが、その揺れで水槽の水は約6センチ分ほど飛び出して消失しました。揺れをやり過ごしてから一旦床掃除。でもその後「どうせまた大きな余震が来るだろう」と思い、減った分の水は足さなかった。それは正解でしたね。丸一日経った今日でも水位はそのままにしてあります。

3月13日

twitterには、情報の拡散を使命とする所があるので、私もネガティブな発言を慎みました。どんな人が何処で見てくれるか分からないし、今は少しでも希望が欲しいタイミングだから・・・でも昨日から今日にかけて、身の回りで起きているちょっとした変化には不安を覚えずにはいられません。それは物流の供給バランスが崩れた都市機能のウィークポイント。非常時において食料などの買い置きを増やそうというのは、誰でも考えることですが、それがエスカレートするとパニックになります。夕方近くのスーパーに買い物に行くと、すでにそれは始まっていました。棚の商品がスッカラカン!?(写真四枚目)これは・・・私も状況を甘く見ていたかな。一昨日は、子供のオムツとミルクは確保に走りましたが、それ以外はそんなに切羽詰まって考えていなかった。まぁ今悩んだ所でどうしようもないので、状況を冷静に眺めつつ、頑張っていくしかありませんね。くよくよしないようにしようと思います・・・ちなみに 棚にモノが無くなっても、レジに並ぶ人たちに悲壮感は無く、世間話などしあって 和気あいあいの雰囲気がありました。何とかなるだろうという暢気な気分は気持ちの余裕にも思えます・・・

3月14日

この数日間の出来事で、平穏な日常はすっかり様変わりしてしまいました。もう景気云々の世間話では収まらない状況です。不安を煽っても仕方が無いので「では、これからどうして行けば良いのか?」を真剣に考えなければなりませんね。今まで海外での大惨事が起きるたびに、発生する様々な二次騒動をどう抑えていくべきかを我々は見て来たはずですから・・・私は今日は、身近の店をいくつか回って食材を少しでも買う努力をしました。でも、米とパンは昨日のうちに売り切れてしまっており、しばらくは手に入らなそう(写真五枚目)もうこれは諦めましょう。何にも食べるものが無い訳ではないですから・・・肝要なのは、元の生活レベルに戻そうというよりも、現状に合わせてどうやりくりするかの発想。 それに加えて、計画停電の話が一夜にして具体的になりました。これも受け入れるしか無いのですね。現在ちょっと情報が錯綜していて、私も自分の地区が何時から停電になるのか未だに確認出来ていません(汗)

3月16日

うちの猫の事は別のにゃんこのHPで触れています。でもこちらでもちょっとだけ。毎日余震が続いております。最初はパニックになっていたうちのにゃんこたち。でも、頻繁にある小さめな揺れには慣れてしまった感じ。ガタガタと大きな音がしない程度ならば平然としています。ぼたんはクロゼットの中にある、タオルを重ねてある籠の上を自分のシェルターに指定しました(写真六枚目)扉を開けておけば、ここから部屋を一望できますし、一番安心できる場所なのかも知れません。小太郎は服がたくさん吊ってある一番奥でぬくぬく休んでいます。もっともそこは前から小太郎の安住の場所。本来なら服やタオルに猫の毛が付くので入ると叱っておりました。でも今はもう何も言いますまい。安心できるのならどうぞ使ってくださいな。前例が出来てしまったので、もう今後閉め出すことは出来なくなりますね(苦笑)

3月17日

私も人の親になった事もあってか、TVの中で被災された親子の映像を見ると尚更深く心が痛みます。特に乳幼児をかかえた親の苦労はどれ程のことか、想像に難くありません。そこで嫁さんと相談して、そういう人々への援助活動に参加することにしました。ネット上で知った「日本助産師会」という社団法人が、被災した親子の為に「おんぶ紐・スリング・さらし」などの寄付を呼びかけているのを知って、さっそく送る事に。同時に防寒服をいくつか付けて荷造りし 郵送しました(写真七〜八枚目)また、この組織宛に義援金を募金しました。私らなどは暖房のある家でぬくぬくできる贅沢が可能なので充分すぎる幸せ。なのでそれなりの気持ちをお金に変えて託しました。今はそれしか出来ませんので。今も寒空に凍えて困っている親子がたくさんいるはず。そのうちの誰かに気持ちが届くことを切に願ってやみません。

3月18日

今更なんだと言われそうですが、つい先日より新聞を取り始めました。っと言っても紙の新聞ではありません。iPadで読める電子版。現在電子版のみで申し込めるのは「産経新聞」なのですね。iTunesCardで精算購読できるので、更新も月単位で自由に出来そうなのがメリット(写真九枚目)情報が速くて更新も頻繁にあるネットのニュースは勿論活用しますが、パーソナルな視点が多くて裏付けが一部確認できなかったりするのです。書き手の本音が出ていて良いのですけれど・・・いわゆる大新聞の編集姿勢は、良くも悪くも公的見解のひとつ。新聞社によってけっこう意見に偏りもありますが、公僕の建て前を確認する必要もあると感じます。ちなみに大新聞からの抜粋である「ネット版」は少々ボリュームが足りないのでイマイチ。無料では見出し程度しか見せてくれない。あと、流石新聞社と言えるのは文章力。長年言葉で勝負してきたプロの文章です。最近ネットばかり見ていたのでその違いが際立ちますね。ネットの文章は口語に近くてかなり軽い・・・大新聞とネットを比較すると見えてくるものがあるかも。ネット・TV・新聞・雑誌とやはりそれぞれの特徴・役割があるのを改めて確認しています。

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2011年03月25日  ペットボトルの水


東北関東大震災から二週間たちました。現在 被災した福島第一原子力発電所の放射能漏れ問題で、世間が騒がしくなっています・・・

そして・・・浄水場で放射性物質ヨウソ131が検出された件は、うちも乳幼児がいる為とても心配な事件です。スーパーやコンビニの棚からペットボトルの水が無くなったのは、報道があった数時間後のこと?私も帰宅するときに、コンビニを何軒か回って500mlサイズの水を数本手に入れて来ました。今回はちょっと切実な思いがあったので足が向きました。案の上、翌日には千葉県の浄水場でも 安全基準値以上のヨウソ131が出たとのことで、嫁さんも心配顔・・・

でも 今回ちょっと驚くことに、地域ごとの行政サービスが素早く対応してくれました。うちの地域でも、0歳児のいる家庭に限り、母子手帳提示を条件にペットボトルの水を配るとアナウンス。今日さっそく、市役所出張所へもらいに行ってきました。すでに幾人もの親子づれが来ていました。みんな落ち着いて静かに水を受け取っていた。乳幼児一人あたり2リットル二本ずつ。これはこれでとても有難いことです。素直に行政に感謝の念がわきます。ちゃんと税金払っていて良かった(笑)

心配なのは、粉ミルクを溶く水はけっこうすぐに無くなること。今うちにある備蓄分も含めいつまで持つか・・・東京都ではすでにヨウソ131の検出値が下がり始めたと言っていますが、何時また上がるか分かりませんし。私も神経質になり過ぎていると自分でも思いながら、これだけは万が一のリスクを避けたいと正直思います。もう完全に大衆心理の波の上に乗ってしまっているな(汗)・・・

一方で政府と浄水場が、活性炭でヨウソを減らせる様な事を言っているので、ネットでちょっと調べました。果たして放射性物質の濾過など出来るものなのか?結論として・・・活性炭で減らせるのかどうかはどうも怪しい。更に家庭用の浄水器でも何とかなるとは思えない。ただ、逆浸透膜濾過方式の濾過ならば 多少はヨウソ131の濃度を減らせる可能性があるという噂がありますね。それなら・・・水道水から熱帯魚飼育に適した水を作る濾過器は持っています。純水を作るRO濾過器というやつ。魚用だけれど、人間様の飲用に利用できるのかしらん?そこで、その濾過器のメーカーのブログを見つけて読んでみたら、ちょうどこのヨウソ騒ぎについてのコメントが書かれていました。ヨウソ131の除去は可能性があるみたいです。でもしっかり「熱帯魚用浄水器はあくまでも熱帯魚用です。人間の飲料用ではありません。」と念押ししてありますね。そりゃそうでしょう。ただ、飲んだら健康に悪いですよとは書いてありませんね。どうしようかな・・・


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2011年03月26日  節電中の景色


大震災後は 私も色々スケジュールが変更になって、都内に出かけることも控えていました。今日やっと撮影取材にお出かけ。地下鉄にも乗りました。銀座駅で降りた時にふと感じた何時もと違う違和感。それは駅構内や通路全体の照明が暗かったこと。

でも 私が思うに・・・これはこれで何か問題があるのかな?それどころかこの程度の明るさの方が、何か雰囲気をより感じて悪くありませんよ。昔訪れたことがあるニューヨークの地下鉄はこんな感じだったと思いますし。明るさが不均一であった方が、所々に影を感じるのですね。つまり陰影のコントラストがついて、空間が立体的に見える。

陰影があるところにものの形への深い洞察力が生まれる・・・そんな言葉を思い出しました。それは谷崎潤一郎著の「陰翳礼讃」という書籍に書かれていたこと。美術の勉強をしていた学生時代。その本は一つの教科書でもあった。それを思い起こさせた地下鉄の薄暗さは、今回の震災がもたらしたちょっとした副産物でありますね・・・


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2011年03月27日  地震対策の一つとして


こう言っては何ですが、うちは日頃から災害時への対策はかなりやっている方だと思います。背の高い家具には、ほとんど突っ張り棒を付けて転倒防止対策をしているし、実際にその効果はしっかり確認できました。震度5強の揺れでも食器棚や本棚は、ほぼ位置のズレもなかった(内部はかなり荒れましたけど)

でも、まだ不安のある家具も無きにしも有らず。その一つが台所の小物棚(写真左)普段 棚の前にコースター付きの台を前に置いて重しにしていた。これが相当ガタガタして焦りました。早速対策を講じました。ネットや通販雑誌で探したら、サイズもコストも条件にあった妥当なものが見つかった。それ自体天井へのつっぱり棒付きで、がっちり固定できます(写真右)

こういう不安要素を一つずつ減らせば、我が家の安全性がマシになると思いたいです。


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2011年04月17日  今年の花粉症


今年の杉の花粉には、私はしっかりやられてまして難儀しています。
昨年末に、飛散する量が多くなりそうだという情報があり、
最初からイヤな予感がしてました。

案の上、3月頃から目はショボショボで鼻はグシュグシュ・・・
このひと月ほどの間は、ちり紙の消費量が上がったのは言うまでもありません。
それもやっとやり過ごして、そろそろ解放されるかなという時期になりましたが・・・

今度はヒノキの花粉にバトンタッチなのですね。
しかもやはり今年は半端で無い感じです。

つい先日掃除をしたばかりの車のボディはうっすら茶色になっていました。
ちょうど黄砂が積もったのと同じ状態です。
ここ数日、黄砂が飛来したとの情報はありませんから
これはやはり花粉なのでしょうね?・・・

そして・・・私はヒノキの花粉には例年反応していなかったハズなのに・・・
ここのところ、どうも喉の具合が悪いのは何で?
それが、風邪なのか花粉のせいなのか、もうよく分かりません。
思考力も低下している気がする・・・

ああっ・・・先ほど、天気予報で
「明日もヒノキの花粉がたくさん飛びます」とやってました。
これも林野庁の役人に責任があるんじゃあるまいか?と絡んでみる。

杉とヒノキは、すべて伐採して東北の街作りの資材に
みんな使ってしまって下さい!と希望します・・・
次に植えるのはブナなどにして、山を広葉樹林にしましょうね。

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2011年04月19日  節電中の暗さ


すでに身の回りの色々な所で「節電」モードが日常化しています。
普段通り過ぎている公共の場でも、それは当たり前になってきた。
駅の通路などを歩いていても、天井の蛍光灯の多くが消されておりますね。

でも、その暗さが私には何か心地良いです。
前にもコメントしましたが、ものの陰影がより明確になって
形や色などがかえって引き立って見えるでは無いですか。
今までは 目一杯明るくすることで特徴が見えにくくなっていたのかも。

魅力は光だけにあらず、影にもしっかり色気は感じられるという事です。
野暮なことをいうならば「光あるところに影がある」ということ。
影を目立たなくするほど明るくするのは、不自然ではないでしょうか?

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2011年04月30日   簾の張り替え


今日は春一番に匹敵するほどの強い風が吹き荒れています。こちら千葉の湾岸地域は日頃から海風が強め。やや内陸にあっても時折潮風を感じる地域。いまの世情にあっては、この風を風力発電に生かさない手は無いよなぁと強く感じます。その話は以前より、自治体で話題にもなっていたのですが、得たいの知れない横やりなどがあって、何故か進展しないプロジェクトなのですね。太陽光発電も同じ・・・誰が邪魔しているのかは、それが普及しては困る組織があるという噂が・・・今 四苦八苦しているあの人たち!?

さて、風が強いと、ベランダに張ってある簾も次第にボロボロになってしまう。年に1~2回は張り替えております。実は昨年の秋口に、台風でかなり傷んでしまい、年末に替えておかねばなりませんでしたが、買い置きをしておくのを忘れて そのままになっていました。もう限界に近い状態だった。

初夏が近づき、ホームセンターにやっと新規に入荷したので買って来ました。例年いつも同じ商品を買っています。並べてみると劣化したのがよく分かります。これで秋口の台風シーズンまで持つと思います。

新品の臭いに釣られてぼたんが邪魔しに来ました(笑)

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2011年05月06日   報道の記録は貴重なアーカイヴ


私は今回の東日本大震災を報じる多くのTV番組を、録画してディスクに残しました。そういう行為は今回が初めてでは無く、振り返ればビデオデッキなるものを手に入れた頃から、ずっと記録してアーカイヴを作っています。それは私の大事なものです。教科書に載りきらない断片・・・全て歴史の記録だと思っているので。

以前に、古いメディアであるβビデオテープを、DVDにダビングして残す作業について触れましたが、それは今でもずっと続けています。作業は面倒くさいので、思い出した時にちょっとずつやる様にしてますが、βデッキがいつまで動いてくれるか怪しいので、急がねばなるまい。最近作業した何本かのテープについて・・・

たまたまダビングしたNHKの特集番組は「有害コミック問題」の検証番組でした。青少年にとって害をなすとされる表現が含まれた漫画書籍の表現について、規制すべきかどうかがテーマ。ちょうど昨年話題になった、東京都の青少年育成条例改定案にて論議された「非実在青少年問題」そのものでありますね。その番組を録画したのは1991年。何と20年前です!当時のディスカッションに耳を傾けてみたら、最近の状況と何ら変わりがありません。つまり、長い間この問題解決はほとんど進展せず、これまでに決められたのは、青年コミック指定のマークを決めて表示に入れたことぐらい?本質論にはほとんど触れず、法律をいじくって対処療法を導き出すことばかりしている印象があります。

そして、1995年に発生した「阪神淡路大震災」のスクラップ版も1本出て来ました。16年前なのに、見てみると、まるでこの2ヶ月の間に見た報道番組とオーバーラップする様なコメントが多々見られます。映像の違いは、津波の代わりに大規模火災で街が消失した事実でしょうか。そこで茫然自失して立ちすくんでいる人々の表情については、共通したものが感じられます。この頃から、東京の首都機能分散論議が高まったというのに、この16年間の間に成されたことは、一部のデータバンクのバックアップ施設を散らした位の事なのではないか?やはりしばらくすると、みんな忘れてしまうのですね。映像の記録がそれを如実に物語っております。

これからダビング処理にまわそうとしているのは、このタイトル(写真)年号が昭和から平成に変わるきっかけとなった大きな出来事です。この時は、日本中が喪に服し、自粛という言葉が長い間使われ 世間に浸透しました。映像を少し見て見たら、つい先日の様に思い出すことが出来ます。私が一番ショックだったのは、様々な世代の人たちが、皇居前に集まって涙している風景。そこには言葉は一切ありませんでした。ただ一つの時代が確実に終わったという現実を、重く受け止めてひたすら流される涙・・・皇室に対する思いは日本国民 人それぞれでしょうが、私も感じる何かがありましたね。重たい空気が世間を包んだ年でした。確かこの頃に、これからの新しい希望有る日本に・・・という前向きな視点が話題になっていた様な。それから23年たった今はいったいどんな世の中なのだろうか?政治や経済、そして文化やその他は・・・

さて、現在進行形で行われている 東日本大震災への対策については、私の感想は・・・正直言って今までのどの厄災よりも規模が大きく、しばらく先の予測がつかないし、また懸念していることも多い。特に福島原発事故に関して、未だ全く解決段階に至っていないのはあまりに大きな問題でしょう。

しばらくして、「ああっ、過去にそんなことがあったね!」という思い出話にすることが出来る日は、いったい何時頃になるのだろうか?その頃、私はどんな事を考え何をしているのか?そんな事を考えながらコメントを書いています。少し気分が暗くなってきましたが、希望を捨てるほど私はまだ枯れた歳ではありません・・・

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2011年05月27日   家族を守る為に行動します


3月12~14日の原発建屋ドカン!の事故以来、私は 行政やマスコミの発表に対してかなり懐疑的になりました。何かアナウンスが遅すぎるのだもの・・・放射能の問題はほんとうに切実なのに。何度も言いますが、私のような大人は結局は自分の意志でそこに留まっているのです。内心それなりの覚悟もあり得る。でも、子供に同じ思いを押しつけることは出来ない。中でも乳幼児の健康問題は最優先課題。現実にはいろいろ事情があってやれることは限られてしまう。せめて出来る事として、事前の情報集めをして 少しでもリスクを減らす努力をしたいもの。

対応の遅い政府や行政に判断材料を任せっきりにするのでは無く、自分で動いて判断する姿勢に傾いています。その決意の一つとして「放射線量レベルを計測できるすべ」を手に入れる事にしました。最もそうしようと決めたのは、3月中旬の事ですが。その時にはすでに市場にあるガイガーカウンターは姿を消していました。

さてそんな状況下での、この一ヶ月間ほどのネット上での動きは・・・個人が計測した放射線量情報が、時に一人歩きをしたり、素人の計測による間違いなどが多発して炎上気味です。ある程度は仕方ないんじゃないかと感じる。何しろ一番詳しいはずの専門家が「御用学者」と言われても仕方の無い発言をしたりして怪しい。更に4月29日に、小佐古内閣官房参与が例の「抗議の辞任」をしてから先が全く見えなくなった。だからもう自分たちでやるのだ・・・という状況なのです。問題の捉え方の違う人からはすでに後ろ指を指されている私です。かなり問題ありだとは分かっておりますとも・・・

二ヶ月半ほどたって、市場にローコストな商品がまた出回り初めてきました。そこで購入可能なモデルを検討した結果、アメリカRAE System社の「DoseRAE2 PRM-1200」を選びました。GMミューラー管(ガイガーカウンター)では無く、シンチレーションカウンターというタイプ。今は棚に出せば即日完売する売り手市場なので、仕入れ先は強気でありますね。何処へ行っても通常価格の1.5~2倍のコスト高です。でも需要と供給のバランスから考えると、これは割り切るしか無いと判断しました。貯金を切り崩して買いました。

最初は放射線を測定する条件を理解すること。測定機器の操作を覚えること。
つい先日、なかなか良い指南書が見つかりました。
簡易放射線量測定器でできるだけ良い測定を行うコツ (2011.05.19版)


あと、この一週間ほどの間には、各地方自治体でも個別の動きが活発化し、従来の文部科学省のモニタリングポストの測定基準には無い、新しい測定基準が現れ始めました。学校の校庭などの「地表」「地上50cm」「地上1m」など・・・私としては、とりあえず最初の測定は身の回りから測定を始めますが、これから参加するNPOのイベントの際などにも、フィールドでの放射線量値に関心を払って行きたいと思います。

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2011年7月5日   一ヶ月分の放射線量の積算値が出ました


私が放射線測定器(シンチレーションカウンター)の「DoseRAE2 PRM-1200」を購入したのが一カ月ちょっと前の5月27日。

その後 極力身近に置いて電源を入れっぱなしにして置きました。このカード型の計測器は、元々原子力発電所などで働く職員用の日頃の積算値を測る機器であります。積算値とは、時間軸に沿って被ばくする総量をカウントするもの。

報道機関などで放射線の専門家(その多くが東大の教授)が出て来て、国際基準として年間1mSv以内であれば、健康に被害が出ないであろうという数値をアナウンスしていました。その根拠は、人はトータルで100mSv程度の放射線であれば健康に被害が出ないであろうと言う基準がある。人は長く生きても100年程度だろうから1年辺りに換算すると1mSvに設定しておこうという目安だとか。それは、ICRP(国際放射線防護委員会)という機関が国際基準を作っているそうな。

ところが・・・この国の政府は、何時の間にか年間20mSv(本来原発事故などの非常時の基準)を健康に影響の無い基準として設定しておりますが、その根拠は未だ明確でありません。国際基準の100mSvには、積算値で5年で達します。関東全域に拡散したとされているセシウム137は、30年が半減期。もし年間20mSvで抑えられたとしても、いったいその被ばくが何年間続くかでリスク管理の判断に大きな影響を与えかねません。4月上旬にはマスコミを通じて、セシウムは体内に取り込んでも多くが尿と一緒に排出されるという専門家も居ましたが、その後その説も怪しくなってきました・・・なのでやはり積算値としての、総被曝量をひとつの目安とせざるを得ないと判断します。

「DoseRAE2 PRM-1200」を約1月間身近に置いた所、その積算値モードで約50μSvと出ました(私の生活環境での数値)これは1年間分に換算すると600μSv。100mSvに達するのに逆算すると約166年。これは空間から受ける線量のみの数値ですが、私の居住地区においては、まぁ心配無いレベルなのかな?という計算になりますよね。現実には、食品や水などから接種される内部被ばく分と、自然界に存在する分、医療のレントゲンで受ける分を足して判断せねばなりません。ちなみに医療分は日本では年間1mSvに含まない分としてカウントするそうです。それらを入れると年間4mSvが上限だという説をマスコミの資料で目にしました。そのデータを鵜呑みにするならば、100年で400mSvが許容範囲となるのだろうか?日本男子の平均寿命を考慮に入れると、4mSv×79で316mSvが一生分となるのかな?なんて計算になります。一説によると、医療放射線に関しては、日本人は世界でも最も照射されている民族だそうで、その弊害は海外の専門機関から指摘されていながら、日本の厚生労働省では一切無視している内情があるそうです。素人にはよく分からない話だ。今現在の私の知識では勘違いなどもあるかも知れないので、今後もしっかり勉強していかねばなりません・・・

例え100mSvの被ばくをしても、その影響でガンになる確立は僅かであり、10年20年先に違いが出る話であるとのこと。そんな話なのであれば大人である私は良いですよ。問題はやはり乳幼児はじめ小さな子供達への影響でありますね。

自分の生活環境でのデータを測り、そこから自己責任で自衛するにはどうすれば良いのかを、私は真剣に検証しております。神経質だと人に笑われても良いです。ただ一つ、自分の子供を守りたいだけなのです。あとで後悔しないために・・・

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2011年8月2日   船出の瞬間は大事なのだ


新しい外界に期待を膨らませての船出

それまでに・・・
長い年月をかけて努力をし様々なスキルも身につけていたはず
多少の自信が付いたかもしれないし そうでないかも知れないけれど

大事なのは 必要な時にしっかり実力を見せる努力をする事なのだ
そこで気を抜く様な舐めたまねをすると
もしかしたら地雷を踏んでしまうかもしれない・・・

とにかく出だしでどういう環境を選ぶかでその後が決まる!?
少し位高望みしてでも良い環境を選ぶ努力が欲しい・・・
それは間違い無いと私は思うな・・・

羽化の ここぞと言う時に判断を誤って足場を踏み外してしまったセミ
約7年間の努力も空しく・・・
視界がブラックアウトする瞬間にいったい何を想っただろうか・・・

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2011年8月12日   夏の花火は日本人のこころ


昨日 東北の大震災被災地の多くで、花火大会が行われたもよう。
今年の花火はひときわ印象に残る綺麗なものだったと思われます。

その中に「火の鳥」と呼ばれる新作の花火があったらしい。
映像で見ると、なるほど空へ向かって羽ばたく鳥のシルエットに。

そう言えば・・・
先日、うちの近所の自衛隊で行われた花火大会でも一羽飛びましたよ。
私にはしっかりとフェニックスに見えました(右上が頭ね)
尾が少し短いですけど。



今年のお盆は・・・
きっとたくさんの家族の元に多くの魂が戻ってきていると思いたい・・・
それが日本人のこころではないでしょうか・・・




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2011年9月24日  シンチレーションカウンターの精度


昨日 近場の公園でゆっくり過ごした一日。一方で、私は園内の数カ所で 降下セシウムの簡易測定などをしておりました。一部の有志(学者含む)によって作られた「地表汚染度マップ」によると、千葉のこの辺りの放射線量は0.2μSv/h前後であると言う。

国・自治体による高さ1m・0.5m計測を中心とした放射線量マップ
放射線量マップ

私の持っているシンチレーションカウンターDoseRAE2/PRM-1200で測った場合、どの位その情報の裏付けが採れるだろうか試してみました。廉価版の計測器では機械の精度の問題や、校正と呼ばれる誤差の有無などがあって、完全に正確な値を得るのは難しいのは分かっています。だから精度の範囲を確認する意味で、データ取りと公表されている値との整合性を見たかった訳です。計測機器の取扱い方法についは、ググれば今では詳しい情報が見つけられますので、ここでは割愛・・・

DoseRAE2/PRM-1200は、アメリカの原子力発電所で働く職員が、日々の微量な被ばく積算量を計測する為によく使われている機種。ガイガーミューラー管を使ったいわゆるガイガーカウンターとは違う シンチレーションカウンターという形式のもの。ガイガーカウンターは、同一地点同一条件での計測を何度か繰り返し取って、それらの平均値をもって値を出すのが普通。シンチレーションカウンターは、計測時間がかなりかかります。DoseRAE2/PRM-1200も5分間はじっくりみた方が良い。カウンターがセシウムのガンマー線に反応し安定した所で計測値とします。これまで確認した所、5分レベルの計測では何度測っても、ほぼ同じ値に収束しますね・・・

その結果、園内数カ所で測った値は、噴水広場の0.14μSv/hから、芝生のある庭園縁石付近の0.22μSv/hまでの幅の中にありました。地域全体としての公表値0.2μSv/h前後でありますから、信憑性の足しぐらいにはなるのではないかと捉えています。最近の公式な計測方法では、地上・地上50cm・地上1mの3ポイントを新基準としている様ですが、今回私は地上(表面)のみを測りました。子供が座ったり土いじりをするという前提で、地表面が最も危ない距離であると判断。

この半年間の間には、行政や専門家が何らかの裏付けを出す前に、多くの素人が放射線物質の計測値をネットで発表して、確かに風評騒ぎになったりしていました。でも、9月現在となっては、関東全域の大ざっぱな目安は公式・非公式にもデータが存在しておりますので、我々素人はその隙間の細かい未測定ゾーンを確認する意味でも、手前味噌でも測定する意味があるかと考えています。

放射能汚染情報はデリケートですから、発言に気をつけていても、もしかしたら何らかの問題が発生するかも知れません。でも、何も確認しないでマスコミの胡散臭い情報に右往左往するだけではアカンと思いますので、私は今後も地道に行動していくつもりです・・・

補足として:原発事故以前の環境下では、自然界に存在する放射線値というのがあって、放射線計測機で測った値からその分を差し引かねばなりません。ところが、NHKが公表している「事故前の放射線レベル」に当たる測定値はもの凄く小さく、0.01~0.03μSv/h程度だと思われる!?その分を差し引いた方が良いのは間違いないんですけれどね・・・

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2011年10月1日  恒例の行事に感じること


秋口は様々なイベントが執り行われる季節。
特に10月は多いですね。
神無月は神様が居なくなる時期。
そこを選んで何で行事が集中するんでしょう?

それはともかく・・・
本日は毎年係わっているイベントの撮影に行って来ました。
今年は大震災が有ったこともあり、開会式は犠牲者に黙祷することから。

何年も同じイベントを見ていると「今年もその時期になったなぁ」と
大した疑問も持たず、当たり前のように見ておりましたが・・・
人間いつどんな厄災に見舞われるか分からないという意識が強まった年。

最近 平凡な日常とごく普通の業務をしていながら
その有り難さにしみじみ感じるものがあります。

普通に働けて地味でありながらも生活をしていける毎日にまず感謝です。

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2011年10月6日  Steve Jobs 氏に捧げる言葉


AppleのSteve Jobs 氏が逝去されましたね。
心よりの哀悼の意を表したいと思います。

私がAppleComputerのMacintoshを知ったのは、1984年末の事でした。米国での発表から間もなく、日本のキヤノン販売が輸入代理店となって同社のゼロワンショップのショーウィンドウに並んでいました。

最初はMacintosh128kというモニター一体型の可愛いマシンでしたが、当時 マウスというデバイスでGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)上のアイコンというボタンを押してアプリを起動するPCは他に例を見なかった。要するに前代未聞の新しい視界と可能性を見せてくれた存在だったのです。でも画面は確かモノクロでしたね・・・

その後数年経って、Macintosh2(本来はローマ数字の2)と呼ばれるカラー表示が可能なグラフィックマシンが現れました。確か最初は256色の限定的カラー表示だった。それでも、パソコンの画面でカラーイラストや写真の表示が出来るというのはもの凄く素晴らしいことで、私は目を丸くして驚き感動したものです。 その辺りはComputer蘭のコメントで触れて来ました・・・

私がグラフィックや映像の勉強をしたのは、アナログメディアでしたが、その後そのスキルを自分のものとして活用する事が出来たのは、パソコンによるデジタル技術があっての事です。それは全てMacintoshによって成されたものであることは間違い有りません。

Macintoshの魅力はMacOSの使い勝手そのものでした。それを我々パーソナルユーザーに提供してくれた、アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズ氏とスティーブ・ウォズニアック氏には感謝の意だけでは無く最大限の尊敬と賞賛の気持ちを送りたいと思います。今日は悲しみと寂しさを感じておりますが、感謝の気持ちはそれを上回りますので前向きな意識で一言申し上げます。

ありがとうスティーブ・ジョブズ!

(イメージ画像はAppleのHPのトップページ現在あるもの)

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2011年10月23日  ファームでの放射線量測定


先日 NPO活動で時々お会いしている方から連絡を頂戴しまして、日頃活動をしている地域の畑や土手などに 降下沈着していると思われるセシウムの空間放射線量測定を行いました。

場所はしばらく前にやや高い線量が計測されてニュースにもなった千葉県のアンデルセン公園に近い場所。国と自治体が航空測量を行って公式に発表している放射線量マップによると、この地域一帯は0.2~0.3μSv/hの範囲であるとなっています。

国・自治体による調査データ→ 放射線量マップ

私が所有しているシンチレーションカウンターのDoseRAE2 PRM-1200は、これまで身の回りの環境における計測で、公的に発表されている数値にほぼ合致した計測データを出していますので、裏付けを確認する意味においても役に立っている感じがしています。

計測は地上1mと地表の組み合わせで、畑・草を刈った土手・排水溝などの側溝・林の中の切り株などなど・・・その結果、ほぼ予測通りの0.2μSv/h前後の値に収まっていました。ただ1カ所、農具などを収めたロッカー脇の朽ち木部分においてやや高めの数値 0.32μSv/hが出ました。古い木材が放射性物質を吸着している可能性はありそうです。それでもまぁ予測の範囲を大きく越えるものでは有りません。

一つ気になった事があったとするならば、地上1mで測って0.17μSv/hであった場所で正午頃、北風が強い状況にて空間線量が0.2μSv/hを越え、DoseRAE2 PRM-1200のカウンターが不安定に上下する反応があったこと。風が止むと動作が安定して元に戻りましたので、もしかしたら風に乗って放射性物質が舞う様な状況があったのか?と疑う現象がありました。たった一つの放射線計測器の反応で軽々しく結論など出せませんから、あくまでそういう事象があったという報告だけに留めておきます。

この10月に入ってから、関東地方の各地で、マイクロスポットと呼ばれる高線量のポイントがいくつも確認されて、ちょっとした騒ぎになっていますね。雨水が溜まる場所などに注意した方が良いというアナウンスもありますので、危険な場所が存在する可能性を見つけて注意する意味においても、自前で放射線量測定をする必要性は、より高まっている様に思います。

今後も定期的にその活動を続けて行きます・・・


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2011年12月27日  何時か来るはずの地震への備え


昨晩から今日にかけて部屋の模様替えを一気に行いました。その理由としては「気分転換」を図って作業のモチベーションを高める為なのですが、実はそれ以外にも大きな目的がありました。それは地震対策。まず第一に考えたのは、仕事で使う大事な撮影機材を守る事。その多くは華奢な組み立て式の本棚に並べていただけでした。うちの近辺では311に震度5弱の地震が起きた。その時 本棚は大きく揺れて倒れてもおかしく無い状況でした。幸いだったのは、本棚の前後では無く左右横方向に大きく揺れた為、最悪の事態は免れたのでした。今回 部屋のレイアウトを大きく変え、同時に次の事を実行しました。


・積み重ねているボックスタイプの家具は出来るだけ低く再構築する
・カメラ機材は低い位置の転倒しないボックス空間に移す
・PCとその周辺機材の底部に防振ゴムを入れる(写真 上)
・普段使わないものは一旦箱に詰めて物置へ・・・
・ついでに・・・紙資料・書籍を減らす為に自炊作業をしやすい環境に・・・


ちなみに、比較的余裕のある機材の設置空間にしましたら、机の上に液晶TVを置くスペースが無くなってしまいました。そこで壁に直接付ける金具で壁面テレビにする事に。これは以前より考えていたので、その金具は既に用意してあったものを利用。なかなか良い視聴環境になりました。

余談ながら、ニュースを見ていたら、将来起こりうる東南海地震の予測についての報道があった。地質学者などの予測では、先日の東日本大震災を越えうるM9クラスの大地震が起こる可能性があると言う。また千葉沖の海底地盤のズレによる大地震や三浦半島にある断層で起こる大地震など、懸念すべき材料は話題に事欠きませんね。

いつかは必ずや来てもおかしくない訳ですから、今の内にできる事を少しでも実行して、後で「やっておけば良かった」という後悔をしなくて済む様にしたいのです・・・


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2012年2月6日  最近やや薄れて来たと感ずる危機感


先日 近くの公園に家族で散歩に行った時のこと。
久しぶりにシンチレーションカウンターを携行して行きました。



子供がよく遊んでいる広場や砂場・それに灌木などの地面の数値は
その後どうなっているのか?測ってみましたが(地表面のみ)

結果は公園全体が0.13μSv/h前後で、特に高いホットスポットは無さそう。
でも、それは年間総線量限度とされている1mSv/yに達する境界線上にあります。
やや高めの0.16μSv/hの場所では、年間1.4mSv/yに達します。

これを危険だと認識するかどうかが正直言って判断に迷うところ。
政府関係の公式アナウンスで判断するならば、ただちに健康に害は無い数値。
何も1年中そこにいる訳ではありませんが、現実的には食べ物などからも
少しずつ内部被ばくしている分を足してトータルでどうなのかを考えねばならないはず。

そこで、特に移住などのを検討している訳でも無いおのれの心の内は・・・
「恐らく許容範囲で大丈夫」(そうでありたいと言う願望を含む)
それが現在の状況なのだと言えます。

福島第一原発に関しては・・・
国のトップが「冷温停止」しているからもう危機は去ったというアナウンス。
でも未だにその原発からは、放射性物質は漏れ続けていていることを
否定する明確な確証もないのですね。

今後も引き続き、私は身の回りの放射線量の監視は続けて行きます。
シンチレーションカウンターは何時もは窓際に置いており、毎日ベランダ
目線での空間線量を確認しています。風で土埃が舞う日は要注意。
それはすでに、気温を測るのと同じ感覚になってしまっている事と言えます。
ただ その日常化してしまった事の意味そのものが、深刻さをやや薄めているのは
否定できない事であります・・・


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2012年2月13日  今冬の富士山を見て想うこと


久しぶりの富士山の姿。

これは約二週間前に撮ったもの。
今年は冠雪が多くて遠目で見ると真っ白な山です。

これまでは見ているだけで心が和んでいたのですが・・・
東南海地震が発生したらその後噴火する可能性があるというアナウンス有り。
そう聞くと何やら危険な存在に少し感じる様になってしまいました。

そういう事は近未来にあって欲しくありませんけれど
大自然の力は所詮人間には予測もコントロールも出来ないのではあるまいか。

平和なうちの毎日を大事に楽しく生きたいところです・・・


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2012年2月17日  被災地の空撮映像を見る・・・


先日NHK NEWS WATCH9の中で、東日本大震災による被災地を空から記録し続けている映像カメラマンがいる事を知りました。モーターパラグライダーで自分の郷土をとり続けてきた酒井カメラマン。

かもめの視線というキャッチで、普段空撮の仕事をしている方だそうです。HPもありますね
Sky Photo Service

自分の郷土が被災して荒野と化してしまった風景を、酒井氏はすぐには撮る気になれなかったそう。それでも、やはりありのままをとり続けてそこから何かが見えてくるはずと言う 同氏の言葉には重いメッセージを感じました。

酒井氏の活動を支えるにはやはりその作品に対価を払って応援する事ではないかと思い、AmazonでDVD作品を注文しました。
「空撮 東日本大震災 いわき沿岸津波被害の記録」

約2時間の映像記録ですが、空撮による海岸地域の被災状況を淡々と撮影した素の映像が続きます。それは説明のいらない悲惨な、そしてこれからどうなって行くのだろうかという思いを感じないではいられない深刻なものでした。テレビ報道で細切れになった断片とはまた違った何かが見える貴重な記録であると思います。


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2012年2月25日  やはり定常化しているのか・・・


昨日 某公園に行ってきたのですが、当然シンチレーションカウンターも持参して計測も行ってきました。子供を連れて行く場所の放射線量の確認は、ずっと行っていく習慣とします宣言をしておりますゆえ。あえて同枠内にて具体名称をボカして書くのは、地元民としてのちょっとした配慮からです。良く読めば主旨は明確なのであります。

役所が行っている公共施設などの計測では、地上1m/50cm/地表の3パターンが多いと思います。でもセシウム134/137を対象にした場合、その放射線種はガンマ線で それは電磁波領域の特性であるという。到達距離は1m程度ではさして変化しないはず。エネルギー量は到達距離の二乗に反比例して減少するものと認識。子供の行動パターンを考慮すると、やはり地表面での接触が一番問題なので、私は最近は地表での計測をメインに捉えて行っております。

今回は来園者の多くが腰を下ろしている場所を選んで、地表面にシンチレーションカウンターを置いて計測。時間は約4~5分間待って数値が完全に止まった所で確認しています。ガイガーミューラー管タイプでは無いので、複数回測って平均値を出す測り方はしていません。昨年9月24日に同公園を訪れた時と比較しての話になりますが、結果から言いますと、私が知り得ている場所において、状況が大きく変化している事は無さそうです。

半減期が2年のセシウム134と 30年と言われているセシウム137。その降下比率は半々からやや137が多め位であるという情報を信ずるならば、トータルの放射線量は2年後から少しずつでも低下して行く事になるのだろうか?ただし、雨水が溜まる様な場所に流れ着いて濃縮していく現象が、現実のものとして確認されていますので、高台よりも窪地の方が高線量と変化して行きリスクが高い場所と判断する事ができましょう。

ですが・・・今回見晴らしの良い丘陵地の中腹の枯れた芝の上で、比較的高めの放射線量を確認しました。灌木や花壇の隅よりも高いというのはどう判断したものか?芝がセシウムを吸着固定化しているとでも考えた方がよろしいのか?現時点では何とも判断が難しい状況だと感じます。

同公園は昨年10月にちょっとしたホットスポット騒ぎがありました。
放射線測定結果

私は自分の目で確かめないと気が済まない質なので、記事にあった放射線量低減作業場所での数値計測を行いました。結果 船橋市公園協会が公式に発表した範囲内に収まっている事が確認できました。

同公園は、自然環境を生かした大変素晴らしいテーマパークです。地元の自慢であると言っても良い。事実と安全性をしっかり確認した上で、今後もお世話になって行きたい場所であります。私もいたずらに騒いで、自分と自分の家族の生活が貧相にならない様に努力をして行きたいと願うばかりです。


計測機器:シンチレーションカウンターDoseRAE2/PRM-1200


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2012年3月10日  未来図が描けない社会に想う


明日は大震災から1周年の節目となり
世間では記念行事だの反原発デモだの色々有る様です・・・

私は家で家族と一緒に静かに過ごすつもり
心静かにしていたいので愚痴は今日書いておきます

この一年間は多くの人と直接話し ネットでも意見を言い
それなりに自分の考えを強くしてきたはずなのですが・・・
期待した以上には世の中は変化せず進化せず・・・

もちろん賞賛すべき素晴らしい活動を一生懸命している人達は大勢います
でも この国のシステムは変化を嫌い、より良く変革して行くという印象が薄い?
最近ほんのちょっとだけ株価が回復してきたからと言って
この国の将来に明るい兆しは私はあんまり感じていないのですよね
一部の業種やコミュニティにおいて発展はあるのかも知れないけれど
国全体としての未来図が描けていない情けなさにはほんとうに失望してしまう。

特に・・・
これからの若い世代の人達が希望を持てる社会になっているのかどうか?
それは大変怪しく疑問である状況なのではないでしょうか?

そういう視点を持って尚 今後どうやって頑張っていけばいいのかが
頭から離れないので 私はひとり鬱になります・・・
個人的には楽しいプランニングはたくさん持っているつもりですけれど・・・


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2012年3月11日  1年目の日に想うこと


今日は東日本大震災から1周年目の日
日本各地で様々な追悼行事が執り行われた様ですね。

うちの近所の公園でも、
大震災を忘れないようにと防災をテーマにしたイベントがありました。
私は午前中に家族で会場に入りました。
広場では、防災意識を高めようという警察と消防署の職員による
啓蒙プレゼンテーションに人だかり。

別の場所では 福島の農協による「風評被害対策としての農産物の即売会」と、
宮城の石巻 小網倉浜の漁師による「いわしの網焼き」の無料配布がありました。

チャリティ募金箱が設置してある出店もあって、
その中でもソースせんべいを売っている所で足を止めました。
ことちゃんには初めての味でしたが、けっこう気に入ってバリバリ食べてました(笑)
その後、会場をうろうろしていた千葉県マスコットのちーば君に触れて
記念写真を撮ってから帰宅・・・

昼から少しデスクワークをしながらTVの震災特集番組を視聴。



最初の大きな揺れが発生した2時46分には、テレビ画面に向かって手を合わせました。
総理大臣と天皇陛下の追悼のことばを聞きました。
夕方ネットのニュースで、総理大臣が春以降の原発再稼働に向けて検討をしている
という発言があったと知りました。
1年たってもこの国の復興に向けた動きは充分とは言えず、大変不安定な世の中です。
いったいどうしたら良いものか? ・・・





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2012年7月14日  高校の同窓会


高校の同窓会がありました。

私の時代は一クラス45人前後で8クラスあった。でも隣の学校は12クラスだとかもザラでそういう世代でした。それだけ人数が多いと同学年なのに顔は知らないし一度も話した事が無い人がいても不思議では無い。今回各クラスの1/3強が集まり、8クラス合同で140人が集まる大同窓会でした。それだけの人数だと公共施設の大広間でもないと入りきれない。っと言う事で高校のあった地元のビジネスホテルの宴会場を借り切って実施しました。

卒業からもう30年以上たっていますが、私の世代はけっこう自分たちのジェネレーションに自覚があった様に思います。どういう自覚かと言うと、何をするにも「自分に出来る事は何か?」を考えて悩んで色々やっていた覚えがあると言う事。私の高校の生徒会にはスローガンがあって「自主規律自主管理」という小難しい看板が伝統になっていました。裏を返すと日教組の意向が露骨な教育環境で、それにちょびっと反骨精神を持つ生徒会がトゲトゲした少し昔の学生運動の影が残っていた高校なのでした。しかも当時の校舎は県内でも流石に珍しい木造校舎で、それはかつての帝国陸軍が使っていた宿舎であったものだとか。私は小学校の時も木造校舎だったし何か昔の景色を見る機会には恵まれていましたね。そんなおまけも付いていたので、学生生活はとても印象の深い思いでに満たされております・・・

そんな話はせておき、久しぶりにあった級友たちはみんなしっかり歳を取っていました。流石に50にもなると面構えは若いとは言えないなぁ(汗)でも話をすればみなすぐに高校生に戻るのだ。それが同窓会の楽しみでもあるしとても有難い仲間との再会となります。中には卒業後の苦労話を淡々と語る者がいれば、これから何か楽しい事にチャレンジしたいという未来志向の奴もいます。誰の話を聞いても感慨深くまた時間の過ぎるのが早かった・・・

私は同窓会の運営部より記録係を仰せつかったので適当にバシャバシャ撮っていましたが、今回は撮影はほどほどにして途中から話の中に入りました。だってカメラマンは一歩引いた傍観者になってしまいかねない。それではつまらないでしょう。滅多にない同窓会なので今回は私にしては珍しく3次会まで顔を出しました。



お互いの連絡が付けやすくなると言う話から、みんな出来るだけfacebookのアカウントを取りましょうと言う話も出まして、既に運営部が暫定的に作った同窓会のページに参加しましょうとなりました。まぁ時代の流れというかそれは自然な事でありました。友達のネットワークは間違い無くとても大事なものなのであります・・・

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2012年7月20日  地震対策の追加


今年の1月下旬から2月にかけて 熱帯魚の水槽の防振対策?を一気にすすめ、少しでも防災の備えを行ったつもりでおります。こういうのはしばらくすると直ぐに日常の関心事から遠のいてそのうちに忘れてしまう。ヤル気になった時に進めておかねば結局やらないで終わってしまう・・・

そんな事を言いながら最近少し油断しているなと明確なる自覚があったりして・・・そこでささやかながら次の防災対策をちょびっと行いました。一つ目は地震保安灯という停電になった時に自動で点灯するバッテリーライト。真夜中に地震があって真っ暗闇になったらパニックになるかもしれないので用意。

もう一つは鉄板入りの防災スリッパ。寝室の窓ガラスには既に飛散防止用フィルムを貼ってありますが、それでも想定を超えた大地震なんかが来たら様々なモノが壊れて室内を歩く事もままならなくなるかも知れない。その時の為にコレは枕元に常に置いておくことにします(ちなみにこのスリッパ、ダイハードのナカトミビルで裸足のマクレーン刑事にプレゼントしてあげたかった代物です・・・)いずれも何で今やるのかという時にやっておくのがミソだと思います。

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2012年9月18日  歴史の解釈と情報操作


ネット用語に「情弱」というのがあります。情報弱者の略ですが、主旨としては情報通信端末やそのサービスに疎い人を指している意味あいです。でも実際には、情報に踊らされてしまっている人が最も深刻な情報弱者です。ウソや噂や誤った解釈などを鵜呑みにしてしまう困ったちゃん・・・

私自身もネットの情報に振り回される事が時々ありますので、よく調べて裏を取って確認しなければと気をつけています。でも、実際には最近図書館に行く事が無くなりましたし、ネットだけで調べ物をしてしまうことはあり得るので、ある意味 日頃の姿勢に問題が無いとは言えません。

ここの所 日本は隣国との歴史認識問題で火花を散らしておりますね。それぞれ自国の立場を主張しあっての事ですから、そう簡単には解決するはずもありません。誤解を恐れずに発言しますが、私は歴史というものは「解釈」だと思う所が多分にあると考えています。だからこそ立場の違いで認識が180度違ってしまう訳で、そこに絶対的な真実が一つしか無いと断言できるケースは、第三者が認めうる物的証拠がある場合にしか証明出来ないと思っています。事実と後世の認識がまったくズレている事も十二分にあり得ますし、そもそも人類や国家の歴史は 認識に足場を添えるための物語だと言ったら言い過ぎでしょうかね・・・

もちろん私は日本人としての日本の立場を基本的に支持しています。でも昨年の福島第一原発事故の報道とその後の事実確認においては、かなりこの国のシステムに疑問を持ってしまいましたので、何でもかんでもみな鵜呑みに信じてしまえる「うぶな意識」はもうありません。

物的証拠と言うモノについても結構懸念が存在するので、問題提起をしておきます。私が広告代理店に勤めていた頃に、書店でふと手にしたある書籍がありました。私の関心を強く惹いたその本は「歴史写真のトリック」というもの。よく写真や文献は絶対的な証明の根拠とされていますが、人類の歴史においてその物的証拠ですら都合の良い様に改ざんされ情報操作に利用されて来たという検証本。広告は報道とは線引きが違う分野ですので、一概に比較は出来ませんが情報操作という問題意識において私には無視出来ない共通意識をそこに見ています。

報道ジャンルにおいては、写真や動画素材に対する加工・編集処理はほとんど認められていないはず。せいぜいが明るさの調整程度でトリミングもそこに何らかの意図が存在し得ます(ただ・・・写真は組写真や並べ方で、動画は編集におけるカットの繋ぎ方やナレーションの入れ方で解釈を作ってしまえる)だからこそ歴史的な事実確認の為の証拠はそれ相応な客観的事実性を強く求められます。素材自体への改ざんの痕跡が無いかの科学的検証も必要になりますし。特に最近では ネット上にアップされている写真や文献の類は、その出典や著者などの確認が出来ないものは話題のネタにしかなりませんよ。それを根拠にするのは愚かしいとすら私は思います。こんな写真があったからという引用は、それが歴史についての話であるならば尚更です(世界中の全ての事象に対して適用すべき事です)

こういう検証本によって「歴史ですらいとも簡単に情報操作の対象にされてきた事実があるのだ」という事をみんなが知っているかどうかでしょう。それ自体ですら知らない人が少なくないのでは無いかと私はいぶかしく感じております・・・蛇足ですけれど、検証する姿勢を遵守する為には、この「歴史写真のトリック」という本自体にもその真偽を一度疑った上で内容に目を通すべきだと考えます。それが公正なる姿勢の問題なのですね・・・

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2012年9月23日  医者が語る放射線によるリスク


今日は千葉県柏市の中央公民館にて「放射線から子どもを守る街を」という講演会があり、私は足を運びました。柏市はホットスポットが確認されているので市民レベルで放射線に対する関心が高い街であるようです。講演者は「岐阜環境医学研究所所長」である松井英介医師。「日本肺がん学会」会員であり近年では「廃棄物処分場問題全国ネットワーク共同」代表でも有る人物・・・

講演を聴いていると、私が昨年3月より色々見聞きして来た多岐に渡る放射能問題の情報が、話題の中にまんべんなく網羅されており「この人は単に医療関係の一面からだけ放射能問題を見ているのでは無いな」と感じられる深い内容となっていました。

論点としてあったのは「低線量被ばく地域」でのリスク管理。その必要性の理由付けとなっているのは、1986年にウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故とその後の経過に関する医学データ。世間的には公式で無かったりしているものが多いはずなのですが、国際的に見て何故そういう評価になっているのかの事情の説明までありました。国際原子力機関であるIAEAの判断基準とその裏事情を聞くと、やはり安全であるという政府や行政のアナウンスがいかに怪しいものであると思わざるを得ませんね。

また世間で、食品の放射線量検査で出て来ている安全宣言の危うさにも話が及びましたが、少し含みのある一般論で断定的な言い回しは避けられていた感じがします。要するにヨウ素131とセシウム134/137に関する計測のみであって、それ以外の核種 ストロンチウム90とプルトニウム239などについては検証対象外となっている話かと・・・その辺りは一般市民レベルでの行政への要望と監視が必要だと思われる・・・

今日の講演会で、ネットに流れている情報の裏付けがある程度確認できた感じがしました。受付にて松井医師の著書を一冊買って来ましたので、これからしっかり読んで見る事にします・・・







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2013年1月3日  アイコンイメージをVer.2013へ


アイコンのイメージを数年ぶりに変えました

Facebook・Twitter・mixi とも共通です

私の顔ですから本質的な変化ではありません


上から2006→2010→2013


企業がたまにやるCI(コーポレートアイデンティティー)になぞらえたものです

元々広告代理店にいたものですから以下のコンセプトを重視しています


MI(理念統一)・BI(行動統一)・VI(視覚統一)


これらは一貫したものであるべきでコロコロ変えるとつかみ所がなくなります

私のブルーグラスグッピーアイコンは実はネクストのイメージがあるのですが

一気に変えてしまうとデザインの飛躍があるので今回はマイナーチェンジです

一つのイメージは10年位継続すればそれはちゃんと何かの顔になると思います・・・








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