新 着

履 歴

2012.01.31
2012.01.07
2011.12.28
2011.11.17
2011.11.05
2011.07.15
2011.06.20
2011.06.07
2011.05.25
2011.05.15
2011.05.10
2011.05.03
2011.04.22
2011.03.06
2011.02.24
2011.02.02
2010.12.17
2010.12.14
2010.12.11
2010.09.25
2010.08.15
2010.07.18
2010.05.07
2010.04.07
2010.03.26
2010.03.24
2010.03.21
2010.03.16
2010.02.27
2010.02.23
2010.01.17
2009.12.04
2009.12.03
2009.11.27
2009.10.20
2009.10.18
2009.10.17
2009.09.25
2009.07.29
2009.07.26
2009.07.15
2009.07.08
2009.07.04
2009.06.05
2009.06.05
2009.05.02

2006年08月05日   継続を強要するカプセル


私はもともと食玩のおまけなどと言うものを甘く見ておりました。
お菓子についている安っぽいおもちゃ。子供だまし・・・

今から何年前になるでしょうか、チョコエッグというお菓子がコンビニの棚に並んでおりました。ふと見ると、そのオマケが動物で、私の好きな亀が含まれている。何気なく一個買って帰りました・・・

それから5〜6年?程過ぎた今、海外土産などを並べていたガラス棚はご覧の様な有様です・・・

子供のおもちゃは子供だましでよろしいかと思います。
それが、あんな実物よろしく精巧につくられたら・・・たまったものではありません。買わなきゃいけないではないですか。あの、カプセルを開ける瞬間の期待と緊張感は、昔、ケロッグコーンフレークの中から、付録を探し出すドキドキした記憶を呼び起こしたのでした。
(20年位前まではコーンフレークには付録が付いていた。付録はフレークの底に巧妙に埋もれていた。現在は無し)

ところが、中身は開けて見ないと判らないようになっています。

一時、同じネズミが6回も続けて出た! 1シリーズ20種類あるので、1/20の六乗の確立!あり得ない! 大人げなく、この時は少しキレました・・・ホントに大人げない・・・たかが300円と言うなかれ。カプセルも積もると、段ボールを埋め尽くします。カートン単位の箱買いもしてしまいました、もうダメです・・・いったい幾つ買ってしまったのでしょう・・・●百個くらい?

生きものを飼ったら、命ですから責任をもたなければなりません。ですが、動かないプラスチックの動物であるならば、箱に詰めたままでもよろしい。(幸いにも)身の回りに同じ病気の人は多かった。ダブったオマケはいろいろな所でトレードに回しました。

最近ではガチャガチャも進化して凄いことになっています。少し前では考えられない様なものまで出ていますね。写真は、美術室によく置いてある、デッサン用の石膏像を小型化したもの。原型は東京芸術大学の学生の手によるものとか・・・つい買ってしまいます。

いろいろな意味で、仕掛け人の「海●堂」は確信犯だと思います。タイムスリップグリコなんぞ企画しないで欲しかったなー・・・

昨年あたりから、コンビニの棚の食玩コーナーは、だいぶ縮小されつつあります。早く目の前から無くなって欲しいものです・・・


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2007年01月08日   映画では史実をどう描くか・・・


映画のコメントです。クリント・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」を見てきました。

戦争映画はどういう視点で内容を描くかによって、物事の解釈が正反対になってしまう事すらあります。「歴史としての事実」の解釈を巡っての場合は特に顕著かもしれません。ほとんどの場合において、自分の側の立場に立って物事を判断します。それは当然のことでしょう・・・

日本は1937年から始まった日中戦争から やがてアメリカを相手にした太平洋戦争へと突き進みました。歴史の教科書で 日本の近代史として習った史実には、どういう出来事が起きたのかが淡々と列記されているだけです。その意義や背景に何があったのかを学問としては教えているとは言い難い。それは日本の国内においても様々な歴史の解釈や意見があるためなのでしょう。
また教職課程においては、公立の教育の中で「宗教・哲学・信条」のいわゆる信仰やイデオロギーに関する授業を、画一的に教えてはならないとされています。いわゆる徳育教育の領域です。公正を記す為に慎重に触れなければならないのは確かですが、そのために歴史について深く総括するという行為はありません。そのこと自体はバランスを欠く問題かと私は思います。

従って受験勉強の枠の中には、思想かつ意味合いを問うような内容は含まれませんね。結果、学校の勉強をしているだけでは、日本や世界の歴史をどう解釈し、意味を考えるかなんて事はしてこなかったのではないでしょう・・・

NHKが制作している「その時 歴史が動いた」(毎週水曜日夜9時半放映)はそういう歴史の裏舞台にスポットを当てた番組で見応えのある内容です(解釈に賛同できるかどうかは別)戦争を良しとする意見はまれでしょう。
平和である方がいいに決まっています(これだけは断定)問題提起するならば、自分たちが行ってきたことの意味をどう捉えるかという部分。

戦争映画に話を戻しますが、それは・・・戦時下では戦意高揚を目的として制作され、平時においてはアクションや特撮を売りとしてきました。つまり戦争というテーマも「娯楽」の一つとなった訳です。それは「事実」とはかけ離れることも多々有ることと思います。
それが・・・世界が交通と情報で密に結ばれるようになって久しい近年では、やっと相手の立場というものに目を向ける心の余裕が出てきたのでしょうか・・・アメリカ人が「日本軍の立場に立った視点」で映画と撮るとは・・・

太平洋戦争の中での「硫黄島」の戦闘は、大きな長い戦争の中の一部分ですから、そこから全体全てを見通すことは出来ません。その場その時に、現場で人は何を想っていたのかという視点です。そして・・・戦闘状況の中で、「何の為に戦うのか?」という問いを兵士自身にさせることは難しい部分です。反戦になれば自己矛盾が生じるし、単純に殺意だけを強調するには敵の理不尽さを描く必要が出てくる。
・・・硫黄島に立てこもる日本軍の心情をいかに描くかは、最初に述べた信条に関わる部分。そして心の拠り所。映画を面白くしようとして演出を入れても嘘っぽくなりかねない。これは戦争を知らない私の様な世代に何を伝えうるのかを、判りやすく語ってくれないと感動できません。だから作り物っぽくしてもらいたくありません。

そうしたとても難しい心の襞(ひだ)の部分を、この映画では描いていました・・・戦う事の意味が有るや無しやという心の葛藤です。意見を押しつけていないだろうか・・・そういう内容は好ましく思いません。「乾いた描写」の中に感じる何かがあったかどうかを私は見ていました。

ここ十年間くらいに作られた戦争映画はかなり臨場感のある作りです。「フルメタル・ジャケット」「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」「戦場のピアニスト」等々・・・年々その描写は妥協を廃した重厚感のある表現になってきていますね。それらは皆 欧米の戦争映画です。

「硫黄島からの手紙」は確かに日本側の視点の映画だ・・・そう感じながら見ることができました。そして、この映画が太平洋戦争で敵であった「アメリカ製」であるというのは、とても複雑な心境かつ 驚きを禁じ得ない。そう言えば、日本人が作ると 戦争の悲壮感をこれでもか!と描く方向に感情的に煮詰まってしまいがちなので、この「アメリカ製」の日本人感には新鮮な発見もありました・・・
「和製戦争映画」を見ていると「だったら最初からやらなければいいのに・・・」という冷めた感想が何となく出てきてしまう・・・そう簡単には 自分の中の正直な部分は感化されにくい・・・

エンディングロールを見ながら思ったこと・・・硫黄島からの本物の「手紙」は長い時を得て誰の心に届くのか・・・史実から描いたものとして感じる事が出来ました。映画を見て良かったと思える感動です。久しぶりにスクリーンの前で目頭が熱くなった・・・

一つだけ疑問に思ったこと・・・すりばち山に立てられた星条旗を 一時的にせよ(二度も)日本軍が奪還したと言われている史実については、今日見た映画の中では描かれていません。その点は、この映画と対になっている「父親たちの星条旗」をまだ見ていないので評価を先送りします。双方の視点を公平に評価するためです。


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2007年05月02日   怪奇大作戦


オタク向けのネタ・・・

今週はNHK BSで深夜に懐かしの「怪奇大作戦」を放映しています(関東地方)しかも、平成新作のセカンドファイル3話と 旧作26話中の14話分をセレクトして一挙放映!今週は夜更かししても大丈夫(笑)

旧作は昭和43年にTBSで放映されていたもので、私は小学生の時にリアルタイムで見ていました。制作はウルトラマンの円谷プロダクション。当時 同プロは、空想特撮ものというジャンルから科学サスペンスへ転向か?と話題にもされたそうです(ウルトラセブンの後番組なので)

高度成長期のかの時代は「科学」というものに大変なあこがれが存在していました。アメリカのアポロ宇宙計画は打ち上げの度に一大イベントになりましたし・・・それに加えてオカルトブームも被ってきた。ユリゲラー氏が来日してスプーン曲げを披露していたのも この頃でしたね・・・

怪奇大作戦は、科学とオカルトを融合させたサスペンスを売りにしていた為 予想を超えてヒットし、熱狂的なファン層を獲得しました(平均視聴率は20%超えに)当時の特撮シーンは、今となれば技術の限界を感じますが、物語として未だに色あせない魅力があります。

私は科学捜査研究所→SRI(Science Research Institute)の設定が好きでした。警察組織とは違う私立探偵の様な雰囲気ながら、刑事みたいな捜査を行い、時には科学兵器(表現が古い)を駆使して悪と戦う姿が格好良かったのです。メンバーが乗っていたトータス号のデザインが秀逸で、未来の車はこうなるのだろうと感じていました。

また、円谷英二氏監修の元、実相寺昭雄氏はじめ多くの実力派監督がメガホンを撮った力作揃いなのも見所です。(この辺りの裏話は ネット上で大変ディープな解説と検証が行われており マニアの底力に圧倒されますね)

小学生の私は「散歩する首」で生首が浮遊するシーンが恐ろしくて 暗闇の道が怖くなりましたし、「壁ぬけ男」の話では 最後湖底に沈んでいく箱の中で人間が潰れていくシーンは見ていられませんでした・・・
今思えば、子供の心に「恐怖」と言うものをすり込んでいた様にも思えます(苦笑)

写真は 私の本棚に今も大事に保管してある絵本。当時持っていたもので残っているのはこの1冊だけです。ウルトラQやウルトラセブンの絵本は何処かへ行ってしまいました。これらは現存しているものが少ないので、中野の「まんだらけ」に行くと 2〜5万円くらいで売っていますね。大人になると何でもお金に換算してしまうのは悲しい・・・

夢はお金で買えません・・・

怪奇大作戦 放映リスト:www.ucatv.ne.jp/~rydeen/SRI/list.html

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2007年06月17日   超人ロック


超人ロック」というコミックに最近またはまっています。雑誌連載以来、一部のエピソードが単行本化されていませんでした。それが先日 本屋に行った時に新刊として出ていたのです。早速買って読んでいます。また・・・とは何かというと・・・この作品はとても息が長い(連載期間)のです。 「ガラスの仮面」を超えていると言えば、分かる人には驚いて貰える事でしょう。聖悠紀 原作。昔に一部アニメ化もしています。

元はと言えば、同人誌から始まったものと聞いていますが、私は高校生の時にその存在に気がつきました。面白いという噂が広まって、その後に作者はプロデビューしたのではなかったかと記憶しています・・・先ほどネットで調べて見たところ、最初のエピソードは1967年発表という記録になっていました(これは知らなかった)
この作品の特徴として・・・連載がいくつかの雑誌を経由しつつ、出版社をもハシゴするという他に例を見ない継続の仕方をしています。アニメージュ→月刊アウト→少年キング等々の変遷があったはず・・・これを全部正確に覚えている人はかなりの通です(笑)裏話として・・・超人ロックが現れた雑誌のいくつかは 何故か廃刊の憂き目にあっていますね。潰しながら渡り歩いているのでしょうか?さすが超人!(笑)

・・・そう言えば、私はなんとその最初の同人誌の復刻版も持っていたりします。またこの原作者は表に露出することを望まず、期待されたほどメジャーにもなっていないのは不思議。 今回の新刊シリーズはメディアファクトリー出版ですが、それ以前のシリーズは少年画報社発行でした(みのり書房や徳間書店が持っているはずの版権分はどうなったのか?)

内容はというと・・・悠久の時を生きる超能力者ロックが、人間と対峙するエスパーとの狭間において苦悩し、様々な勢力争いの中を生き抜いていくものがたり。数百年の時間を生きて行く間に「伝説の超人」と呼ばれる存在になります。その奇抜な髪型は、当時サイボーグ009と人気を二分するとも言われていました(オタクネタ) しかもこの主人公のロックは時には女性にも化けて、一世代分の人生を送ったりもしている・・・

今読んでみて驚く描写がけっこう有りました。日本ではインターネットが普及したのは1995年のWindows95が発売されてからです。それ以前の時期に、作中ではすでに電脳化やサイバーテロを連想させる設定が成されていました。緻密な作画では無いし 話の展開や台詞回しは多少強引な所もありますが、世界観がしっかりしているのが素晴らしいですね。

この作品は、銀河帝国が築かれていく歴史をも描いていますが その長大な時間の流れは、フランク・ハーバート原作のSF小説「DUNE/砂の惑星」にも匹敵するものと私は見ています。話ついでに・・・「砂の惑星」は、一度デビットリンチ監督によって1984年に映画化もされました。原作は1960年代にアメリカの権威有るネビュラ賞を受賞した超大作。そのファンであった私は当然見に行きました。内容的にはスターウォーズよりも大作だと見ております。宇宙規模での生態系を問題視した 別名 環境SFとも言われた存在です。
私の記憶が正しければ、その物語(原作)は16万年にも及ぶ銀河史の歴史を描いたものだったはず・・・

銀河帝国というキーワードを出しておいて、ペリー・ロダンを出さないと石を投げられそうなのでこちらも一言。ドイツのSF作家陣がリレーで執筆しているSF超長大作なのですが、早川文庫から170巻くらいまで出版されていたハズ・・・内容はスペースオペラ??
(全巻揃えている本屋を私は見たこと有りません!)
原作は全部和訳出来ずに放ったらかしになったまま・・・全て訳すと700巻を越す?そうです。私は最初の確か2巻ほど読んで挫折しました・・・内容ももう覚えていません(恥)あと、コミックの「銀河英雄伝説」は肌に合いませんでしたね。悪しからず・・・

・・・そういう時間の流れを描いた世界観が私は好きです。想像力をたくましくし、様々なイマジネーションをも生むきっかけをくれた様に思います・・・

漫画やアニメーションの話は 実は私はそこそこ詳しいです。一時期仕事でも関わっていましたし。今後は話題に混ぜていく事にします・・・
この間 高校生時代のクロッキー帳が出てきたとコメントしましたが、幾枚かの漫画イラストも挟まっていました。その中に超人ロックを描いたものもあります(1981.5/28と記してある)・・・話題にしたついでに恥を忍んで出しましょう(苦笑)


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2007年08月08日   アンリ・カルティエ=プレッソン 1


その名前を最初に知ったのは 大学生の時でした。写真概論の授業で写真の歴史を調べていた時に知った「マグナム・フォト」という写真集団。その創設メンバーにロバート・キャパ、デヴィット・シーモア、アンリ・カルティエ=ブレッソンがいたのでした(敬称略)
ロバート・キャパと言えば、戦場カメラマンとして有名だったので以前より知っていました(私としては弟のコーネル・キャパの作風の方が好きでしたが)・・・では、カルティエ・ブレッソンとは一体何者?

「決定的瞬間」というキーワードがあります。

ブレッソンが1932年に パリのサン=ラザール駅で撮ったという有名なスナップショットがそれです・・・その「二つの言葉」が度々入れ替わって「サン=ラザール駅裏」という作品名が「決定的瞬間」という言葉を先にして紹介をされているのを かつて何度か目にしました。駅裏の水溜まりをひょいと飛び越えた男性を 空中で止まったかの様に写した「瞬間」なのです・・・それが何故有名なのか?

最初に新しい試みをした者は偉大である・・・まさにその通りだという作品。それまで、写真は静的なものを写す記録手法のひとつあると・・・それを動いているものにレンズを向けて、動的な表現にも意味があると世間に知らしめた「象徴的存在」なのです。でもそれは技術的な価値を誇示したものでは無さそうです・・・

ブレッソンについて私が知っているのはその程度でした・・・
今日、竹橋にある東京国立近代美術館に行き「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」という写真展を見てきました。
以前より是非見に行こうと思っていた展示です。

全てがモノクロームの作品。
内容は フランス・イタリア・スペイン・ロシア・メキシコ・アメリカ・インド・中国・日本を半世紀(1930〜1980年)にかけて訪れ、場所によっては何度も長期滞在し・・・歴史的な出来事を鋭い視点で記録していったものです。特に印象が強かったのは「第二次世界大戦が終わった頃のヨーロッパの民衆の生活」「スペイン内戦」「中華人民共和国が設立された時の群衆のうねり」「ガンジーの他界直後のインド」等々・・・その映像的価値は説明の必要が無いものばかりです。

凄いと思われるのは・・・単なる客観的記録に留まるものではなく、被写体となった人々の意識を 見事に一枚の平面世界に焼き付けるその眼力でしょう。写真に魂が吸い取られるというのはオカルトチックですが、そう言う表現が当てはまるのではないかと言うレベルの作品です。何故シャッターを押すだけ?でそんなイメージを残す事が可能なのか・・・偉業と言わざるを得ませんね。

時間をかけて鑑賞してきましたが、それと同時にカルティエ・ブレッソンが、どの様な苦労をなし得て作品を残す事が出来たのかを知ることが出来ました。私としてはとても大きな収穫でした・・・

「主題は不可欠である」それと同時に内面的な表現を可能とする「技術的裏付け」と「偶然ではない鍛錬によるシャッターチャンス」
改めて教えられる「耳の痛い教訓」がたくさんあって、驚きに近い感動と挫折感が半々の不可思議な感傷を持って 私は帰路についたのでした・・・


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2007年08月09日   アンリ・カルティエ=プレッソン 2


「決定的瞬間」を写し取るために・・・

・・・そういう写真を撮る為の必要最低条件があります。
自分が記録者としての状況に置かれているとして・・・まず、被写体の前にいること。レンズを向けてしっかり撮影する。そして無事に撮影を終えてフィルムを持ち帰ること・・・

なんだ?そんな事か・・・と思える事です。

でもそれが和気あいあいとした記念写真ではなく、人々の殺気やぴりぴりした緊張感のある場所でのことだったら・・・それはその場にいるだけで自分を危険にさらす状況です。更に相手に歓迎されない行為=写真を撮るのは大変なことをしでかす事になる。体をはった危険な行為と言えます。戦場カメラマンの状況をイメージすれば、そのリスクの程が想像できるのでは無いでしょうか・・・

ブレッソンが使用したカメラ機材はライカ。

当時のフィルムの性能はISO感度で100も無かったのでは無いかと思われます。そのため、スナップで少しでも速いシャッタースピードを稼ぐために 明るいレンズを用いたとある・・・時にはマウントが違うはずのコンタックスのレンズでF1.5の明るいのをくっつけて使っていたらしい。70年前のカメラにはオート機能など存在しませんから、全ては己の感覚のみが頼りとなった事でしょう。
35mm、50mm、90mmのレンズを使い、1/4秒でもブレない様に体全体を使って、独自の鍛錬にも熱心だったというブレッソン・・・またカメラ全体を黒く塗り 普段はレンズに自作のカバーを被せて目立たない様にしたり・・・写真を撮るためにあらゆる努力をしていたらしい・・・

彼のエッセイ「こころの眼」という本を買って読んでいます。
最初の項目にいきなりこう書いてありました。

<これまで一度として「写真そのもの」に情熱を傾けたことはない・・・>
<私が愛するのは・・・被写体がもたらす感動と形状の美しさを記録する写真の可能性だ>

散々努力して成果を残しながら こういう台詞を言えるとは恐れ入りました・・・


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2007年10月14日   35年前のトレーディングカード


どの時代であっても廃れない元気のあるオモチャがあります。

トレーディングカード

現在では「ポケモン」「遊戯王」「アクエリアンエイジ」等々〜
多岐のジャンルに渡る様々なものが巷に溢れていますね。
もっともそれらは、ゲームだけの価値に留まらず純粋な
コレクターズアイテムと化している感じもあります・・・

私が幼少の頃にもトレーディングカードは勿論ありました。
それは「面子」メンコと言うものでした。

最近 親戚宅の押し入れから「過去の資産」が出現したとの知らせ。
捨てると言うので、それなら是非くださいと言う事に・・・
受け取ってみると、正に私が小学生の時に持っていた記憶のある
ものが多数ある。失われた記憶が鮮明になりうれしい限りです。
イラストは多少稚拙な感じもしますが、そこは時代を現している
味というところ・・・この毒々しいカラーリングは独特です。
かなり保存性が良いのも驚きです。

メンコは地面に並べて置き、交互に順番を決めて相手のカードの
横に自分のカードを打ち付ける遊び。叩き付けられたカードが
起こす風の勢いで相手のカードを裏返す事が出来たら勝ち。
裏返したカードは自分のものになります。
いたって簡単なルールなのであります・・・

私はメンコが得意で数年間で、段ボール箱一杯勝ち取りました!
引っ越しの時に友人にほとんど配ってしまいましたが、実は
一番大事な未使用のものだけ クッキーの空き缶に入れて何処かに
しまってあります(有るはずなのです・・・)

今回実に35年振りに懐かしいメンコを見ていて、今更ながら
気がついた事がありました・・・
メンコの裏側にあるトランプやじゃんけんのマーク。
これを使ってもゲームが出来た訳ですね(汗)
でも・・・今までかつて一度も裏面を使ってゲームをしたことが
無かったのはいったいどういう事でしょう。


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2007年11月23日   伝統芸術鑑賞


初めて「能」と言うものを間近で見ました。

どの様なものかは知識としては知っていましたが、ライブはやはり違います。独特のリズムというか「間」というものがありました。内容は極めて難解で、理解しようとするよりも 体感する類なのかもしれません。

主催者側もその辺りをしっかり分かっていると見え、幾つかある出し物の合間にご丁寧な解説を入れてくれました。

タイトルは「羽衣」をはじめ幾つかのプログラム。

形式美を極めた表現・・・それが「能」の醍醐味なのでしょう・・・
600年間受け継がれて来たというその歴史に重みがあります。

私が感じた事は、実に基本的な事実でありました。長い年月の間原型をそのまま保存してきた貴重な価値なのですが、舞台の上で語られている言葉を現在の日本語で推し量ることが出来ません。

つまり・・・
登場人物が何を語っているのか全く分からなかったのです・・・当然 内容を理解するには及びません。約3時間の間、ひたすら睡魔と闘う辛い時間がそこにあったのでした(苦笑)

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2007年12月13日   帰ってきたMacPower


マッキントッシュ関係の雑誌にはジンクスがある様に思えます。

予告無しにいきなり廃刊・・・

かつて・・・マックブロス、日経MAC、MACLIFEに続き、今年の秋には老舗のMacPowerが消えました。もともとパソコンのシェア自体が小さく一部の熱心なユーザーが支えてきた感のあるMacintoshは、いくら注目されてもやはりマイナーな存在です。販売部数が伸びずに関連雑誌が廃れていくのは仕方がないかも知れません。現在残っているのは、MacPeapleと MacFanの二誌のみ・・・

MacPowerは途中で一度 編集方針を一新して、インダストリアルデザインにフォーカスしたモード誌に変身しました。デザイナーがMacintoshを使ってどのようなプロダクツを発案してきたかを毎回特集。
それなりに面白い記事が載っていましたが、少々お洒落な紙面にこだわり過ぎた嫌いもあります。私も時々買う程度でした。そして消えた・・・

ところが 先日書店に行くと、復活の文字が躍るMacPowerが目に入りました。今度は年に四回の季刊誌になったようです。移り変わりの激しいパソコン記事が3ヶ月おきとは・・・ページをめくると編集方針がまたもや変わっています。昔の編集レイアウトに少し戻った?

iPodの売れ行きが好調な為、最近Macintoshの注目も少し高まり、PC本体の売り上げも好調だという報道がありました。OS Xもレパードに進化して更に使い勝手が良くなったと私は思います。
その使いやすさのメリットをもっと積極的にアピールする雑誌として MacPowerには頑張ってもらいたいと思います。


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2008年01月30日   メジャー漫画雑誌の終焉!?



一昨年は それまでずっと読んできた「少年ジャンプ」にピリオドを打った年でした。

いい大人になってまで 何時までも読んでいる様なものでは無い!と言われればそれまでですが、近年「ヒカルの碁」と「デス・ノート」が秀逸な作品だと感じていたので、ストーリー展開に期待して読んでおりました。ちなみに毎週読むようになったのは「キャプテン翼」の連載が始まる数年前からですので、かれこれ30年近くにもなります。「こち亀」だけは流石に第一話からは読んでいません。思えば・・・ジャンプには何かしら一つは 時代に残る様な光る連載作品があったと思うのですが「デス・ノート」の連載終了とともに、私個人が面白いと感じるものが無くなった・・・関心が消失した訳です。

「STUDIO VOICE」という サブカルチャーを広く紹介し批評する雑誌があります。
今月号は「少年ジャンプ」を丸々特集していたので、久しぶりに買って見ました。歴代のジャンプ編集長の座談会形式で、往年の作品の総括を行っています・・・

中でも注目すべき発言部分を抜粋すると「ジャンプの基本とは・・・エログロ・バイオレンスと人間賛歌」とのコメント有り。いったい何時の間にそういうスタンスを取る様になったのか!?と、ちょっと驚きました。無論30年前から、エロとバイオレンスはエッセンスとして延々と存在してはいましたが、建前として掲げていたのは「勇気と冒険、それに友情」だったのでは無かったのか??と記憶しています。それは、少年誌全般に共通するテーマというか、メッセージとしてあるべきモノだったハズなのです。いつの間にか 異能者バトルと言うジャンルがワンパターン化して、作者作品が違えどストーリー展開が皆「天下一武道会形式」に落ち着いてしまうオチに・・・(連載が破綻していながらも「HUNTER×HUNTER」だけは 期待する何かを感じていましたけれど・・・)

ジャンプには読者からのアンケートによって11週の猶予期間なる「掟」があると言われています。アンケートで人気の順位が下がると、紙面の後ろの方へその作品の掲載ページが送られて行く。人気が回復しなければ連載11週目で打ち切りというシステム?その結果 何が形式化したのかと言うと、読者の読みたいものを察して サービスとして具現化する姿勢に染まっていったのでは無いか?と感じます。新しいビジョンの提案と言うよりも、リクエストに応じて作る調理の様な編集姿勢になっていると私は感じる訳です。悪く捉えると読者に媚びている・・・

それを良しとするマーケティングでは、サプライズと希望のあるエンターテイメントは望めない・・・青少年に提供する娯楽雑誌としては問題有りでは無いかと思います。そう言えば最近「少年サンデー」もストーリー重視の姿勢が崩れて やや厳しくなって来た様な・・・自分自身がひねた見方に陥っている反動か?久米田康治氏著の「さよなら絶望先生」が面白いと感じるこの頃であります(苦笑)

そういう厳しい見方をしていても、基本的には漫画媒体の存在価値は高く評価していますので、編集方針の改変による「復活」を希望して止みません。そう言えば、私は最近「青年誌ジャンル」の雑誌も読まなくなりました。元々 少年誌が漫画の王道だと感じております・・・でも 浦沢直樹氏の「PLUTO」は単行本で買って読みます。

昔は、「ガロ」「COM(古本)」「マンガ少年」と「フュージョンプロダクト」等の創作系ジャンルが好きでした。思えば大友克洋氏の様な独創的な作家が出てきたのも、マイナーポジションの漫画雑誌であったと思います。


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2008年06月11日   ダーウィン展 1


最初から関心が有りながら、なかなか行く機会が出来ずにおりました・・・
やっと見てきました!

ダーウィン展

かの「進化論」を唱えた英国の自然史学者です。

ちょっと前置き、余談になりますが・・・
私がダーウィンの名を最初に知ったのは小学生3年の頃。学研の「科学」という月刊誌からでした。この雑誌は・・・かつては小学校の敷地内に毎月売りに来るという特殊な販売方法で、私はとても楽しみにしていました。姉妹紙に「学習」があります。小学生向きの優しく楽しい内容でしたから それ程専門的な内容ではありませんでしたが、世の中の色々な事を知る入り口となったのでした。(現在 学研の「科学」は一般書店で取り寄せるか年間購読で手に入ります)
その名の通り、人類の科学の発展とその紹介をコンセプトにした子供向け学習誌であります。私がここから受けた影響は小さくありません。いずれしっかりコメントしたい貴重なメディアです。

更に別の視点からの話ですが・・・
少々込み入った話になってしまいます・・・宗教上の見解(ここではあえて宗派を特定せず)では、人類は神様が創造したという事になっています。それを歴史上・生物学上の事実としてとらえる考え方もあります。っと言うと、今の日本では「そんなバカな!」という反応が多いでしょう。いやいや、外国に行くと21世紀の現在においても、生物の進化論は一般ではありません!?現にアメリカで「進化論」を声高々に唱えると強烈な反論が返ってくる可能性が高いとも言える・・・そのニュースはかなり以前より耳にしていた事であります。ダーウィン展の中でも そのことに明確に触れるパネルがありました。最近の米国内でのアンケート調査でも6割以上の人が、進化論を否定 あるいは「人は神の創造物である」と信じていると・・・公教育でも進化論と宗教上の見解を平等に扱う様に、州法等で定めているそうです。こうした事実はしっかり知っておかなければなりません。ちなみに私も小学生の時に、近所の教会に日曜日に行って「神の話」を聞いておりますので、しっかり刷り込みがあります・・・

長々と前置きをしましたが、私はそのことに対して論議をするつもりはありません。

とてもデリケートな話題となってしまうからです。だから事実は一つでどちらが正しいという断定をして、論争するのは御免です・・・科学と宗教を対立する構図にしてはならないので、問題があるのは分かっていても先送り・・・これを尖閣諸島方式と言います。別名 意気地無しとも言いますね(汗)

・・・現状としては、私はダーウィンの「進化論」を支持しています。

今回の展示で、私が一番驚いたこと・・・
ダーウィンの晩年については知りませんでしたので、私は恐らくダーウィンはきっと多くの迫害を受けたのでは無いか?と思っていました。・・・事実は意外なものでした。1858年以降に執筆された ダーウィン著「種の起源」により、人類の起源について当然論議は起きたようです。でも、世界中の多くの科学者の賛同を受けて、予想されたような過激な事件は無かったとのこと。20世紀以前 西洋では、神を批判したり冒涜した者は 火やぶりの刑に処されていたのも歴史の事実なのであります。そして同じ英語ベースの文化圏でも、英国と米国の違いを再認識して感心しきりなのでした・・・


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2008年06月15日   ダーウィン展 2


せっかくダーウィン展に行ったのに、先日はその具体的な内容に全く触れませんでした。

チャールズ・ダーウィンは 「現世の生物」と「化石」の観察から検証を重ねて新理論を導きだし、それが真実であると唱えました。彼以前にも彼の祖父や、他の科学者が断片的な学説を発表していましたから「進化論」の礎をすべてダーウィン一人で構築した訳では無さそうです。それでも 一番重要なのは、学説を証明する努力でしょう・・・証明が無ければただの仮説でしかない。

かつて 学会の定説を覆す考え方を提唱した学者は何人もいましたが、その多くが生きている間に認められなかったり、激しい迫害を受けて、不幸な生涯を送ったとされています。「地動説」を主張したガリレオ・ガリレイや、「大陸移動説」のアルフレッド・ウェゲナーといった後世に有名となった学者は望まぬ晩年を過ごした事でしょう・・・その辺りが実に凄まじい・・・この前延々と述べた部分であります。
追記:地動説を最初に唱えたのはニコラウス・コペルニクスでしたね。その学説を発表したのは晩年、亡くなる間際だった様です・・・

ダーウィンが自分の生涯の進路に迷っていた時に、ビーグル号という軍艦で世界の海に旅に出た。その出航は1831年のこと。約5年間の航海で彼が得たものは、多くの経験と動植物に関する貴重な資料であり、展示の中心もそこに有りました。ガラパゴス諸島で出会った多くの動植物のエピソードは、昔からドキュメンタリーやクイズ番組でくり返し取り上げられる話です。でも、ダーウィン展を見て感じた事は、一人の科学者の生き様がどの様に進んでいったかの伝記であったかと・・・
生涯どういう姿勢で生きたのかが明確に分かって、そこに一番感動しましたね・・・

生物の進化を説明するコーナーでは、科学的な根拠が明示されていて納得です。私が特に感心したのは、多くの標本の整理の仕方・デッサンの緻密さ・記録の丁寧さ等でした。私も生き物が好きで、これまでに多くの観察をしてきたつもりですが、「学者」と呼ばれるプロのレベルと比較すると 規模の大きさと質に違いが有りすぎて絶句してしまいます。ちなみに、デッサン・美術の勉強など、本気になれば独学で何とかなってしまうのですねー。

いや、ホントに真剣に何かをやるというのは、ここまでで良いという基準なんか無いのだと思い知ります(汗)これは好きな上に信念がないとなかなか・・・損得の問題だけではモチベーションが続きません。謙遜した言い回しですが、ダーウィンの姿勢から大いに活力を頂戴した気がします・・・

展示の中でひとつ疑問が有りました。動植物の進化を説明する課程に「遺伝というキーワード」があるのです。しかしながら、遺伝の法則の学説の部分に、かの有名なグレゴール・ヨハン・メンデルの引用が全く無かったこと。中学の生物の授業で習う「メンデルの法則」は、ダーウィンとの関わり合いが全く存在しなかったのか?
その法則が発表された時期を改めて調べてみると1866年ですので、ダーウィンの「種の起源」1859年にとても近いのです。19世紀の学会論文は、発表と同時に世界中に知れ渡る時代であったみたいですから、お互いの存在を事前に知っていても不思議では有りません。この点が私は腑に落ちませんでした。

環境によって優勢遺伝、あるいは特別な形質のみが後世に伝えられ、その結果 新たな種や特徴が生まれてくる・・・その理論は「品種改良のしくみ」を学ぶ者にとって、無視できないバイブルであります。私がライフワークにもしている「グッピーの品種改良」には絶対避けて通れない要素なのです。うちの書庫にはその手の資料が色々揃っております。

ダーウィンの話題を経て、やっとグッピーの話題にとりかかる気になって来たのでした(笑)


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2008年07月08日   展示の新しい切り口


東京上野にある東京国立博物館に行って来ました。現在の展示内容は「対決 巨匠たちの日本美術」というもの。今回 展示の切り口がとても面白いのです。

従来多くの展覧会では、主役となる作家のひとり舞台。それが今回「対決!」と銘打っています。師弟・ライバルといった視点で、12組の巨匠作品を対に並べて双方の考え方や作風の違いを論じ、鑑賞の楽しみを提案しています。

こういう展示の見せ方は一組くらいでしたら存在しましたが、日本美術という大きなくくりで24人も集めて行うのは珍しく、大変良かったと感じました。ポスターも幾種類も作られ「○○VS□□」というキャッチはまるでプロレスの様です(笑)

日本美術・・・掛け軸や屏風絵、焼き物に彫刻などの鑑賞は、基礎知識や鑑賞眼などが有る程度無いと、理解も難しかったのが「対決」という切り口で見ることで 特徴が分かりやすいのです。

私が一番関心を持って見たのは「歌麿VS写楽」の展示。共に 江戸時代の浮世絵師として双璧をなす両氏の違いが、誰にでも分かりやすいと思われる比較で解説されていましたね。

そうそう・・・
今回もうひとつ大きな「対決」がこの展示に隠されていました。それは、最近美術館で定着した「音声ガイド」の声優陣。各作家ごとに一人ずつ有名声優さんが担当し、コーナー解説も含めると24人の声優さんがリレーして語ってくれます。ちょっとだけその豪華な声優さん達を紹介すると・・・
「内海賢二・古川登志夫・近石真介・玄田哲章・若本規夫・野沢那智・羽佐間道夫・池田秀一 etc.(以上敬称略)」 名前と声が分かる人にはその面白さが想像できると思います。

とても楽しい解説で良かったですよ・・・



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2008年07月22日  「崖の上のポニョ」


「崖の上のポニョ」を見てきました・・・今回は、子供同士の純真な「好き」という感情で結ばれた二人が、幾多の困難を乗り越えてハッピーエンドを迎えるはなし。映画として素直に楽しめました。夏休みの家族で見に行く映画としてお勧めです。リアリティのある環境設定の中で、ストーリーは良い意味で次第に荒唐無稽のディテールに移っていきます。小難しい説明などするよりも、子供の純真無垢な真っ直ぐな気持ちを動機の軸にして 先に進むのはよろしいかと感じました。CGを使わない手書きの柔らかいタッチが心に和みます。自然描写も美しくお約束の完成度です!

ひとつ驚いたのは、今回「大人の目にもティンカーベルの存在が見える」話なのです。つまり半島全体の住民が、ネバーランドへ行ける体験をするということ。これは夢落ちでは無いという意味では確信犯!?人智を超えた存在が自然の中に息づいている明確な設定ですね。この内容が、外国でどの様な評価を受けるか関心が高まります。トトロの様な妖怪(自然の精霊)であれば、ティンカーベルに置き換える事ができますので、存在するか否かは主観的な視点になります。天地創造の力を持った知的存在がいるとするならば、それはキリスト教などの思想とぶつかってしまいそう・・・感覚的に受け入れられるかどうかが不安です(考え過ぎかな?)これは日本人なら問題なく楽しめる所だと思いますが・・・

ノーチラス号の生き残りの設定があったりして、宮崎監督は古典的な冒険活劇話が好きなのだと改めて感じました。「限られた時間」の中では、物語の背景にある事情はほとんど描かれていません。見ていて「あれっ?」と思う疑問がありました。そこが、この映画のみを見て判断する子供達にどの程度伝わるでしょうか。まぁ 友情と冒険のわくわくが残ればそれよしとも言えますよね。そして、深読みするならば・・・一度「竜宮城(ファンタジー)」に心を飛ばした事のある大人が、何かを感じながら見て楽しめる内容とも思われました。

ちょっと気になったエンディング。アンデルセン童話での「人魚姫」は 大人の恋のやりとりがあり、その願いは成就せずに人魚は最後 泡となって天界に召されます。主人公の宗介(5歳)とめでたく人になったポニョの友情?は、この先もずっと続いていくでしょうか。そう考えてしまうのは、私が妖精の見えない大人だからなのでしょうね・・・



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2008年07月30日   ルパン三世は死んだのか?


そのスピリットは既に死んでいると言いたい・・・

「1971年に1stシリーズが始まってから 平成に入った今日まで 手を変え品を変え生き続けて来た作品。その間に監督が替わり、やがて担当声優諸氏も半分入れ替わった。長々と続いて来たのは設定とストーリーのパターンだけ。話の中に流れるテーマや雰囲気と言ったものはすっかり変容してしまった。それは1stシリーズの中盤においてすでに方向転換が図られたことからも明らかであると思われる・・・」

今週(2008.7/28)月曜から4日連続で、NHK BS11で1stを全話放映中・・・ちょうど見ながらこれを書いています(笑)今年は漫画アクションに「ルパン三世」が連載開始してから40周年になるそうですね・・・

私が支持したのは 1st 前半の演出を手がけた大隅正秋氏の作った世界観です。ファンの間では以前より周知であった裏の事情。当時 大人向けのストーリー展開に果敢に挑戦したが視聴率競争に敗れて去ってしまった。っで第二クールを宮崎駿氏にゆだねた経緯ですが・・・そこでルパン三世のタッチはコミカルな子供向け路線に変えられてしまった訳です。今日の放送ではついにその事情が電波に載りました。「裏の事情」が一般の公に出てくるまで30年以上かかったとは誠に非情なこと・・・でもNHKは良い仕事をしましたね。

今見ると37年前の動画の表現にはCGなど存在しませんし 一見?な表現もありました。でもこの場合、それは大きな問題では無いでしょう。どんなに技術や表現が進歩して見た目が素晴らしくなっても それは二の次でしかないと・・・一番の肝はそのスピリットに有ると私は感じます。最初に大隅氏が魅せてくれた演出は、ルパンワールドの価値を決定的に高めてくれたものと評価したいのです。ちなみにモンキーパンチ氏の原作は、アニメとは違ったパラレルワールドとしての存在かと。原作あってのアニメですが、それぞれ別物として明確な割り切りが感じられますから。

話の内容は地味であっても充分面白い展開はあるのです。ルパン三世はスーパーマンでは無いので、失敗もすれば後悔もする。そして必要とあらば人をも殺す泥棒家業。人間として魅力は有っても客観的にみて善人だとは言い難い。ハードボイルドだったのです。それで充分では無いですか?・・・1977年に続編として始まったテレビの第二シリーズは、ストーリーに荒唐無稽な悪ふざけが多すぎましたね。第三シリーズは最初の数話を除くと もうまったく無かった事にして欲しい存在レベル。あまた多くのOVAや映画、日テレSP版は個別の評価がバラバラになります・・・一貫して望むのは、主人公はじめ 多くの「登場人物の人格」をいじらないで欲しかったのです・・・
監督&スタッフが毎回入れ替わった「刑事コロンボ」における主人公の人柄は、ずっと最後まで貫かれていたでしょう?それはシリーズの肝なのです。 つまり1st以降のルパンは別人であり別の作品として見るのが正しい・・・

「彼だったらそんな判断はしない!」そう感じた瞬間に、作品の世界観は崩壊します。別物に見えるのです。これは有る意味 作品世界に入り込んだファンのわがままな意見(願い)で有ることも分かっていますが、そこを裏切られてはもう支持は出来ないのであります。同じ事は他にも言える。ウルトラマン・仮面ライダー・宇宙戦艦ヤマト・ガンダム・マクロスなどなど・・・

余談・・・
一切の資料が消失(封印?)して、詳細が全く不明の「ルパン8世」は一度見てみたい作品です。1982年に東京ムービーとフランスのアニメ会社が合作で作ったハズの異色作。当時 制作発表記事を「OUT」で読んだ覚えが有るのですが。五右衛門の末裔が放つ「宇宙斬鉄剣で宇宙船を真っ二つ」は是非見たかったシーンでありました。数話分作られたと耳にしておりますが何処に行ったのでしょう??

感心した事として・・・
アニメ「ルパン三世」のエンディングに表記されていた「東京ムービー」オンリーのロゴが、再放送の機会に「トムス・エンタテインメント」に全て差し替えられているのは 流石というか徹底していると言うか(この辺りはアニメ業界変遷史の都合です)

写真(左側)は1982年発行のルパン同人誌。
記憶が正しければ、早稲田大学の文化祭あたりで手に入れたもの!?なんと大隅正秋氏本人へのインタビューはじめ、テレコムアニメーションスタッフへの取材まで多々あります。版権をクリアしたと思われる資料もたっぷり入っているし、1970年代の時代考証なんかもかなり詳しく調べあげてあり脱帽です。これぞ同人誌!当時の大学生のバイタリティは恐るべし!であります。(右側)は先頃出た40周年記念のオフィシャルブック。私は好きなモノに対しては 小金に糸目は付けないのであります(笑)

最後にダメ押しを一つ。峰不二子の声は二階堂有希子さんで通して欲しかったなー


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2008年08月06日   ハンス・ベルメール考



「ベルメールが・・・」というと大抵の人は「フェルメール?」と聞き返す事でしょう。

オランダの画家 ヨハネス・フェルメール氏は 特に日本での人気が高く、今夏も東京都美術館にて企画展示が行われています。十数年おきに日本にやって来ているのでは無いでしょうか。緻密な西洋絵画として大変美しい描写です。私は オランダに旅行に行った時に、現地の美術館でいくつか鑑賞しました・・・

でも本題はベルメール氏の方。この作家は少々風変わりな作風であるため、あまり日の当たる場で語られていない様に思います。日本では 人形作家の四谷シモン氏の作品を解説する中で 引き合いに出されているので、その名を見かけますね。でも発想としてオリジナルなのはハンス・ベルメール氏の方です。どういう作家なのか?と言うと、人形を使ったエロティシズムを生涯追い求めたアーティスト。主に活動していたのは1930年代。当時は変人扱いされていた様です。人形制作と写真集をわずかに発表しただけなのに、戦後その評価が次第に大きくなりました。その辺りは、少しでも関心のある人ならば、どこかで見かけた事があるのではないでしょうか?彼の展覧会は、二十数年前に一度都内で開催され 一時的に話題になりました。無論 見に行きました。
それでも 未だにいかがわしい類の作家として扱われている様です。まぁそういう面も確かにありますけれど・・・

球体関節人形の創作者

近年では、人型アンドロイドのデザインの中にベルメール氏の発想が多々見受けられます。たとえば、攻殻機動隊の映画「イノセンス」にはストレートにそのデザインが取り入れられました。ベルメールファンである四谷シモン氏本人がディレクションに参加しています。また、最近アニメーションでも人気の出た「ローゼンメイデン」でも、球体間接人形の存在は また「然り」かと思われますね・・・

西洋人形の担っている存在価値は、時に「亡くなった子供の身代わり」だったり、愛情の対象の写し身だったりする様ですが、オタク文化が根付いた?日本では受け入れやすい土壌があると感じられます。フェティシズムの領域かと思います。特にアキバ系フィギュア人形との関わり合いは何処かにその繋がりが有りはしないか?そして、昨年よりブレイクした「ボルテック」なる関節可動フィギュアのギミックの発想の発端には、ベルメール人形からの影響を疑います・・・

どんなジャンルであっても、必ず創始者や最初の発想者が存在することは、傾聴に値することではないでしょうか。久しぶりに資料集を眺めながらそう感じました・・・


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2008年12月08日  「ウォーリー」良い映画でした・・・



私が見に行く映画は、SF特撮/アクション/戦争/オカルト/アニメーションとジャンルが少々固まって来ております。だいたい年に10本は見に行っています。最近のセレクトは退廃した時代設定の映画がやや多かったかも。そんなものを見た後に気持ちが穏やかであるはずがありませんね(汗)・・・刺激が欲しいといった要求からなのでしょうけれど・・・先日見た「崖の上のポニョ」なんかは家族向きの一般ジャンルなのだっけ?(あれも街が水没する映画です・・・)

アニメーションに関しては、かつては日本アニメでは無く、ウォルトディズニー製が定番だった時代があります。「白雪姫」や「百一匹ワンちゃん」「ファンタジア」の頃ですからかなり昔ですね。主要な大手映画館で定期的にリバイバル上映がくり返されたものです。その頃に見たディズニーはとても夢を感じました。実写の映画では「メリーポピンズ」なども良かったです。ご時世が、希望のある時代だったのも影響していたのでしょう・・・とにかく新しい何かを感じて気持ちが豊かになったと記憶しています。

・・・いつしかディズニーには商業主義の色合いが濃くなってきて、次第に私には鼻に付くように感じ出しました。ちょうど日本にディズニーランドが出来た頃からだと思います。映画とアトラクションがセットになっておもちゃを買ってくれというパターン?商売するのが悪いと言うのでは無く、ルーチンワークに乗って定期的に配給するものという商売色が強くなったのか??そこにある感動は何かわざとらしさを感じました。一言で言うならば「せめてもっと旨く瞞してくれれば良いのに」と思った・・・
酔えなくなったのです(大人になったからティンカーベルが見えなくなったのでは無いと思います)

「ウォーリー」は予告編に何かを感じたので前売り券を買いました。
今日見てきました(これも・・・人類が去った退廃した地球が舞台です)

ディズニー製となっていますが、実はアップルコンピューターのCEO スティーブ・ジョブス氏が育てたアニメ会社 ピクサーの制作です。まぁそれはどうでも良いか・・・

余計な事を考えずに気楽に構えて見ましたが、ほんとに久しぶりに良かったと素直に感動出来ましたね。「出来ました」という言い方は制作者に失礼です・・・でも、思いがけず感動したのであえてそう言います。なので・・・キャラクターグッズも迷わず買いました(笑)

「ウォーリー」はとても良いと感じた映画でした。特に家族で見に行けるお勧めのお話です。あと、専門学校で3DCGを学んでいる人には是非見て貰いたい・・・
始まったばかりなのでコメントはそれだけにしておきます・・・


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2008年12月24日  クラトゥ・バラダ・ニクト



映画「地球が静止する日」を見ました。

・・・と言っても、今公開されているキアヌ・リーブスの新作では無く、マイケル・レニー主演の旧作の方です。1951年度版。レトロ感が漂うモノクロ映画であります。

昔のSF映画は、現在の様なCG特撮もまだ無く、目を引く様な映像を売りにはしていません。それでも十二分に楽しめる娯楽映画だと感じます。どこが良いのかと言うと・・・昔の時代背景が垣間見えて、現在とどの様に違うのかが興味深いところでしょう。半世紀ほど時代が違えば、町並みの風景やファッション・人の考え方なども全てが違って見えます。ワシントン市の町並みがとても魅力的でした。古き良きアメリカの暮らしのイメージが全体に漂っています。地球上の全ての電気が30分だけ停止するという発想は面白いのですが、ガソリン等の燃料エネルギー機関も同時に止まるのは理屈に合いません。その説明も劇中に一切無し。不思議です(笑)

2008年度版の方はまだ見に行っていませんけれど、何でも作品のテーマはかなり変えられているらしい。旧作が米ソの冷戦状態を背景に、原子力エネルギー利用への警告が主なものでした。新作の方は、人類の文明と自然環境との対立軸が視点に入っているそうです。前売り券をすでに買っていますので、こちらも近日中に見に行ってきます。

表題の「クラトゥ・バラダ・ニクト」は、地球を破壊する力を持ったロボット「ゴート」を止める為の呪文。恐らく造語なのかと思います。メカデザインは今見るととてもダサくて恐怖を感じるレベルでは無いですね。でも 小学生の時に、テレビの映画枠で見た時には充分怖いと感じました。やはり時代と共に自分自身の感覚もしっかり変化して来たのだと感じます・・・

蛇足ながら・・・OAV版のジャイアント・ロボにある「地球が静止する日」のサブタイトルは、この映画に対するオマージュ&パロディかと思われます。こちらのストーリーは、新エネルギー機関のシズマドライブが停止する中、唯一原子力で動くジャイアント・ロボが人類を救うという話です(オチをバラしてしまいました。スマソ)


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2009年01月06日  クラトゥ・バラダ・ニクト 2



「地球が静止する日」 2008年度版

昨年末に1951年度版の方をビデオで見ておりましたので、新旧の違いが良く分かり面白かった。これはいっその事 同時上映二本立てでやればいいのにと思います。やはり、新作での描き方は、CGの見せ場が良くできていますね。ロボットのゴートが巨大になっていて、モノアイの表情にも迫力がありました。「天空の城ラピュタ」のロボット兵ぐらいの大きさがあります。一番表現に違いがあったのは、地球にやってくる宇宙船のデザイン。CMでも既にやっているので触れますが、光る球形の玉が降りてきます。メカというよりエコロジーへのメッセージを具現化したかの如き表現です。

総じて、ビジュアル的には素晴らしかったのですが、原作に込められていたメッセージ性は旧作の方が説得力があったと感じます。それは、最近のハリウッドSF映画の傾向かも知れません。映像の出来具合が先行しがちです。肝心のストーリーはまあまあ破綻しない程度の流れで及第点だったかな・・・

キアヌ・リーブスは、マトリクスの時のイメージが強すぎて クラトゥになりきっていない様に感じてしまいました。昔のマイケル・レニーの方が冷淡な観察者としての役が出来ていましたね。驚いたのは、ヒロインのジェニファー・コネリーが相変わらず美しいこと!「フェノミナ」でデビューした時は、絶世の美女かと思いましたが、年を召されても印象が変わらないとは恐れ入りました・・・

今作では、ゴートの動きを止める呪文「クラトゥ・バラダ・ニクト」は ラストの切り札にはなりません。気になる方は是非劇場へ足を運んで確認してください(笑)


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2009年02月7日  フラジール 〜さよなら月の廃墟〜



考えてみたら私が純粋にゲームソフトの話をするのは初めてですね。
フラジール ~さよなら月の廃墟~というタイトルを買いました。
任天堂 Wii 用のソフトです。

最初 専門学校のゲーム科の教室で そのパッケージを見かけた時から何かを感じました。ほんとに久しぶりに関心が高まったので、まずはお試しで数日ほど借りてやってみた。そうしましたらこれまた実に久しぶりにはまりました。1ステージだけ進み ソフトを返却した日に自宅用を買いに行きました・・・

私はどんなゲームが好みか?と言うと、ドラマ(ストーリー)に情緒のあるものが好きです。そうなるとRPGとなりますが、情緒を感じるものはホラーやバイオレンスものが多く?正直言って ジャンルとして好きでは無いのです(汗)過去に素晴らしいと感じたのはプレステ2向けの「僕の夏休み」という、子供が田舎に帰省して自然に遊ぶという内容のもの。プレステ2ハードを持っていないので、自分の家でプレイした訳ではありませんが・・・店頭で見たときに、これは発想が素晴らしく良い内容だなと感心しました。似たようなタイトルを探してみると、これが意外と見あたりません。五月蠅いことを言うと、絵柄があんまりコミカルでも食指が動かないのです。

それが・・・フラジール ~さよなら月の廃墟~ではドラマ性と情景描写にとても情緒があると感じました。メディアのレビューを読むと、廃墟を探索するというジャンル自体も異色なのだそうです。そして、今回わざわざ買ってまでやりたいなと感じた理由に、Wiiの操作(インターフェース)と作中の設定のマッチングがとても自然で、煩わしさを感じないのが良い。私見ですが、前に進む=ボタンを押すという動作が感覚的に一致しません。ジョイスティックを前に倒せば前に進むという方が納得できます。そういう意味でPCゲームはキーボードに動作が割り当てられているので嬉しくありませんね(苦笑)

廃墟をうろうろするのは、有る意味ホラーっぽい雰囲気ですけれど、これは怖さを売りにはしていません。ゲームを早くクリアする目的ならばサクサク進むべき所を、ちんたら歩き回ってそこにしばらく留まったりして楽しんでおります。何度も同じ場所を訪れるとバーチャルであっても、私の感覚の中にそこへ旅したかの様な錯覚が生まれます。そういう情緒が好きなのです。だから有る程度のリアリティを設定に期待します。

現在まだレベル4で階層も浅い場所におりますが、ゲームで時間を過ごす楽しさを感じています。余談ですが・・・インパクトを感じると、私は直ぐにその印象を夢で追体験してしまう。昨晩は、暗い大きな建物の中を出口を探してうろうろする夢を見ました。

情緒を楽しみたいので・・・
ゆっくり時間をかけてクリアしていきます。続きをレポートするかどうかは未定です(笑)

フラジール ~さよなら月の廃墟~



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2009年02月09日  EXPO'70 大阪万国博覧会 1



昭和45年の日本は・・・
高度成長時代にあって、科学技術への明るい展望があり、それは将来への夢や希望となって世間に溢れていましたね。子供心にもそれがしっかり感じられる世情でした。公害の問題は有りましたが、それ以外は良い環境であったと記憶しています。そんな時に行われた一大国家イベントが有りました。

EXPO'70 大阪万国博覧会

数あるお祭りやイベントの中でも、これほど私にインパクトを与えたものは他に存在しません。当時私は小学生でありました。親に連れられて見に行ったそのお祭りで見たものは・・・全てが興奮度100%の刺激が満載!ほんの数日間の間に、頭に流れ込んで来たイメージや情報の数々は、恐らく 私のおつむの許容量を超えていたと思います。理屈とかはさっぱりでしたが、とにかく綺麗で魅力的なものをたくさん見て来て、価値観さえ変わりました。どんな見識が養われたかと言うと・・・

デザインや映像の面白さと科学技術の可能性

その後は・・・もう必然的に好きな勉強は美術と科学(理科)の時間になりました。同時に漫画やイラストなどを含むグラフィックに目が向いたのは言うまでもありません。まだテレビゲームやパソコンが無かったので、表現できる手段は限られていましたが・・・その辺りが私の出発点(動機)であります・・・

ここ5〜6年ほど、メディアでも昭和レトロの回顧録が多くなりましたよね?
度々 大阪万博の話が出ています。
私はやはり無意識にも反応してしまいます。あの時代そのものにパワーが感じられました。そこから今のしょぼい平成にちょっとLPをチャージ出来たらいいなと考えてしまいます。

上:その当時のガイドブック
中:最近出ている雑誌
下:太陽の塔の内部イラスト(中を歩いた記憶が今もハッキリあります)


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2009年03月06日  「土門拳の昭和」写真展



日本の昭和を代表する写真家は大勢いますが、土門拳氏もその一人でしょう。昨日、東京日本橋三越で行われている氏の写真展を見てきました。

土門氏は晩年の「古寺巡礼」での仏像の写真が特に有名です。一方 戦後の日本の時代そのものに レンズを向け続けたジャーナリストとしての視点を持った作家です。今回、既刊の写真集には無い昭和のスナップが多く展示されており、大変興味深いものがありました。特に太平洋戦争の最中に、徴兵出兵でお国から送り出される若者の表情を写したスナップ・・・厳しいご時世の空気がしっかり記録されています。

今回 プロの写真家として活動を始めた修業時代に触れる部分があります。名取洋之助氏主宰の「日本工房」の社員としての立場。その活動は詳しく知らなかったので特に関心が高まった部分。私個人の感想として・・・日本の近代ジャーナリズムに写真の意義を強めた功績者は、名取洋之助氏だと感じています。でも、名取氏は、日本の軍国主義を支持し加担した責任を問われた経緯があり、その写真家としての評価に影をさしています。結果、その組織「日本工房」が果たして来た仕事の客観的な評価までも、闇に葬られているのでは無いか?と感じる次第。その活動の中において、土門拳氏や木村伊兵衛氏、藤本四八氏といった後の巨匠たちや、熊田五郎氏という日本デザイン界を切り開いたパイオニアがいた訳なのですから・・・もっと世間で語られて然るべしかと思います。

土門拳氏のエッセイや書籍は有る程度目を通してきました。そこに「日本工房」時代の回顧録はあまり無かった様に思います。今 目の前にある現実とどう向き合うか?という厳しい視点が常にある。もしかしたら、言い訳をせず過去も振り返らないという意識であったのか?そして、戦後 社会体制の裏側で虐げられた人たちに積極的にレンズを向けた動機がどのようなものであったのか・・・そんな思いも深くして展示写真を見て回りました。

自分がまだ生まれてもいなかった過去の一時期、そこにどんな人たちが生きて、どんな事件が起きていたのか・・・そういった事諸々全てが写真の中に残っていました・・・


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2009年05月02日  「スカイ・クロラ」



昨年夏の邦画の中に注目のアニメーションが二つありました。ひとつは「崖の上のポニョ」、もう一つが「スカイ・クロラ」。前者は公開中に見てきました。後者は先日DVDを借りてきてやっと見ました。とても面白かったので真面目に検証と考察を・・・

一昔前と近年ではアニメーションの作りが随分変わってきたなと感じます。

アニメーションが子供向けのカテゴリーで語られていた時分では、起承転結が明確で、主題はシンプル・・・ハッピーエンドであることが当たり前の作りが多かったような・・・?それが近年では アウトサイドストーリーが増えた〜本編から離れた小さなエピソードにスポットを当てて描く話が、アニメでも成立する様になりましたね。主観視点の発想が受け入れられる様になってきたのでしょう。スカイ・クロラは、あえて世界観を曖昧にした状況で 個々の群衆の生き様を情緒的に描いています。それは黒澤明監督の大局から見る様な視界では無く、小津安二郎監督作品にある「何気ない日常」からふっと切り取った穏やかな時間の流れに近い表現・・・物語は解決に向かわない。辛く苦しい毎日が未来に続く・・・文学的な情念が漂っています。

内容について少し・・・
主人公は、戦争そのものに何かしらの意見やこだわりを持つわけでもなく?歳を取らずに不老不死である自分たちの境遇に疑念?を持って生きている。単なる永遠の命は希望に繋がらない・・・生きる視点が内側を向いています。それを見守ってくれる周囲の存在がいるから心が救われると思いきや、最後は記憶をリセットするかのごとき振る舞いに。動機付けは誰かを助ける為なのかも知れない・・・それは他人を生かす為の自己犠牲であって、結局死に向かう行為です。戦争に直接手を下さない「大人」たちは傍観者として設定されていますが、それはそれで虚しくて儚い存在。総じて戦争の無常観が漂っている・・・
やはりそれは日本人の死生観からきているものの様に感じました。ヴェネチア映画祭にも参加した作品とのことですが、原作者と押井守監督の主観が強く出ている様な気もして、海外でどのくらいの評価を受けるかは何とも計りがたい。そうした部分はアニメーションだからという要素では無いのです。スカイ・クロラはアニメ手法で作った真っ当な映画でありドラマでした。私はそのストーリーを純粋に楽しむ事が出来ました。

あえてアニメの部分に触れると・・・
ここ10年程の間に、アニメーションの表現手法はCG技術を取り入れて大きく進歩したと感じる。その過渡期には何だか整合性の怪しいものも結構あった様に思います。例えば手描き風のいわゆる漫画タッチの人物とCGでレンダリングして作ったメカの雰囲気がマッチしない作品・・・その最初の走りでもあった「ロスト・ユニバース」というシリーズはかなりちぐはぐで 違和感を感じました・・・そうした部分は、近年のアニメーションでは随分改善されています(一部のローコストな作品では今でも散見されますが)スカイ・クロラには視覚的な部分のバランスがとても取れている見栄えのする映像美がありました・・・

横文字のタイトルは「The Sky Crawlers」で複数形。
主人公はひとりでは無く、苦しみを分かち合う仲間みんなの意識の総体なのかも・・・


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2009年06月05日  「昭和のゲームセンター」



昭和の香りの残る観光地に行くと、まだ残っています。
昔に流行った「ゲームセンター」が江ノ島の駅の近くに有りました。
それもエレクトロニクスに頼らないメカニカルなゲーム。

射的・パチンコ・スマートボール

射的は地方の縁日に行けば、まだ残っている所があると思います。
台の上に並んだ景品を「コルク玉の空気銃」で打ち落とす遊びです。
玉のチャージは手動のスライド式のレバーを引いて1発ずつ行うもの。
弓矢や吹き矢を使って行う射的も存在します・・・
景品の中にエッチなプリントが入ったジッポーのライターが(必ず?)
並んでいるのも記憶にあるままでした(笑)ライターは直撃しても
まず倒れません。そういうものらしい。他の札をたくさん落として
点数分を溜めないとゲット出来ない仕組みなのだそうです。
簡単に高い景品を持って行かれたらお店が潰れてしまいますからね・・・

パチンコは今でも普通にあるゲーム機ですが・・・
昭和中期のパチンコ台は電動ではありませんし、ポケットがあるだけです。
平成世代の人は見たこともないと思いますが、玉を打ち出すレバーは
スプリング式の手動タイプで一発ずつ指ではじき出します。
私は親について行った時にちょっと触らせてもらった記憶が有る程度の
古〜い機種なのですが「ああっ、確かにこんなのだった!?」と
懐かしく想える存在であります。
チューリップに玉が入ってジャリジャリ〜ン♪という金属的な音が
何とも昔を感じさせますね。このパチンコ台が流行っていた時代は
パチンコ屋と言えば「軍艦マーチ」が流れているのが相場でした。
これが分かる人は私と同じ世代かそれ以上の年配の方でしょう・・・

スマートボールは私もわずかに記憶がある程度です。
昔はゲームセンターに入るのは不良だというお達しが学校で出ていた
時代には、子供は当然そこには入れませでした。小学生の視点からすると
スマートボールをしている人たちは皆大人に見えました・・・
それが なんだか戦後のアメリカっぽいイメージが私にあるのは何故か?
石原裕次郎の映画かなにかにこういうのが出てくるシーンがあったかな?

写真はゲームをすれば撮っても良いと言われましたので、それぞれ
1回ずつ楽しんでから撮りました。射的で落とした札10枚で景品を
ゲットしましたが、それは私が小学生の時に遊んでいた正にそのもの
でした。もの凄く懐かしい!この景品、今でも作っているのでしょうか!?
(景品のおもちゃは後で追記で載せます)

鎌倉に行って思わず触れることができた昔のゲームは、
子供時代を思い起こすとても懐かしいひとときでした・・・

SIGMA DP1 ISO200〜400 MF プログラムモード RAW


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2009年07月03日  キャラクタービジネスはおいしい



現在劇場公開されている「ヱヴァンゲリヲン 破」は大変好調らしいですね・・・
テレビシリーズの続編として作られた旧作の映画が公開されたのがもう11年前。私は渋谷文化会館の渋谷東急に見に行きました。ラストがアダムとイヴから始まる人類の再生(罪の繰り返し)を暗示するもので、意味深な暗い終わり方だった・・・それでも、ガンダムやマクロス以来の社会現象だとも言えるレベルで話題になりましたね。

アニメファンの視点からはちょっとズレますけれど・・・
エヴァンゲリオンは色々な意味で実験的な試みがあって見どころがありました。まずデザインセンスをアニメの設定に真面目に生かした作品であること。それまで文字(タイポグラフィ)は副次的な扱いでしか無かった・・・そこに微妙なニュアンスを持たせる配慮をやったんですね。しかも横文字だけでは無く、明朝体の漢字に主張を持たせて表現したのにはとても感心しました!それはエヴァンゲリオンのLD(レーザーディスク)盤のジャケットにとてもよく現れています。文字のレイアウトで魅せるやり方は、海外のモード雑誌なんかでは普通に見かけるセンスだと思います・・・でも、かつてのアニメ業界にはそういうアイデアを受け入れる発想?があまり無かったのでしょう。控えめに使うことはあっても、それ自体を表現のこだわりに使えるご時世では無かった?・・・タイトルにある「エ」と「ヱ」の違いにしても、一般からみれば「それがどうかしたのか!?」という見られ方をするレベルかと。でも微妙な違いを理解するファンが増えてきたので、作者のこだわりをしっかり見てくれる時代になった。それが凄いことなんですよね。平成に入ってからとそれ以前では、世代にかかわらず、作品の読解能力にかなりの変化が見られます。つまり作り手だけでは無く、視聴者も一緒に感覚を高めてきたのだろうと言うこと。

それと、最近ではやっとキャラクタービジネスを戦術として理解できるスポンサーが増えましたね。その背景にはちゃんとした理由がある。もう20年近く前ですが、最大手の広告代理店の「電○」がこんなリサーチをやりました。スヌーピーやミッキーマウス・日本の漫画のキャラクターなどを一覧にして「商品にこのキャラを使った場合、あなたの関心度に変化はありますか?」と・・・つまり、キャラは広告の武器になるかどうかの根拠を調べたのです。半世紀近く歴史のある外国の有名なキャラは当然知名度が高いですが、日本にも「鉄腕アトム」や「ドラえもん」、それにサンリオなどのオリジナルキャラが生まれて人気を博しています。言い換えれば有能なサンドイッチマンに使えるかどうかがポイントでした。その結果、早くから導入されたのがカード。個性を持たせるためにキャラクターデザインを導入しやがて一般化しました。私が持っていた三和銀行のカードは、ワンサくんでは無くスヌーピーになりました(ワンサくんは手塚プロが作ったオリジナル。三和の逆読みから生まれ アニメにもなった。)

商品そのものの価値では無く、キャラクターにPRさせる事で売るのはズルいでは無いか?と言う人がいますが、広告をつくる立場から言わせてもらうと、それは確信犯としてやっているのです。もはやストレートに「見てください、買って下さい」と言うだけでは話題にもなりません。どうしたら売れるのか?が一番大事なポイントですので・・・

だから「にんにくラーメン チャーシュー抜き」が売れるのは当たり前!?日清さんもよく企画にのりましたね(笑)何も言わなくても分かる人には伝わります。これは たとえラーメンが美味しくなくても売れるのだ・・・


写真は10年前のカルビーポテトチップス 特大ロング缶と映画のDVD
私もしっかり隠れキリシタンやってます(苦笑)


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2009年07月04日  久しぶりのカプセル玩具



今やコンビニの棚の「食玩」は、チョコエッグブームの頃に比べれば激減の様相です。それでもガチャガチャのカプセル玩具はまだ健在で、至る所で見かけますね。以前に「石膏デッサン入門」シリーズというよく出来たミニチュアをいくつか買っていました。集めたのはブルータス・ジョルジュ・セント ジョセフ・メヂチの四つ。その後は買わずしばらく忘れておりました。このミニチュアは、原型を芸大生が作ったとのことで もの凄く出来が良いのが特徴。

最近・・・うちの近所の薬局前になんと「石膏デッサン入門」シリーズ第二弾が設置されておりました!思わず一つ買ってしまった。コレ一つ300円もします。カプセル玩具としては少々高め。出て来たのは「アポロ」でした。

この「アポロ」はとても貴重です。何で?と言うと、実物自体を滅多に見かける事がないからです。美術室の石膏像としてそもそも流通量が少ないのだそう。当然私は一度も描いたことがありません。この玩具のシリーズの名は「石膏デッサン入門」ですが、ちょっと小さすぎてデッサンするには厳しい。

第二弾のラインナップはなかなか魅力的で、私の欲しいものがたくさん入っています。パチャント・ゲタ・ガッタメラータ・ラオコーンは是非棚の列に並べたいなー・・・


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2009年07月08日  駄菓子屋さんのおもちゃ



かつて身近に必ずあった駄菓子屋さん・・・
薄暗い店内に所狭しと並べられた駄菓子やおもちゃは、子供にとって宝の山でした。プロマイドカードは一枚10円から有りましたし、遊びに使うものも一通りそこに揃っておりました。どんなモノがあったかと言うと・・・

面子(メンコ)  → 昔のトレーディングカード
ベーゴマ     → ベイブレードの元祖
紙飛行機     → 簡単な組み立て式 よく飛んだ!
プロマイドカード → 怪獣のカードなんかが人気でした 葉書サイズ
モデルガン    → 銀玉鉄砲や水鉄砲なんかが定番
蝋石(ろうせき) → 昔は石壁や路上がフリースペース代わり(軽犯罪)

駄菓子      → 遠足のお菓子はもちろん駄菓子で揃えます!

まだコンビニなども一般的で無かった時代では、駄菓子屋さんが子供たちの集合場所であり、新しい情報の発信基地でもありました。数百円の小遣いが入ればすぐに直行して何か新しいものが無いかどうか探したものです。

最近ではデパートなどのフロアの一画に「駄菓子」コーナーが設けられることがあります。写真は先日立ち寄った駄菓子コーナーです。その中から・・・驚くのは水鉄砲は30年前に見かけたものとほぼ同じものであること。恐らくこれと言ったモデルチェンジも無くずっと作られているからでしょう。蝋石は少し細めのモノが売っていました。ベーゴマは薄いのと厚いタイプがありましたが、ヒモがセットになっていません。いくつか買いましたが、店番の若い女の子はひもについて一言もサポートしてくれなかった・・・コレが何だか分かっていないのかもしれません。まぁ仕方ないかな・・・

私の方も、買ったベーゴマは 裏返して「インシュレーター」の代わりにしようなど考えておりますし。蝋石は アパートの前に違法駐車する人が居たら 路上に警告文を書くのに使いましょう。水鉄砲は害虫駆除用。スミチオンを薄めて入れて毛虫をピンポイントで狙うのに使おうかな。ああ、使い方が全部大人の発想だ!嫌だ嫌だ(苦笑)・・・

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2009年07月15日  実物大 RX-78 ガンダム



お台場に行ってきました・・・
ちょうど今 リアル実物大ガンダムが展示されています(喜)

企画は創通(旧 創通エージェンシー)とサンライズ。
設定はファーストガンダムのものであります。

先週から一般公開され始めたのでちょっと焦っておりました。
何しろ来週になってしまうと、学校が夏休みに入るので 子供達が涌いてきて間違いなく混むでしょう。会場のお台場 潮風公園に行くには、唯一の交通機関「ゆりかもめ」に乗るしかありません。大勢が押しかけたら駅前に長蛇の列が出来るに決まっています!?なので、今週行くしかないと踏みました・・・

・・・っで 行ってみて正解!人混みは想定の範囲内でした。
平日の昼間は子供も少なく、集まっているのは私と世代の近いややメタボになった人たち。何しろファーストガンダムは祝30周年であります。もうそんなに経ったのですね!ガンダムはもちろん最初のRX-78ですが、細部は色々ブラッシュアップされていて細かなディテールが付加されていました。特に背中のランドセルに付いているバーニアノズルはとても良くできています。制作はディスプレイ制作の大手「乃村工藝社」。ものすごく良い仕事してますね・・・

何と言っても 設定通りの全高18メートルの高さは圧巻です。モビルスーツが実在したらこういうアングルで見上げる事になるのだと肌で体感できました。ゲームソフトで歩兵がモビルスーツと戦う局地戦の設定がありますが、その世界観をしっかり感じることが出来ます。今まで 部分的なパーツレベルで実物大を唄ったアトラクションはありますけれど、目の前にそびえ立っている事の意味は大きいのあります!時々可動部分を効果音とともに動かすアトラクションがあるのですが、ちょっと物足りなさが漂います。贅沢をいえば一歩でも歩いてくれないかなー(願)

公開展示は今年の8/31までとの事です。壊してしまうのはもったいないので、その後も別の場所で見かける事になるのではないでしょうか。そして是非・・・次はザク MS-06の実物大を作ってもらいたいと思います。もちろんガンダムと対峙する構図でよろしくお願いしたいですね!




FUJIFILM S5Pro Nikkor AF-S 18-200 F3.5-5.6G ISO100 プログラムモード +0.3〜0.7EV



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2009年07月26日  時を超えた作りかけのプラモデル



このところ、ある捜し物があって昔のアーカイブを掘り起こしています。そうしましたら、物置の箱の中から作りかけのプラモデルが出て来ました。記憶を遡ると・・・それは事情があって一旦封印したまま忘れていたもの。よくぞ ほぼ無傷で保管されていたものだと驚くばかり・・・

前置き・・・私が立体物(模型)を作らなくなってから随分時間がたちました。造るのに飽きたのではなく、限られた時間をこれ以上分散させない為の割り切りで止めたのです(実際 趣味が多すぎるのだ! 汗)ちなみに私が大好きだったのは「日本海軍」の戦艦でした。当然その手の本は数多く目を通し、有る程度詳しくなりました。一部の参考書籍は今でも書庫にちゃんと残っています。内容が戦争もので暗い歴史の遺物でありますけれど・・・甲板に木材を多用していたり、今見ると視覚上なんだか面白い感覚。メカの機能美として格好良いと感じる意識があるのです。その辺りはガンダム好きと同レベルの発想でしょうね・・・

ひとつだけ紹介・・・大好きだったのは空母「赤城」
もともと巡洋戦艦だった船体に 後から飛行甲板を追加して艦種変更した珍しい改造空母です。外見からは見えませんが三段式の甲板(後期型は再改造して平らに)がある独特な造りでした。1942年6月のミッドウェー海戦にて米軍の急降下爆撃機の攻撃を受けて沈没したとのこと・・・等々を、1隻ずつ資料を作って自分の図鑑も作っていましたね。

うんちくを垂れていると長くなるのでプラモの本題。昔からある海軍船舶のプラモデルと言えば言わずと知れた「1/700 ウォーターラインシリーズ」があります。これは喫水線から下の艦底部分を切り取って、テーブルの上に置ける様にした仕様です。日本海軍だけでは無く、世界中の海軍船舶がメーカーのラインナップの対象でした。その数があまりに多いので、四社のプラモ会社が分担してシリーズを作っていた・・・

私は日本海軍のみ制作対象にしていました。先に述べた空母「赤城」も中学生の頃に作って、その後10年位は本棚に飾ってあった。いつの間に処分してしまったんだろうか?色々思い出したので前置きが長くなってしまった・・・

今回出て来たのは重巡洋艦「利根」と「高雄」、それに航空戦艦「日向」だと思われます。この3隻の共通点は、水上艦載機を多めに積んだ戦術的作戦向けの船舶だということかな。私のこだわりでセレクトしてあります。そして・・・1/4世紀以上経っているのについこの間組み立てていたかの様な雰囲気が残ってますね。1次塗装をして軽くくみ上げてあります。できれば完成させてあげたい所ですけど、残りのパーツが何処にあるのか不明です。もしかしたら運良く作りかけの本体だけが残ったのかも知れません。

またパッケージを買って、残りは老後の楽しみにとっておきましょうか(笑)箱は元の場所にまた封印しました・・・



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2009年07月29日  映画「 20世紀少年 第三章 」



本日公開の第三章を見てきました。ネタには触れずコメントします・・・

三部作全部映画館で見ましたが、少し間延びを感じた第二章から よくぞ話にまとまりを付けて終局に持って行ったなというのが正直な感想です。あちらこちらに散らばったエピソードのピースがちゃんと組み合わさってドラマになっていましたね。

私は原作のコミックを最後まで全部読んでいた訳では無いので「ともだち」が誰だかは知りませんでした・・・何故世界中の人々がマスクを被った謎の人物に陶酔してしまうのかは、この際あまり突いても仕方ありません。原作者もそこが一番のポイントでは無いとインタビューでコメントしていた様に思いますし。

この作品の魅力は謎解きよりも、色々な過去と記憶が入り交じって現在が作られている不条理な部分にあると感じます。子供の時に受けた想いは大人になっても忘れない・・・多くの動機づけは感受性の豊かな年頃にしっかり作られているのだというイメージ。その部分はとても納得ができるのだ。要するに良い時代にいい思い出に恵まれるかによって「夢」が見られるかどうかに大きな差がつくのだろうと言うことかな。私自身が小学生の時に、大阪万博に行って多大な影響を受けてデザインに関心を持った話は以前しました。(↑EXPO'70 大阪万国博覧会)

「20世紀少年」はその辺りの感覚をくすぐって「記憶」を価値のある「情感」に転嫁させる演出があり心憎いと感じました。近年「三丁目の夕日」などノスタルジックを売りにした作品がやや目に付きますけれど、それは単に懐かしいというだけでは無いのです。今現在の世の中がどこからやってきたのか、その源流を再検証している様に思います。そういう意味では「20世紀少年」はそのタイトル通り、昭和世代にメッセージを贈るものでしょうね。平成以降の世代の人たちに、昭和の泥臭い実体験は無いですから、「21世紀少年」にあたる物語は、また別の誰かが描く作品に期待すべきです。でもそれはきっと表面の衣が目新しくなるだけで、コンセプトは不変であることでしょう!?

あと、映画タイトルの見出しにある「本格科学冒険映画」とありますが、そこをどう捉えるかによって、この作品を稚拙に評価するか楽しいエンターティンメントに感じるかの違いが出てくるかもしれません。SFでも無く 特撮を売りにするものとも色合いが違うと私は思う。最初から超大作を期待して見ない方が楽しめると思った次第。そう言う意味で、この晩夏を飾る映画であります。

テレビやDVDで第二章まで見た人にはお勧めできる映画です。



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2009年09月25日  「猫まんが」が面白い・・・



アニメ「チーズスィートホーム」の第二期放送が終わりました。正味2分半ほどのショートでありながら、そこに起承転結を盛り込んだほのぼのストーリーです。なかなか面白かった(笑)原作は講談社モーニングに隔号掲載のフルカラーコミック。

公式サイト 
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/chissweet2009/
http://morningmanga.com/chi/

うちは元ノラ・捨て猫出身の計3匹の寄り合い所帯であり、私もいろいろなハプニングを体験して今に至っております。猫漫画にはそうしたエピソードが満載なので、読んでいてとても納得・共感できる・・・いつしかそういうものをよく読むようになりました。「チーズスィートホーム」の主人公「チー」は、母猫とはぐれてしまった迷子猫。行き倒れになる前に山田家に拾われる。たった1匹の猫が来たおかげで家族には話題の中心ができます・・・

それは全くその通りだと強く痛感。犬や猫などはとても強い存在を主張しますから。そして、こういう漫画やアニメがそこそこ受け入れられる様になったのは、今の時代にそれを許容する気持ちの余裕があるからなんだろうと感じます。私が子供の時には動物ストーリーは有るにはありましたが壮大なドラマ中心で「こんな他愛の無いはなし」は成立しえませんでした。今のペットは家族の一員になり得るので、いつしか他愛の無いことでは無くなったのでしょうね・・・

ちなみに私の嫁さんは「チーズスィートホーム」よりも「くるねこ」の方がお気に入りらしい。私は絵柄に今ひとつ感情移入が出来なかったので様子見程度です。最近では、猫や犬の専門雑誌も多いので、こういうのにはまるとキリが無くなりますね(笑)



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2009年10月17日  アロマで気分を癒す 1



部屋にこもってPCでのデジタルワークばかりしていると、だんだんモチベーションが落ちてきます。そこで、音楽を聴いたりもするのですが それ以外にも頼りになる存在がいくつかあります。例えばアロマ。いわゆる香りで気分を癒すもの。一時期色々な種類を買ってきて使っておりました。

アロマに使う「精油」は植物から抽出された濃縮エキスで、花・葉・木・根などの様々な抽出部位からの種類がある。中でもラベンダー系のものなどはポピュラーな存在でしょう。アロマの専門店に行くと小さな小瓶で売っています。使い方も色々あって、ディフューザーと呼ばれるミストの噴霧器や超音波式のポットなど、空気中に薄く拡散させる機器はずいぶん増えましたね。私は岩塩型のライトスタンドの皿に乗せて、電球の熱でゆるやかに蒸発させて使ったりしていました。

香りというのは不思議なもので、特定の臭いにはそれを嗅いでいた時の体験がセットになったりする。例えばヒノキやスギの香りがすると、小学生の時に 家の近くの材木置き場で遊んでいた時の記憶などがふっと蘇ったり・・・仕事に疲れた時に別の事に意識を向けられて、気を休める効果になっているんでしょうね?もちろんいい香りで気が休まるというのが一番ですが・・・

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2009年10月18日  アロマで気分を癒す 2



アロマというとオイル「植物から抽出した精油」で語られるのが一般かと思いますが、それとは別にアロマフレグランスという言い方で別の天然香料を指す場合もあります。具体的にはルームスプレーという商品で扱われている。つまり香水を含む広義な分類の中にあるもの。室内に直接スプレーするもの、肌につけるもの等々・・・気分的なリラックスを求めるアロマ精油とは方向性が少し異なるものと思われます。

そして・・・ネットでぐぐるとアロマフレグランス(香水)とルームフレグランス(消臭系芳香剤)が混在して出て来てちょっと訳が分からなくなりますね(汗)なので芳香剤(消臭剤系)は話から外します。私がひとつ愛用しているのがPOTTERY BARNのルームスプレー「MANDARIN」。ツンと鼻を突く甘酸っぱい柑橘系のフレグランスです。ルームスプレーという商品カテゴリーなので、瓶にはスプレーノズルが付いています。でも スプレーで使ったらすぐに無くなってしまいます。ほんのりわずかずつ香る程度で充分なので・・・私は香水を少しずつ拡散させる瓶に入れて使っています。これはアルコールランプと同じ構造のもの。

柑橘系アロマの効能は「気分のリフレッシュ」・・・リラックスとはどう違うのだ!?とも思いますが、刺激臭系なので覚醒作用があるのかなという感じでしょう。私にとってはセラピー(テラピー)とリラックスは同じイメージで受け取っているので、アロマオイルもルームスプレーもポジティブに捉えて使うのであります。

実は、この愛用している「POTTERY BARNのMANDARIN」はもうすぐ無くなってしまいそうでヤバい状況。これは数年前に嫁さんとニューヨークに旅行した時に現地で買ったもの。日本向けの通販リストにもまだ無いみたいなので、切れたら別の代用品を探さないと・・・

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2009年10月20日  アロマで気分を癒す 3



アロマからみると、ちょっと番外編になりますが、日本には元々香りを楽しむ「香」というものがあり、仏壇に供える線香はじめ、派生した様々な「香り」が存在しています。海外から入ってきたアロマフレグランスに対抗してか、近年ファッション感覚で使える線香グッズが出てきました。また、香炉を使っていぶすものも多いです。

私が昔 使っていたのは茶香炉という、茶殻などの植物をろうそくであぶって香りを楽しむもの(写真 一番目)ほうじ茶系の茶葉でとても香ばしくて良いものがありました。一時期100円ショップなどでも流行り、香炉用茶葉を売っていたくらいです。でも、茶香炉用の茶葉は良い匂いのものが意外と流通量が少なく、しかも割高だったりしました。飲む茶葉はあぶってもあまり匂いがしないので使えません。しかしながら…結局使わなくなった一番の理由は うちに猫がいること。火を使うのでひっくり返されたら危ないからです。そういう意味では、香り付きのキャンドルなどは最初から対象外になりました。

香りを積極的に楽しむのと反対に、匂いを消すものもけっこう使っています。特に梅雨のカビ臭さを消すのに炭(写真 二番目)や消臭ビーズ(写真 三番目)を戸棚の中へ置いたりしてました。これらは今、ホームセンターで破格値で売っている「消臭ビーズ」に置き換わってきております。


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2009年11月27日  懐かしの特撮映画



子供の時分、親に連れて行ってもらった映画に、「東宝チャンピオン祭り」と「東映まんが祭り」の二大イベントがありました。これは、前者がゴジラ映画とテレビアニメ(30分枠)を、後者がオリジナル長編アニメとテレビアニメを、それぞれ複数本抱き合わせにして上映するスタイルでした。毎年「東宝VS東映」のガチンコ勝負で同じ時期に激突していたと思います。プログラムを一通り見ると3〜4時間くらいかかるので、子供に付き合った「腰痛持ちの親」にとってはきっと拷問以外の何ものでも無かっただろうかと思われる(汗)現在ではそういう上映スタイルはほとんど見られなくなりましたね・・・

そして・・・親にねだっても、連れて行ってくれる映画はどちらか一方のみ。怪獣を取るか?長編アニメをとるか?は、子供にとって大問題でした!私はやや東宝ひいきで、ゴジラ映画が多かったと思います(大映のガメラは別腹です 笑)東宝は他にも特撮映画をゴジラと併映していたこともありました。その中にあったのが・・・

「海底軍艦」

邦画のSFファンでこれを知らない奴がいたら それはモグリです。宇宙戦艦ヤマトが登場するまでは、エンタープライズ号やノーチラス号〜シービュー号に対抗できる日本の万能戦艦は海底軍艦(轟天号)しか有りませんでしたよね!?日本アニメに出てくる多くの宇宙戦艦のデザインにも多大な影響を与えていることは間違いないでしょう。設定では轟天号は原子力動力なのであり、水陸空中と何処でも活躍するその姿に子供なりに憧れました。ストーリーは日本海軍の残党とムー大陸の末裔(海底人)が人類の存亡をかけて戦う決戦もの。今見ると強引な展開にちょっと苦笑しますが、夢の広がる世界観が楽しめます。

現在、書店で東宝特撮映画DVDコレクションシリーズが売っていて、この「海底軍艦」は第4弾。こういうシリーズが手頃な価格で手に入るようになり、いい時代になったなと感じますね・・・


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2009年12月03日  学研の「科学」と「学習」が休刊



先日 小学館発行の「小学五年生」と「小学六年生」が休刊になるという報道がありました。少子化と価値観の多様化が影響して、発行部数がどんどん減少したのが原因。それも時代の流れで仕方がない事かと・・・そして今日、学研の科学と学習の休刊発表。事実上の廃刊かと思います。

学研の「科学」と「学習」は、昭和の時代には貴重な理系と文系の正統派学習誌でした。特に私にとって「科学」とその付録の実験セットから教わったものは計り知れない。私のHP「蒼硝子の観察日記」にある発想の大元は、学研のふろくから出て来たものだと言っても過言ではありません。同時期に読んでいた雑誌「子供のかがく」もまたしかりですが、理系の視点を育んでくれたとても大事な存在でありました。

今やインターネットで簡単に情報が手に入り、自分の手で面倒臭い調べ物を検証することは少なくなりつつある。私自身もそうです。気がつくとウィキペディアの検索で済ましてしまう事がだんだん増えてきた。でも、手段を絞ってしまうとそこから導き出される答えは画一化してしまわないかと不安にもなります。自己の姿勢を振り返るとき、過去に行ってきたアナログチックな体験の多くに価値観が戻ったりする。結局は自分の手で行って来たものが大事な糧になるのは間違いないですね・・・

書籍でなくネットで情報を得る習慣はこれからも加速し、紙媒体のメディアは今以上に衰退していく流れは止まらないと思われる。自分の仕事でも映像データの利用先は、印刷とWEBへの目的では、後者の方がやや多くなりましたから・・・ただ、エディトリアルの立場から見ると、媒体が変化しただけで、内容の本質が変わった訳では無いのです。以前より、印刷物の内容をWEB向けにレイアウトし直してくれれば、それなりに需要は受け継がれるのでは無いか?と感じています・・・すでに一部の雑誌は、メールマガジン形式に編集方針を転換して生き延びているものがありますし。

実は・・・小学4〜6年生時の誌面と付録の一部は、当時から大事な宝物だったので、箱に詰めて物置の奧にしまってあります。保存状態がどうなっているかは不明ですが、近年中に必ずやアーカイブ化してHPの一コラムに加えます。20個くらいはあるはずですから・・・何しろ、本家の学研ホールディングスのHPにもほとんど記録が載っていないのです。あんなに価値の高い「作品」の数々を何故ちゃんと検索出来るようにしないのか!?情報として残っていないのがとても残念です・・・
なので・・・せめて私の所に残っているものだけでもちゃんと見られるようにしておこうと思います。ネット上での博物館の様なものは、しっかりしたものは意外と無いのが不思議でなりませんね・・・

写真は私が小学四年生の時の科学のふろく
プリズムのしくみを楽しく学べるセットでした・・・


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2009年12月04日  映画 「2012」



今日「2012」を観てきました。

ハリウッドのCGも行き着くレベルにまで達している感じを受けますね。スタジオにセットを組んでという手法が完全に遠い過去のものに思えます。数年前にリメイク版の「日本沈没」を見て渋谷109や六本木ヒルズが崩壊するCGを見た時には、頑張って作ってますね・・・という少し冷めた自分がおりました。でも映画館で見ていると「2012」の臨場感はどうやって作ったのか?などはもうどうでも良いです。大きなスクリーンの中で起きているのは紛れもなく悪夢で、観客はその目撃者になれます。それは純粋に映画の世界に意識を飛ばして楽しめる事に他なりません。

いつもの様に 公開中にネタバレは書きませんけれど、見て感じたのは、20年以上前にポール・ニューマン主演で制作するはずだったリメイク版「地球最後の日」の世界観に近いと思いました。話の中心は、人類滅亡を目の当たりにしてどうやって家族を守るかがテーマの人間ドラマ。日本は少しだけ出て来ますが、すぐに終わってしまう。見ていると、最期のその時が来たら自分は何処で誰といたいか?という気持ちになります・・・

最近 世の中の景気が悪く、希望が持てない雰囲気が蔓延している。そのせいか、かつて流行った「世紀末」という言い回しに代わりそうなキーワードにスポットが当たっていますね?それが「審判の日」や「終末思想」なるもの?・・・いわゆる「人類滅亡論」を取り上げる特集が目に付きます。まぁ注目を集められる話題なのでしょうが、あんまり真剣に取り沙汰するのは如何なものかと感じます。古代マヤ文明が予言しているとの事ですけれど、思えば1999年のノストラダムスの予言だって外れたでは無いですか。小学生の時に散々情報を擦り込まれた私の世代は、そこからしっかり感じたことがあると思う。本当に二年後に人類の文明が終わるのであれば、むしろ事前に何も知らない方が、残り時間を幸せに生きられるかと思います・・・

映画の話に戻りますと・・・ローランド・エメリッヒ監督のディザスター(災害)映画は、今までも有る程度劇場で見てきました。今回の「2012」は、その中でも最高傑作になるのは間違いないと感じました。少なくとも「インディペンデンス・ディ」や「ディ・アフター・トゥモロー」よりはずっとビジュアルのスケールが大きく、ラストも腰砕けになっていない。この冬お勧めの一本です。


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2010年01月17日  漫画「神のみぞ知るセカイ」



私もそこそこいい歳になりましたが、漫画を読みますしアニメも見ています。それらは今や正当な娯楽コンテンツですので何ら後ろ指を指される言われはありません。そりゃあ中にはいかがわしいものも存在しますが、本来それらは影でこそこそやる類のものでありますよね・・・その辺りはよしなに・・・

私は、手塚治虫氏から始まって 石ノ森章太郎氏やジョージ秋山氏の漫画でそだった世代です。いろいろ読んできましたが最近は原点回帰して、青年誌連載の入り組んだストーリーのコミックより、少年誌向けのまんがの方が好きですね。それでも、このところの少年まんがはドラマ性が極めて薄くなりすぎ、他愛のないギャグ路線が目立ちます。お笑いは本質的に難度が高い。何故に赤塚不二夫氏が凄かったのかは今の世代には説明が難しい・・・ナンセンスギャグというのは凄く深い世界なのだ。ピーマンの様に中身が本当にからっぽではダメなのだ・・・「萌え」はそろそろ看板にならなくなり、作り手側もソレが分かっているはず・・・話が長くなるので、この辺で最近注目しているタイトルをひとつ。

「神のみぞ知るセカイ」

少年サンデー連載の若木民喜氏の作品。一言でいって、ゲーマーオタクの自己存在肯定を物語の背景に掲げている。現実社会よりゲームの方に生きがいを見いだしている主人公が「駆け魂」とよばれるポイントゲットを成し遂げてゴールに向かう話。かわいい悪魔(女性)や美人なキャラクターがどんどん増え、読者はハーレム状態を仮想的に満喫できます。ポイントとなる対象がみな若い女性なのはお約束なのです・・・読者はどのくらい作者が仕掛けた「居心地の良い子宮」の罠に気がつくだろうか?滝本竜彦氏の「NHKにようこそ!」のような、最後にリアル社会に意識が戻ってくるリハビリ的な内容に収束していくかはまだ不明なので、作者の意図もまだ完全にはわからない・・・でも、この作者はしっかり頭がいいと私はみております。

話ついでにちょっと意図的に脱線・・・
恐らく多くの人たちが ぬくぬくしたヴァーチャル世界で楽しく遊んで暮らせれば、それが幸せなのだと感じているのでしょう。それは個人の価値観だから別に構わないのだけれど・・・楽しい時間を維持していくためには、リアル社会でのライフポイントを高める努力をしていかなければ、結局全てがダメになるのです。それは間違いないこと。例えば、ゲーム自体を仕事にすればきっと楽しいだろうと思って、その世界に首を突っ込んだ人たちはそこで厳しい現実を学び驚くことになる。「NHKにようこそ!」はそういう層の読者を一旦惹きつけて、最後に頬をひっぱたいて目をさませと苦言を呈して終わった様に思う。それに対して「神のみぞ知るセカイ」の主人公の桂馬は、レベルアップして何を考えどういう答えを出すのかな?・・・読者がそこからどう感じるかというのは、作り手が目論む「神の手のひら」の上にあるのです。

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2010年01月23日  映画 アバター <Avatar>



映画「アバター」をやっと見に行ってきました。

アバターという単語、この映画の前まではセカンドライフなどで使われている自己の分身「アイコン的キャラクター」としてのイメージでした。そちらは未だにメジャーに達しないレベルですから、今ではググると映画の情報の方が多くなりました…

この映画は…私は最初からあまり期待していませんでした。普通見に行く映画は公開月内に早めに行っています。だから今回はもう数カ月たってからの鑑賞に。周りからも十二分に情報が入ってきていますので大筋は分かってしまっている。それでも大変面白く楽しめたのは予想外でした…

一番の売りは全編フル3D上映なこと。でも私はそこの部分はそれほど感激しなかったかな、あしからず…お約束の偏光メガネをかけるとスクリーンの輝度が半減して暗くなってしまうし、普段していないメガネのせいでとても目が疲れました。チラツキが無かったのはさすが新方式と言える。空間は確かに奥行があって素晴らしいのですが、前中後につい立てのようにオブジェクトがあり、一つ一つの物体の厚みは不十分でうすっぺらく感じる。全体の雰囲気で魅せる造りではないでしょうか。飛び出して見えるのは…その昔「空飛ぶ十字剣」という実験的な映画があって、業界は騒ぎましたが世間は踊らなかった。何と中国映画で約30年前にやっていたのです。その後何度か部分的3Dや立体音響(センサラウンド方式など)のブームが繰り返しあったのですよね。その中のいくつかは見てきております。まぁ、今回はハリウッドが本気で取り組んでいるし、従来の2Dを3D変換する技術も出来た。更に家電メーカーが3D対応テレビとブルーレイレコーダーを出して協力するというので、そこそこ普及はするでしょう…

そんな事よりも、私が一番感心したのはこの映画の脚本と演出部分。対立する双方の組織の中間に立つ主人公。その設定自体は、探せばけっこう存在するプロットなので珍しくありません(日本の宮崎アニメには多いパターン)きっとこうなるだろうなと感じた通りの結末になりますし…それでも意外だったのは、ハリウッドのメジャー所が「力で他の異文化社会をねじ伏せる歴史観」はまずいよね?という気持ちに観客を導く演出なのです。娯楽超大作ものでこのシリアスさは事件だと思えます。よく娯楽映画はビジネスだからイデオロギーと混同しないと言われますが、現実に多くの観客に心理的影響を与えるヒット作品であるならば、その定義は覆りかねない。だからこそ、某国の某軍事寄りロビイストから圧力を受けるのでしょう(その辺りはちょっと危ない話)…とにかく、この発想がメジャーとして受け入れられるご時世になったのなら、世界の世論はけっこうまともで希望がありますね。これって意外でしょう?今までは、こういうストーリーでは蹂躙される側(少数民族)を被害者として客観的に描くことはあっても、観客皆を共感させうる引っ張り方は希少かと思う。そして近似内容の映画は、史実固有のドキュメンタリーものが多く、たいてい単館短期上映が当たり前ではなかったか。メッセージ性を3Dと異世界の設定(オブラート)で上手く包んで検閲をすり抜けていますよね(感心)

あんまり深読みすべきで無いという意見もあります。捉え方はそこそこ自由度があり得るから断定はしません。しかしながらこれだけ明確なストーリー仕立てなのだから、そう感じてしまうのも仕方ありません。ジェームズ・キャメロン監督は確信犯でしょうね…?アバターは3Dでは無いバージョンでもう一度ゆっくり見てみたい作品。一番肝心のストーリーがしっかりしている映画でありました。また…人口が多いかの国では上映されないのは仕方ないでしょうね…

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2010年02月27日  「束芋・断面の世代」展



現在 横浜美術館で行われている「束芋・断面の世代」展を見に行ってきました。

束芋氏とは…日本社会の身近な生活感をテーマとした現代美術作家。主にアニメーション手法を用いたインスタレーション展示(作品と展示空間を一体化させた発表の方法)を多く行っています。少し前にこの作家の存在を知人から教えてもらい、内容が面白そうだったので期待して行きました。

現代アートにおけるアニメーションは、商業テレビアニメとは全く異質のものです。明確なストーリーがあるとは限らず、抽象的で難解な映像にも感じられます。それでもその内容は観客の意識を釘付けにしてしまう魅力で溢れている。不思議な世界感がそこにあります。

一見して私が感じたのは…懐かしいタッチの古典的ビジュアルを、最新のCG技術を使って構成したシュールレアリズムでした。作品の中にどういう意味やメッセージがあるか?はさして重要では無いのかも知れない。シンプルにそこに作者の心象世界がグラフィカルに展開し 時にギョッとする刺激に満ちて、見る側の好奇心を満たしてくれる…時間を忘れてその場に立ち尽くす自分がいます。それはつまり作者の世界観に心底浸れる幸せな一刻である。束芋氏、まだ若いのに…日本の代表的なアーティストの一人足り得るのではなかろうか!?とても良い刺激とインスピレーションを受けてこれました。

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2010年03月16日  名曲に再会! YES / Close to the Edge



かつてLPレコード全盛の時代に、そのサウンドに酔いしれていた楽曲がいくつもありました。BEATLES、QUEEN、ELO、BOSTON、ThreeDogNight、Eagles などは私が日ごろ聞いていたアーティスト。時代が分かりますね(笑)他にももちろん色々あるのですが、私は音楽を聞き流してばかりで背景を調べることはしませんでした。バント名は知っていてもメンバーやタイトル名でさえも知らないまま聴いていたものが多い。YESは多くの人が認める偉大なバンドです。私は詳しい事が分からないままいくつかの曲を断片的に聞いていました。それはラジオで聴いていて途中から録音したものや、友人の家でよく聴かせてもらったことのあるものなど。それは四半世紀以上たった今でも分からないままでした(汗)

今ならイントロ部分をネットで検索も出きますので、ちゃんと調べれば分かりそうなもの。でもうっちゃったまま現在に至る。なんて怠慢なんでしょう…昨日ひとつ判明したアルバムがあったのです。それは…

YES / Close to the Edge(危機)

さっそくiTuneStoreで検索して購入。最初のリリースは1972年なのだそうですね。プログレですが、私としては他にあまり聴かないジャンルなので自分としても異色なチョイス(BOSTONもプログレだったっけ)YESは一曲がとても長いので、LPレコードでは片面30分しか入らなかったのでアルバム収録は大変だったろうと思う。MP3(AAC)のダウンロード販売だと、ボーナストラックがついて全7曲(CDと同じ構成)になりますので、板をひっくり返す手間も無く楽チンです(←平成の世代には何を言っているのかが分からないかも?)まぁ、ライブの音質にこだわる人からすると、若干平坦に感じてしまうデジタル音声は駄目だと言われるかも知れません。でも手軽に聴けるのはやはり有り難いです。今からLPレコードを買って聴く根性はもうありません(汗)

随分長い間耳にしていなかったにもかかわらず、久しぶりに聴いてもそのサウンドの魅力は全く変わっていませんでした。やっぱりいいなぁYES!他に比較する対象がいないです。こういうのが真のオリジナルと言えるのではないでしょうか。

蛇足ですが…今回ついでにBOSTONの楽曲もiTuneStoreで検索しましたが無かった。やはりSonyMusic扱いのものは入っていない訳ですね。Appleとはライバル関係ですからね…これは実家にLPレコードがあるのでそのうちにMP3変換するしかなさそう?…

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2010年03月21日 サイクルが短くなる、そして新しい放送システムの夜明け



映画専門チャンネルとしてWOWWOWが登場した時に、こんなキャッチフレーズを耳にしました。「封切り新作映画を1年以内にリリースします!」それまでは、放送局が映画の放映権を獲得するまで数年が普通かと思いましたが、それが一気に短縮された訳です。あんまりすぐに放映することは問題があった。都市部はともかく、地方の小さな映画館では旬を過ぎたタイトルを3つくらい抱合せにしてリバイバル上映するところがあるのです。テレビでやったりDVDにして売ってしまうと、当然そういうミニスクリーンの灯は消えてしまいかねない?いわゆる営業妨害になりそう。いつしかWOWWOWでも封切り半年くらいで流す前例が現れ始め、そんなことして大丈夫なの?と思っていたのですが・・・

何とこのたびほんの3ヶ月ほどで、新作がDVDパッケージ化という事件。昨年末に上映していた「2012」です。しかもブルーレイとDVDのダブル梱包で¥3,990!そのうえ この連休中限定で某スーパーで更に値引き販売中!驚いて買ってしまいましたよ(汗)ユーザーとしてはうれしいことです。レンタルビデオの方でも貸出タイトルの回転が上がることでしょう。現在まだ上映している所がある「アバター(Avatar)」はもう来月DVDを発売するらしい!ほんまかいな!?

でも、これは本題では無いのです。この春からいよいよビデオ・オン・デマンドサービスが本格始動する!これはブロードバンドネット回線を利用したレンタルビデオシステムです。それなら・・・数年前よりOCNや一部のCATV~GyaO!・バンダイチャンネル等がやっているではないかと言われそうですが、それらはPC向けであったり、あるいは契約回線限定のクローズドなもの。これからは かなり自由度の上がったネットレンタルシステムが、TV向けに一般化することでしょう。これは15年ほど前のマルチメディアの教科書を開いてもちゃんと書いてあるのです。2011年までにそういうサービスが始まるだろうと・・・これは主にハードを含めたインフラが不可欠なもの。官民合わせた関連業者全体が20年近く準備してきたことでもある・・・やっと華開く時が来たといえますね。あと今年テイクオフする3D放送もビデオ・オン・デマンドから出てくるらしいし。また別の考え方も出来ます。映画館と同時解禁なんてことも出来るのかな!?映画館は3D上映、家ではスタンダード版で棲み分けとか・・・

ビデオ・オン・デマンドは、チャンネルを提供するプログラムによって、料金体系なども様々分かれるはずです。そして今までパソコン向けの動画配信サービスを進めてきたところもどんどん新規参入をしはじめるのかと期待。これはいわば規制緩和とも言えるので、従来システムの「ビデオレンタルショップ」は厳しくなるかも知れませんね。メリットは1タイトルごとにプリペイドなやり取りが可能なところ。NHKが1年ほど前から始めたオンデマンドサービスは、主にPC向けに試験的運用をしていましたが、それもTVに戻ってきますね。受信料を払わなくても番組が切り売りで見られることになるのです。法制上の問題は無いのかと感じますがまぁいいか・・・

昨年末から今年春モデルのテレビのパンフを見ると、「アクトビラ(acTVila)」(各社共通)という機能紹介があります。これがビデオ・オン・デマンドの正式なシステム呼称かと思われる。これにPCで利用しているブロードバンド回線を分岐させてつなげばサービスの利用が出来ます(LANケーブル or 無縁対応)これからテレビを買う人は、このスペックの有無は要注目かと思います。インターネットをTVにダイレクトに画面表示する機能とはまた別物なので注意。最初区別出来ないかも・・・

そろそろ、コンテンツの「パッケージ」流通・販売の時代が終わりつつあるのかも知れません。あと、存在意義が不明確なデジタルBS放送やス◯パー等のCS放送はどうなるんでしょうね??? マヤの予言通り2012年に世界が終わるのであれば、どうでも良いことですが(苦笑)

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2010年03月24日  NHKアニメ「こばと。」



フェデリコ・フェリーニ監督の映画「道」には、救いがたい人の業が描かれている。何気ない日常の中では誰しも「それ」に気がつかない?全ては終わって振り返った後に見えてくるもの。旅芸人のザンパノは、知的に障害をもつが明るく心優しいアシスタントのジェルソミーナにいつも辛くあたっていた。どんなに酷いことをされてもザンパノについていきたかった彼女だが、結局捨てられて死んでいく・・・月日が流れてからザンパノははじめて気がつく。永遠の孤独感が漂う・・・

4人の女性作家の集合頭脳体であるCLAMPは、描く世界観に詞をしのばせる。時折強調されたテーマは、最初穏やかな日常に伏線を張り、エンディングで告白する。それは「時間と空間・記憶と絆」・・・時にそれは運命論であったりする概念となるが、日ごろ気がつかない「それ」を導くもの。試練を過酷なものにするために、人と人の間には何かしらの「禁句」がハードルとして存在し、タイムリミット付きがお約束となる。それはゲームのステージクリアに近い設定かもしれない。

かけがえのない存在を失ってから絶望するザンパノにはやり直しの機会は与えられない。リセットの効かない現実には、必ずしも希望が残るとは限らない。だからこそその一度を大事に生きろというメッセージが生まれる。

CLAMP原作「こばと。」のNHKアニメが最終回を迎えた。
次元を超えて還ってきたこばとには新しいチャンスが与えられた。生きているうちに想いが報われることの幸せ。笑顔を手に入れたもう一人のジェルソミーナ。エピソードタイトル頭に毎回ある「・・・(三点リーダー)」が、最終回のみ 語尾に付けられた演出はこころにくいと感じた。言葉の句読点にこめられたその意図は大事に受けとめたい・・・

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2010年03月26日  表面をおおうオブラート



今週号の週刊朝日はとても目を引きます。見ての通り「映画ドラえもん30周年」ということでのお祝いらしい。

ドラえもんは、確か私が小学館の「小学三年生」を読んでいた頃から連載していましたから、その歴史は長い!テレビアニメ化はテレビ朝日が最初では無く、ほんとうは日本テレビで1年放映しているのが先です。私は第一話から最終回まで見てました。そのバージョンは、原作の設定とは多少違っていて、未来から来たドラえもんはかなり問題のある不良品ロボット。毎回騒ぎを大きくするトラブルメーカーという設定だったように記憶しています。ドラえもんに偉そうに指図するガチャ子というアヒルロボットも付いて来ていましたっけ。声優さんが最初、富田耕生氏だったので、私のドラえもんのイメージは男性の声なんですよね。事故で怪我をしたか何かで富田氏は途中降板し、二代目は野沢雅子氏でした。そちらははっきり言って声があっていなかったと思う。基本的に悟空の声ですもんね(笑)だから大山のぶ代氏は三代目のドラえもんなのです。日本テレビ版でのび太のお母さん役の声が テレビ朝日版でのび太本人になったとか、何人かの声優さんが配役を変えてスライドしていたハズです・・・

後日某雑誌の黒歴史のコーナーで読んだ所によると、日本テレビ版の出来が悪くて関係者が怒り、その存在を無かったことにしたという話がありました。大人の都合ですね。あと週刊朝日はテレビ朝日とのコネクションがあっても日本テレビには義理はない。だから事実でも書かないのかな・・・?

私はドラえもんは好きですが、のび太の人格と行動に共感が持てません。結局ドラえもんのサポートを前提とした活躍なのであり、ゆるい正義感を振りかざしている。未来の小道具が無かったら何一つ出来ないではないですか。ドラえもんはけっきょくのび太の自立を阻害していますよね。そんな所が懸念されて、確かアメリカでは正式放映されていないはずです。あちらのアイデンティティからは理解できない発想なのですね・・・

・・・ちょうどこの号の特集記事に「借金1千兆円で日本破綻」という空恐ろしい記事が載っています。ドラえもんに一度だけ頼みごとが出来るのであれば、「日本に一千兆円」ください!とストレートにお願いしましょうか。他力本願な日本国民のお願いです(私の中ののび太が言わせた 笑)



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2010年03月30日  19年前のコミック検証番組より



一本のビデオテープが出て来ました。録画した日時は1991年10月某日。
ちょうどバブル景気がはじけ飛び、ソビエト連邦が崩壊した年。

内容は「マンガの魅力と歴史大研究」・・・民放深夜の討論番組です。
(以下は通じる人にだけ分かる話かも知れませんのであしからず)

景気の良かったバブルの数年間は、日本中が浮かれ 世間にはお金がじゃぶじゃぶ溢れていました。テレビ番組にもスポンサーが潤沢に付いて、おかげで豪華な番組~面白い番組が目白押し・・・今では当たり前の深夜番組は当時良い意味で華が咲き、先駆けが出来たものがたくさんあった。長時間の討論番組というのもその一つかも知れません。「出演者が話し合いをしているだけの内容が面白いのか!?」という声もあったでしょうが、結果として世間は受け入れた。その前にも1980年代半ばに、NHK教育で「YOU」という若者のトーク番組があり、切り口がとても新鮮だった覚えがあります。世の中に活気があって「動いている」時には、既存のコンテンツが大きく発展したようにも感じていました。

でも・・・その末期には多くが行き詰まって「次」を探していましたね。そんな時期に深夜枠で放送された討論番組です。テープには3時間弱収録されていました。時間が無いので飛ばし見して見てみましたが・・・最初は日本のマンガの歴史をたどって、どんな作品が出て来たのかを延々と紹介。でも次第にマンガの可能性と将来について語る場面があります。読者の期待に応え、売れるものを作っていくにはどうすれば良いか?作る苦労がにじむ話がてんこ盛り。討論にはマンガ評論家の米沢嘉博氏(コミケの創始者)やタレント時代の東国原英夫氏、漫画家のいしかわじゅん氏 その他大勢・・・内容が「マンガの本質論」に深くは触れていなかった点がちょっと残念。その部分は近年 不定期に放送されているNHKの「BSマンガ夜話」や「BSアニメ夜話」でさえも、ややヨイショ気味の内容で、内容と表現の意義については今ひとつ突っ込みが足りないし・・・長時間話していてもお茶を濁している感じさえある(大変有意義な回も勿論ある)

更にあの当時を振り返ってみると・・・ちょうど表現の自由論争が高まっていて、写真の世界では篠山紀信氏のヘアヌード解禁とも言える「樋口可南子:ウォーターフルーツ 不測の事態」が出版されたのも1991年だったのですね。それまでは雑誌のヌード写真はぼかしや塗りつぶしが露骨にあって、要するに検閲が入っていました。それがもの凄い勢いで取り払われ始め、見る側の意識もどんどん変化し始めた・・・ちょうどこの頃が「ある分岐点」になっていたかと感じます。

それはちょうど今、表現の自由をめぐって論じられている話題があることに結びつきます。東京都の青少年育成条例を新たに改正する話。その中に「非実在青少年」というキーワードが出て来ました(詳しくはネットでぐぐれば詳細が分かるでしょう)この話題は現在twitterなどで熱い論議が進行中です。結論はすぐに出せないだろうし、今一度しっかり論議する時間が必要かと思われる。しかしながら取り締まりの条例は初夏までに決められてしまう可能性がある・・・

結局 この20年間の間に蓄積してきた問題に ちゃんと向き合って来なかった業界と行政、それに読者も含めた全員の課題でありましょう。業界には真剣な対話と討論・検証する場が日常的に足りなかったということです!?今からでも遅くはないと思います・・・



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2010年04月07日  エヴァンゲリオン第十弐巻



1997年に劇場版公開された「エヴァンゲリオン Air / まごころを、君に」私は今は無き渋谷東急で見ました。同作品はそこでいったん幕と閉じた・・・はずでしたが、その後リメイクプラス改変バージョンに発展したのは周知の通り。これだけ時間がたってもその人気が衰えないのは驚異的ですね。


先日 ヤングエースに連載中のコミックス第十弐巻が出ました。これにてやっと「まごころを、君に」のエピソードに原作が追いついた!?これだけタイムラグがある作品は他に無いのではないでしょうか?普通は原作にテレビ放送が追いついた所で、オリジナルエピソードに突入するのがセオリーでしょう・・・などと言いながら買って読んでいる私も物好きですけど。後付けでつじつまを合わせている感じもしますけれど、コミックスはストーリー内容に少し新しい解釈が入っています。テレビや映画版で鉄面皮だった碇指令が やけに人間臭く描かれています。これは悪くないですね。ミサトさんが手榴弾で木っ端微塵になってしまう?所が少々痛いです・・・


また・・・
少し前にコンビニに立ち寄ったら、UCCコーヒーの「EVA缶」6本セットが、棚の奥に隠れているのを発見。速攻でサルベージしました。らっきー!後日、これを見つけた嫁さんがATフィールドを発生させ、ちょっとした攻防戦があったことは小さな事です。これは消費するために買ったのでは無いのだから。
そんなの常識でしょう?(笑)


そういえば、現在四部作でリメイク中の新作映画の方は私は見に行ってないのです。ただ、色々な雑誌である程度は知ってはいます。あとはDVD版でチェックするしかありませんね・・・



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2010年05月07日  キャラクター商品の魅力



キャラクターはそれ自体が「顔」として売れる時代になりましたね。


一般の商品に その本質とは関係ないキャラクターの衣を被せて売るというのは、一時期流行った食玩(食品玩具)から派生した企画。キャラクターの顔は、元々は付録として付いていたもので 脇役だったのです。古くは「鉄腕アトム」~「巨人の星」の時代からずっとありました。一方で、オタク向けの商品としては、仮面ライダースナック辺りから始まった「コレクターズアイテム」性が高いカードがありますね。そのうちにキャラクターの比重が大きくなって、ブランド化に至ったのがディズニーやキティちゃんなどなど・・・最近ではドラえもんやポケモンなども、メジャークラスに昇格しています。もうそのキャラクターが付いているだけで購買の動機になり得ます。


例え商品本体が大したことなくても売れてしまう魔法の御紋。日本は特にオタク文化が一般化した奇特な環境がありますので、キャラクター商品は展開しやすいのです。その中にあって「ヱヴァンゲリヲン」はもう15年間もロングラン&めちゃ売れバターンを維持している特異点な存在。


最近 ローソンとのタイアップで始まった企画商品は、単にパッケージにキャラクターの肖像権を貸与しただけのものではなく、作中にある架空の商品を具現化させたという変わり種をラインナップに加えていますね。それが「にんにくラーメンチャーシュー抜き」という一品(写真 一番目)これはTV版第十弐話の一シーンで出て来たものをネタにしたもの。ポジションとしては、「クレヨンしんちゃん」の「ちょこびー」と同じレベル・・・本来なら、わざわざ「チャーシューを抜きました」なんてキャッチはいらない訳で、これはもう「綾波と同じものを食べたい」というオタク心理を突いたモノに他ならない。ちなみに昨年一度発売しかけて直ぐに中止になった企画。ジョークで少量ロットを作ろうとしたら、一般商品よりもはるかに需要が見込めそうだという反応で、メーカーが慌ててしまった様です(笑)


広告代理店の企画部などでは、この手のやり方はおいしい企画であるのです。担当者になれば誰しも同じような発想の企画を出すことでしょう。でも、今までコノ類は 稟議の段階を通過する可能性がかなり低かったのだと思われる。何しろ上の方から「絶対に売れるのか!?」と一声あれば、果たして誰が食品会社の広報担当者を自信を持って説得できるものであろうか(向こうから持ちかけられる場合もあるそうですが)・・・ここまで羽目を外して商品化にこぎつけられたケースは希かと思います。


ローソンはかつて少年サンデーで連載された「焼きたて!!ジャぱん」の作中に出て来たパンを商品化した前例がある。あの時は、三菱商事・アニプレックス・サンライズ・小学館が大連合を組んで成功させたという企画でした(なんと広告代理店の存在が不明?販促部隊主導でやったのかな?)・・・たかがマンガやアニメの世界・・・という見方の枠を取り払って、真面目に商品化が可能になるのは、メディア社会が成熟して気持ちの余裕が出来た証なのかも知れません。そういう遊び心には私は拍手を贈りたい気持ち。(余談ながら・・・ちり紙の箱まで出した発想は少し理解しかねます。 写真 二番目)


「にんにくラーメン チャーシュー抜き」「葛城ミサトのカレーラーメン」「シンジ君のおみそ汁」は資料として購入してみました(笑)
(写真 四番目)EVAパン 何が特製なんでしょう?コンセプト不明商品。

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2010年07月18日 「借りぐらしのアリエッティ」



数日前より公開が始まりました。今日見てきました・・・スタジオジブリの作品ですが、宮崎駿氏は企画・脚本担当で、監督はジブリ社内のアニメーターの米林宏昌氏。事前の下馬評でも、大抜擢では無いのかという事情のようです。監督さんが変わると、やはり作品の雰囲気は変わります。それは間違い無い・・・


内容について・・・宮崎駿氏が企画しているのですから、物語の背景設定は緻密を極めています。その用意周到な徹底ぶりは画面に奥行きを与え、リアリティを感じさせてくれますね。ジブリ映画はどの作品をとってみても世界観がしっかりしていて、安心して楽しめる。この映画でも、借りぐらしの小人たちの生活圏が、素晴らしく見え存在感が光っているのも、その設定が十二分なものだからでしょう。ちなみに今回も、原作小説がベースになっているそうです。


この物語は、少年が体験した一夏の一週間の出来事を描いたもの。ネタバレになるのでそれ以上書きませんが、全体的に見てけっこう地味なストーリーでした。でも話の進み方が丁寧で、渋くていいお話しでした。活劇や大団円を期待して見に行くと、肩すかしを食らうかと思います。ポジティブな意味で言いますけれど、こういう静かな話を、堅実に映画にしていくのは日本アニメの大事な資産になると思う。ジブリには毎年続けてもらいたい。「外国に輸出できる作品」は、丁寧な作りの映画である方が良いだろうと私も思いますので。


ロボットや美少女が出て来てドンパチやるのは「国内でそこそこ売れる商品」。そちらはOAVにでも集約すれば良さそうなもの。日本アニメは映画にしても実際の所、マスコミが書いているほど国外での評価は高く無さそう?なのですね。ドラゴンボールやドラえもん・ポケットモンスターみたいなメジャー作品の存在は、意外と少数派で例外なのかも知れません。


そして・・・ちょっと気になった部分がありました。お話のラスト。起承転結の最後が「予感」を感じさせたままで字幕になってしまったことです。上映時間94分。やや短く感じました。あとは皆さん映画館でどうぞ・・・

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2010年08月15日 「終戦記念日と記録映像」



65年前の8月15日正午に玉音放送が流され、日本は終戦を迎えたのですね。
http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htm


学校の歴史の時間に習いましたが、そのタイミングは受験勉強の最中でありました。日本が戦争をしていた事の意味を深く話し合う余裕もありませんでした。でも、終戦という言葉の響きには当時から違和感がありましたね。「終戦では無く敗戦だろう!?」「だったら記念日と言う言い方はおかしい?」そんな事を感じていた記憶があります。


その頃からすでに気になっていた視点があります。それは残された当時の映像や資料。私の最大の関心事。特に、終戦時の焼け野原になった東京の光景には、大変なインパクトを感じました。映像を見ると、そこから色々新たな疑問なども湧いてくるのです。そのうちに・・・映像や資料というのは、かならずしも真実を語るものとは断定できない?という見方が出て来ました。何故かというと、情報というのは編集加工で色々な意味合いが付加されたり変容したりしうるものだからです。


特に戦争にかかわる映像資料には意図が加えられて、意味合いが付加+強調されたものが多くあるらしい。それは日本に限らず世界中で行われてきた事みたいです。そんな資料が私の書庫にあります。これは果たして真実が書いてあるのか?そのことも含めていつも気にかけています。最近では北朝鮮の対外的なPR映像にそういう類のものを感じるし・・・


画像の加工は私が仕事にしている事でもあるので、技術的側面の関心もしっかりあります。なかなか良くできたものも存在していて唸る。しかしながら、歴史の記録や報道分野では、画質(明るさ・コントラストなど)の調整以上の「加工」をしてはならないというのは当たり前の大原則(場合によってはトリミングも不可!)そこに写っているものが事実では無くなってしまうからですね。そして更に、レイアウト(組み合わせ)を考えてそこにコメントを付けると、映像資料の見え方が全く変化してしまう。広告ではそのメリット面を生かして編集作業をします。だから・・・悪用すれば価値がひっくりかえるのは言うまでもありません。


最初に触れた「玉音放送」
映像資料では、皇居前で地面に土下座しながら放送を聞いている国民の写真を、よく報道紙面で見かけてきました。昨日だったか・・・それらの写真のいくつかは、実は合成写真で「人数が水増しされたもの」であったという疑惑を見ました。「愛国者」たる日本国民のイメージを強調したものであったのか?それが本当なら、また一つ「真実」が変質し壊れた様な気がします。


WEB上でもまことしやかに書かれている多くの「事実」は、かなり意図された「PR」である事について、私は肯定も否定もなかなか出来なかったりする(たまにチクリとコメントしていますが・・・)あんまり書くと、普段やっている自分の仕事の印象が悪くなるので気が進みませんが、事実もちゃんと書かねばならないし、今日は終戦(敗戦)記念日なのでちょっと触れてみました。あと補足として、記録映像もジャンルによって、画像処理によって見やすくするという行為は、程度問題で善し悪しの境界線があります。特に広告やエンタメ映像は今回の話題とは全く別と私は認識します(少し文章が混乱してますね 汗)


蛇足ながら・・・バランスのある観察者の視点を口にするならば、私が所有している「歴史写真のトリック」の本自体の信憑性すらも、一度疑ってかかる必要はあるのです。歴史に関しては主観が入り込む余地が少ない・・・何時何処の誰がという5W1Hの基本と、書かれた根拠をしっかり確認した上で、自分の頭で考えて理解する必要があるのだと考えます。


写真資料 上「 「歴史写真のトリック」下「キムラカメラ」
キムラカメラは広告用に写真を切り貼りしてイメージを作ったコラージュの名作
(記録映像の対極にあたる存在として参考併記)

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2010年08月16日  良く出来たフードストラップ



現在マクドナルドでやっている「フードストラップ」プレゼント。
またまた子供だましでコスい事始めたなぁーと思ってました。

たまたまマクドに入る機会があったので、店頭に並んでいたそのストラップに目が行きましたが・・・なんか凄く良く出来ているではないですか!? これはメニューのおまけのレベルを超えてますよ・・・久しぶりにこの手の食玩模型に感動を覚えました!当然、ポテトとドリンクのLサイズのバリューセットを頼んでしまったのは言うまでもありません。

600~800円程度に付けるおまけとして、この模型は原価がいくらなのでしょう?中国やベトナム辺りで作っているならば恐らく100円もしないはずですが、それでもこの造りは・・・500円のガチャガチャの品質に匹敵しています。ほんとに良い出来ですね・・・

食玩模型は素晴らしいマクドですが、あの脂ぎったポテトのLサイズはとても全部食べられませんでした。ハンバーガーも肉の味は相変わらずパサパサです。ふと、昔・・・仮面ライダースナックを買って、カードだけ取り出し、スナックの中身はドブに流していた時の記憶が蘇りました(苦笑)

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2010年09月25日  四コマ漫画



四コマ漫画というのは本来とっても面白いジャンル。あらゆるジャンルがあるし・・・ものすごーく久しぶりに四コマ漫画の月刊誌を買いました。

「月刊 まんがタイム きらら」

何でコレを選んだのかというと、巷で話題になっている「けいおん」が連載されていると言うので。なんか凄い人気なのですね!?少し前に、このテレビアニメの主題歌数曲がオリコンの上位を独占していたのには、ちょっと驚きを感じてしまいました。いくら注目されているからと言って、アニメファンが投票しただけでは、オリコンの上位を独占するだけの票が得られるとは思えない。そもそもアニメ+コミックファンの人口がたくさんいたとしても、一つの作品にそんなに一点集中するものなのか?人気があっても、ドラえもんやポケットモンスターの主題歌が、オリコントップを「独占」するという現象は今まで無かったぞ?そもそも上位30位圏内に入るだけでも名誉なはず。

まぁ、アニメ方面の話は今回横に置いておいて、四コマ漫画の方に話を戻すと・・・最近の四コマは起承転結が無いのか?という様な雰囲気を感じました。どの漫画タイトルも、トータル8Pの中に計16本詰め込んで、全体で何かストーリーっぽい流れを作っている。各話に明確なオチがあるのでは無くて、キャラクターの喜怒哀楽を一緒になって楽しむ方向性とも言うべきもの?気持ちは分かるけれど、作品として完成しているのか?と言えばよく分からない・・・でも、読者がそれで良いと認めているのであればアリなのかな?・・・

この10年間で話の組み立て方及び流行りが、かなり変わったものだなぁとしみじみ思った次第。色々参考にすべき所はありますなね・・・

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2010年12月11日  議論がDHMOで満ちていないか?



インターネット(HP掲示板・ブログ・Twitter等々~)が一般化して、今や様々な人々が情報発信をするご時世になりました。素晴らしい事ですが、それは良い事ばかりとは限らないのです。ウソやいい加減な情報も流されるし、意図的な情報操作も存在します。特にTwitterが流行ってからはあることが顕著に。それは世間の認識を意図的に導く言葉のマジックなり。逆説的なプレゼンテーションとも言える。具体的には「DHMO」に象徴される言い回しであると思われます。そこで少しその話題にふれてみます。

DHMOとは・・・「人はいかにだまされやすいのか?」という検証実験にて、有るアメリカ人によって有名になった言葉。以下は引用文

「DHMOは、溶媒や冷却剤などに利用される化学物質」その毒性や特性を否定的&感情的な言い回しで説明し、その後「この物質は法によって規制するべきだろうか?」と聞き手に尋ねると大半の者が「規制に賛成」側に回ってしまう。

 ・水酸と呼ばれ、酸性雨の主成分である
 ・温室効果を引き起こす
 ・重篤なやけどの原因となりうる
 ・末期ガンの患者の悪性腫瘍から検出される
 ・大量に吸引すると死亡する  etc.~。

 DHMOの正体は何か・・・
 別名一酸化二水素。化学式で現すとH2O(エイチツーオー)つまり水。

答えを先に言えば、「なぁんだ」と安堵する話となるのです。でも先に提示した様々な現象には「一つもウソが無い」ので、情報としては問題が無い。そこからイメージされ導き出される答は「恐怖と嫌悪」の対象でしか無くなる。つまり、情報の伝え方によっては、まともなものも悪者にされてしまう風評被害が発生する訳。シンプルな事をいかにも難しく解説して、聞き手を煙に巻く際にも有効な技。ディスカッションを「言葉による闘い」と捉えるならば、言葉にも相手にダメージを与える有効技がたくさん存在します。評論家やロビイストなどはその技を多く会得しており、口だけで人を完膚無きまで叩きつぶす事の出来る「言葉のソルジャー」であるとも言えそう・・・

ちなみに「DHMO」同様「パンは危険な食べ物」という類似ケースもあるらしい。Wikipediaでぐぐれば今はすぐに分かる言葉。肝心なのは知っているかそうで無いかになりますね・・・元々は、こういう言葉での情報&イメージ操作は、昔より為政者がよく使ってきたとも言えそう。

話がコロッと変わりますが、ここからが本題です。
最近この国の首都と呼ばれるそこの自治体にて、多くの圧力団体をバックにつけた偉い議会の先生方が、クリエイターの権利を奪おう?として、前代未聞の条例案を通そうとしている模様。その口実と建前には多くの「DHMO」に相当する根拠が提示され、世間からの反論の余地を認めていない!?条例の内容全てが間違っているとも断定出来ませんが、今回の論議にも理解できない曖昧な定義がたくさん有りすぎます。そしてついにその「悪法」が成立してしまいそうなのですね・・・

以上は「漫画やアニメやゲームは青少年の発育に悪影響を与えるか?」という問題提起に帰結する問題としてコメントしました。尚、真にモラルに反する著作物は確かに存在する事でしょう。その問題論議はまた別の論点に譲るべきことだと私は考えています・・・
(写真:こういう看板は扇情的と判断されて真っ先に規制されますね?)

追記

何でも規制の基準の中に「小説は良くて漫画ではダメ」という境界線があるらしい?(ネットでの情報による)その根拠は、文字の言葉は読む人によって受け取り方が様々異なるが、漫画は誰が読んでも結論が同じだから・・・とか。つまり卑猥と思われるイメージにおいては、後者は言い逃れが出来ないという解釈!?それこそ誰かの主観判断だと思われる。そんな曖昧な線引きで条例をつくるのは不自然で、何かしらの意図さえも感じてしまいます。そしてまた、世間にその条例文が広く告知されるのは、議会にて決定されてからでは順番としても疑問が大いにあります。

蛇足

あと・・・民主主義においての評決は多数決によって成されますが、逆説的に、多数決だから民主主義が守られたというのはまやかし。そうだとしたら、世の中の社会的弱者で少数勢力は何時までたっても救われない憂き目にあいます。現代国家においてそれで良いのか??・・・

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2010年12月14日 リボルテック特撮シリーズ ジャイアント・ロボ



秋葉原や中野のブロードウェイが、危険な場所だというのは以前コメントしました。何が危険かって・・・面白いモノがたくさんあるからに決まってます。特にサブカルチャーものが危ない!モノなのに私に電波を飛ばしてきます。なのでいつも見なかった事にしてその場を足早に通り過ぎる。魔の手から逃れるにはそれしかありません・・・ところが今日は足を止めてしまいました。とあるミニチュア模型から電波が飛んできたので、ついそれを手に取ってしまいました。

リボルテック特撮シリーズ NO.009 ジャイアント・ロボ

全高13cm程度のフィギュアですからそれほど大きく無い。このリボルテックというのは、関節部分に特徴があり、フレキシブルに可動します。球体関節人形の一種。つまりポージングが自由にできる模型であること。私が小学生の時にあったミクロマンに近い感じ。様々なキャラクターものが存在します。

ジャイアント・ロボ(GR)は、1967年にテレビ放映された実写バージョン。とても懐かしいです。そしてGRは関節部分が元々蛇腹のデザインなので、リボルテックのジョイントが上手く隠れてとてもバランスが良い。最初から付いている汚し塗装風の質感が、樹脂製の安っぽさを適度に軽減している。価格も2千円台なので大変リーズナブル。

卓上に飾ると、すぐにその存在感を示して、大変良いオブジェに。いい買い物をしました(でも嫁さんに速攻で見つかったのは誤算だったな・・・ま“っ!)


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2010年12月17日  ゲーム・ウォッチ



実家の棚で捜し物をしていたら、私が高校生の頃に遊んでいた携帯ゲーム機が出て来ました!

任天堂のゲームウォッチ

手元に資料が無いのでネットで調べてみたところ、1980年の発売とある。一世を風靡したスペースインベーダー登場の直ぐ後・・・それはファミコンが発売される前の時代なのです。その後スーファミや初代ゲームボーイが発売されるまでの間、このゲームウォッチが持てはやされた時代がしっかりありました。ゲーム内容は大変シンプルで、いわゆる落ちゲーの一種。私が所有していたこの二台は「パラシュート」と「オクトパス」。前者はヘリコプターから落ちてくる落下傘を船で受け止めるもの。失敗すると降下兵は鮫の餌食になります。後者は潜水夫が海に潜って海底にある宝箱に到達する内容。大ダコの触手に捕まらないように避けながら進みます。ああ懐かしいなぁ。

電池を入れると、二台ともしっかり完動しました!作りがシンプルだから壊れにくいのかも知れません。でも液晶には寿命があるかと思いますので、これは保存状態が大変よい個体ですね。このぐらいの内容なら、今の携帯ゲームに簡単に移植できそうなものです。iPhoneアプリで復活してくれるたらいいなぁと思っていたら、既にそういう復刻版ゲームがでていました。ただし、DS Liteなどの新型ゲーム機向けに・・・


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2011年2月2日 リボルテック特撮シリーズ サイボーグ怪獣ガイガン



昨年12月に秋葉でリボルテックという球体関節系のギミックがあるフィギュアで、ジャイアント・ロボを見つけて買いました。ローコストな割にその造りが良いのに感動。ポーズが色々変えられるのが良いのです。

ヤバいなと思ったのは、この特撮シリーズは 今後もあれこれ出してくるという。その中には私の最高の賛美である「やめてくれ!(買うしかないだろ?)」に相当するモノが含まれている。何と映画「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」に出て来た初代ガイガンをリリースするとの予告があった。コイツは私が小学生の時に一番好きだった怪獣なのでした。当時、ブルマーク社のソフビで出ていたかもしれないこのフィギュア。私はこの手の玩具はほとんど買って貰えなかった。大人になったら関心が薄れるかと思っていたらそんな事はぜんぜん・・・

リボルテックシリーズは、個々の作品ごとに造形師が違うらしく、細部の出来具合のクォリティ差が大きい。このガイガンはいったいどうであるかが気になっていましたが、今日確認出来ました。

なかなかの完成度です!大変良いプロポーションで納得。一つだけ気になるのはボディのカラーリングが濃い蒼緑であることかな。スクリーンの中でのガイガンはどちらかというと青いボディーでした。何でこうなったのか?初期設定資料でも調べてみないと分からない・・・でも、これは充分満足の一品として机の上のオブジェに加えます。

箱の中に激ヤバなチラシが入っていました。過去に出されていたオールラインナップ。GR-2・イングラム一号機・ブラックオックス・グリフォン・ゲッタードラゴン。素晴らしいですね・・・怪獣も今後増えるのであれば、是非 超獣バキシムもラインナップにプリーズ!


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2011年2月24日  ミニチュアの顕微鏡



今日買い物に出かけた先で、顕微鏡を衝動買いしました!

ほらっ!立派な顕微鏡でしょう(笑)

ちゃんと使えるんですよ!

価格は破格値の300円。

しかも二台も買ってしまった。

本当は天体望遠鏡が欲しかったのに・・・

引力の強いガチャガチャのはなしでありました・・・


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2011年3月6日  昭和のギャオス



青空市というのは時にとんだ掘り出し物が見つかります。不思議なことにそれがどんなに離れていても気づいてしまうのが自分でも不思議。遠くの小さな机の上にソレが置いてあったのは見逃しませんでした。

「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス 1967」

旧作に出て来たちょっとユーモラスな表情のギャオス。これはソフビ製では無くやや堅い樹脂製のリアルタイプリメイク版。メイドインジャパンなのがちょっとした価値の高さ。1990年代よりこの手のフィギュアはコリア製~チャイナ製にどんどん移行して、そして大量に作られる様になりました。それより前の日本製はなかなか数が少なくて貴重品です。まぁソレはどうでも良いか・・・

以前コメントした通り、私はガメラフリークなので、これは見逃せなかった。しかも、家には同じ尺度のやはり旧作のガメラがおりますので、これでペアが組めるではないですか。中古で所々の塗装が禿げているため、価格も大変安かった・・・掘り出しものでした。

蛇足ですが・・・

「ガメラ対大悪獣ギロン 1969」に出て来た銀色の宇宙ギャオスのフィギュアは、存在するのは知っていますが、まだ一度も見たことがありません。そちらもいつかゲットした一品ですね・・・


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2011年4月22日  魔法少女まどか☆マギカ



私もいい歳になりましたけれど、漫画もアニメもいつまでも見ています。 だって立派なメディアだもの。団塊の世代が上から何か言って来ますが・・・やはり世代ごとに価値観に違いがあるようですね。受け流しましょう >^_^<

まぁそれはいいとして・・・時に話題を集める作品がポッと出て来ます。それはちょっとした事件と言ってもいいかも知れません。エヴァンゲリオンが一世を風靡して以降、人気が出た良い作品はいっぱいありますが、前例を覆すエポックメイキングな作品というのは簡単には現れていない!?

特に・・・私が注視しているポイントは、シナリオの斬新さとストーリーの面白さに尽きます。グラフィックの素晴らしさや、年齢対象がどうであるかは二の次で評価したい。だから例え幼児番組であっても素晴らしいものはスバラシイのです。実際NHK教育テレビでやっているタイトルには、侮れない番組がたくさんありますし。新しいアイデアに満ちた作品は輝いて見えますよ。つまりはコンテンツとしての価値の高さ。

昨晩 最終話を放映したばかりの某作品には、新しいエッセンスが詰まっていたと感じました。これが世間で騒がれているのに気づいたのは話が進んでいた時で、私は最初を見逃していました。「魔法少女まどか☆マギカ」敵との戦闘シーンのサイケでカオスな描写は、同ジャンルのその他に類を見ないものでした。話の進め方には「それで良いの?」という意外性+更に一歩こちらの読みを裏切る落としどころがあった。一言でいうと作り手に一本取られました。こういうのが「話題作」というに相応しい存在なのでしょうね。

・・・などと書いてみましたが、私はまだ全体の一部を飛ばし見しかしていません。来週の連休中にでもちゃんと見てみようと思います。サンプル画像はネットからのもの。最終話のラストカット。主人公たちが大勢のごく一部であったことの証。この構図は、かつて人造人間キカイダーで、悪の組織ダーク基地において、プロフェッサーギルの背後に並んだロボット軍団の出で立ちを思い起こさせます。横並びする中での一人一人のシルエットは、戦いの予感と長さ、そして何かへ期待というイマジネーションを見せてくれるものです。演出が効いている・・・

フッと思ったことなのだけれど・・・まどか☆マギカの世界観って、社会弱者から見たブラック企業との契約みたいな側面があるような・・・ マザーグースの歌に秘められたものを裏読みした時の感覚に近い痛さ。ハガレンやGANTZにもあったけれど、尊い契約には血が流れるということ・・・それは夢に逃げ込め切れない現実社会のリアルさのようなもの。そこにネット世代の共感が集まるのは何か?検証してみたくなります。


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2011年5月3日  原典を知っておくと理解が深まる



学生さんを意識したコメントを少々長々と・・・

少し前にミクシボイスで「漫画やアニメは二次創作」とコメントしましたけれど、この意見は以前 専門学校のゲーム科の授業で口にした時に、強い突っ込みを受けました。何故かというと、自分が大好きな漫画の原作が何かのパクリみたいな言い方だと言う事で、とても気分を害する学生さんがいた訳です。でもね・・・それは出鱈目や根拠の無い事では無いのですね。

だいたいあの巨匠 手塚治虫先生だって、古典文学をベースにした原作が多いのだ。その手塚先生が日本の現代商業漫画の文法の基礎を作ったと言って良いはず。その後の多くの漫画家はその文法に則って作品を描き、作品のネタも多くの前例を元にして創作している。それらは空気の様にあまりに当たり前になったので、もう意識すらされていないんじゃ無かろうか?少し具体的にふれるならば、超人が火・水・雷・風などを必殺技として使う発想なども、最早お約束のパターンでしょうし。江戸時代に書かれた小説の南総里見八犬伝なんかは、考えようによっては異能力者が集う戦隊ものの走りともとれる設定だ。原典となる発想は遡れば古くからある・・・

この前コメントした「魔法少女まどか☆マギカ」コミック1~2巻・TVアニメ6~12話を一気に見ました。私にしてみればこういうのは久しぶり。何で目に止まったかというと、巷の評価を聞いていたら、主人公が「契約によって願いと引換に義務を負う」条件や、「ワルプルギスの夜」が来るなどという、何処かで聞いた事のある設定が並んでいたので・・・ちょっとストーリーをかじって見た所、人間を魔法少女に変えてくれる使者「インキュベーター」が、どうも正義を動機にして動いているのでは無さそう。盛んに「契約」というキーワードを使っている?これはもう魂を差し出せと言って、人の心をそそのかして誘うメフィストフェレスにそっくりだ。そう思って見てみたらシノプシスがまんまでした。恐らくこれはゲーテの「ファウスト」がベースになっているのではと推測します。脚本家が策士でありそうで期待できたのです。

「ファウスト」の単行本は昔 高校生の頃に読みました。読んでけっこう影響も受けました。何でゲーテに関心を持ったか?と言うと、単純な理由です。手塚治虫氏の漫画に「若きウェルテルの悩み」の一節が紹介されていたから。どういう理由で作中に、ウェルテルの心中を引用したのか興味が湧いたのですね。ゲーテを読んでから手塚漫画を読むと、どの辺りから作者がインスパイアされて物語が再構成されたのかが伺えてきたり・・・相対的に、文学作品から抽出した動機付けで、構成されたストーリーの漫画やライトノベルスが目立つ実例が見えて来ました。

近年、学校の授業で、何かを作る際の元ネタや発想を何処から持ってきているの?と、学生さんに尋ねると・・・多くがゲームやライトノベルス辺りであろうと感じられた。それらは既に分かりやすく説明的に構成された二次創作物であり、コンセプトは単純明快。要するに、込み入った事情などを はしょっているものが多そうである。そこに「何か存在の必然性」とか「道理の根拠」を求めても、企画者が深く考えていないから、面白そうな答えが返ってこない。考えがこなされていない・・・

特に企画・脚本の希望者は、昔から発想の大元とされる「原典」をもっと読むべしと勧めたい。私だって別に文学少年であった訳ではないので、自慢できるほど読んでいませんよ。でもそうは言っても、そこそこ押さえるべきタイトルには目を通しているし、好きな分野はそれなりに詳しいつもり。それは学生のうちに済ませておいた予習です・・・

本棚からアーサー・C・クラーク著の「楽園の泉」を引っ張り出してきました。これは知る人ぞ知る、軌道エレベーター建設を話の背景にしたSF小説であります。平成世代の学生さんなら、最近の機動戦士ガンダム00(ダブルオー)に、それが出てくるのを知っているはず。ファーストガンダムの焼き直しであったSEED以降では、スペースコロニー落としに相当する大罪に何を当てはめようか探っていたのでは無いか?色々やっていたみたいだけれど、ダブルオーではついに軌道エレベーターを倒すというエピソードに置き換えましたね。流石にそれは大惨事に至ります。その際に、この長大な建設物が何故そこにあったのかは省かれていました。すでに壊す為の前提であったのだけれど、視聴者の多くが原典を知って理解していたのか不明。そもそも軌道エレベーターは、SF小説の中から生まれたものでは無く、それ以前から存在していたアイデアだそう。そういう文献は、企画に関わる人だったら知っていて然るべきかも・・・

繰り返し引用されて薄まってしまったパターンものはやがて魅力を失う。たかが漫画やアニメ・ゲームだとタカをくくるのでは無く、やはり原典を知るところからスタートした方が良いものが出来るのだと思います。「魔法少女まどか☆マギカ」は細かい所を検証すると、多くの伏線やメッセージの埋め込みが成されているらしい。それは「死海文書」に関連づけてストーリー作りをしたエヴァンゲリオンも同じこと。コンセプトにしっかりした動機付けが存在しています。面白い企画や作品はそういうプロセスがあって欲しいものだと、個人的にも強く思います。

「魔法少女まどか☆マギカ」の様な作品に、哲学が何故必要なのか?・・・等々は、また別の機会に長々と話したいと思います。ちなみに、子供に人気のプリキュアシリーズは明確に割り切ったコンセプト作品であり、そこに深い哲学は必要なし。両者の違いはマーケッティングの差でもありましょう(笑)ああそうだ、鹿目まどかは真の主人公ではありませんね。暁美ほむらがそうです。彼女がファウスト役であるのではないかと私は思いました・・・


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2011年5月10日  大人の科学マガジン「風力発電キット」



原発事故の影響もあって、にわかにグリーンエネルギーへの関心が高まっていますね。グリーンエネルギーとは・・・太陽光・風力・バイオマス・地熱・水力などで作られる「再生可能タイプ」の新エネルギージャンルを指すそう。私の身の回りの親戚にも、温水パネルや太陽光発電などを導入する人が出て来ました。

私も以前より関心があるのですが、初期投資がかなりかかるので、おいそれと導入できません。太陽電池パネルは本体だけでなく、敷設工事にも相当コストがかかる様です。私が現在注目しているのは「家庭用風力発電機」調べてみると、十分な風を受けて発電が継続した場合、日常電力の1/3程度の電力供給が可能なモデルが存在しています。価格は80~100万円ほど。元をとるのに10年以上かかりそうですが、どうやらそういう発想で導入するのはやや難があります。どちらかというと、停電などの非常時に、最低限の電気を得る自家発電(保険)の意味で考えた方が正しそう。実際に商品を作っているゼファーというメーカーがありますね。

ゼファー株式会社 http://www.zephyreco.co.jp/

うちにも一台欲しいなと思いながら、今すぐにはとても無理なので、ちょっと気分だけ味わってみたいなと思いました。学研の大人の科学マガジンに「風力発電キット」があります。実は既に昨年に買って持っておりました。何時までも本棚の肥やしにしておくのも何なので、組み立ててみました。

サイズからしてこれは風力計レベルの大きさ。発電キットとある様に、風車が回転すると、小さなモーターを回して豆サイズのLEDを点灯することが出来ます。それだけの機能ですが、ベランダに設置して雰囲気を楽しんでみようと思います。


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2011年5月15日  吾妻ひでお漫画論



平成の今の世はすっかりサブカルチャー天国の時代となりました。本当に生きやすい世の中になったのですよ、オタクの皆さんにとっては。漫画やアニメの話を大人がしても咎められないというのは、本来当たり前の事では無かったのです。そう、かの昭和の高度成長時代からしばらくの間は、漫画などを読む輩は、勉強しない悪い子ちゃんというレッテルが貼られていたのでは無いか?特に、ちょっとでもエッチな漫画などというモノは白い目で見られ、それらを人前で読むことは それなりの覚悟がいる事でした。何よりも学校のPTA(保護者軍団)やマスコミ(検閲組織)が厳しくて、それはもう○×▲・・・ちなみに現在は、かなり際どい作品が多い少年ジャンプなどを、電車内で平気で読める時代でありますね(苦笑)

さて、当時そんな中でも一部の勇気ある漫画家の先生が、果敢にエロい漫画を書いては少年誌に載せる努力をしていたのです。少年誌と青年誌には境界線が明確にありました。青年誌は・・・まだコンビニなどが無い~普及していない時代だったので、本屋の奥のそれと分かるコーナーに匿われておりましたから、今よりモラルのある?店主の視線をかいくぐってそこへ行くのは、地雷原を歩くがごとしでありました。そんな訳で、圧力の激しい当時の少年誌で、最初に危ない橋を渡っていた作家には、永井豪氏・赤塚不二夫氏に、吾妻ひでお氏などが名を連ねていたと記憶しています。

あずまと言えば、今なら あずまきよひこ氏の名が先に出てくる事でしょう。それは尾崎と言ったら、豊さんと返ってくる様なもんです。ちなみに紀世彦さんという答えもあるのですよ(専門学校の学生さんに言っても分かってもらえないネタ 悔) 吾妻ひでお氏の漫画は、今から初めて見る人にとっては、なんだか丸っこくて控えめのエッチな描写で、少しフラグが多い内容に感じられるかも知れません。何を隠そう・・・この人の指向性が現代の萌表現の走りであったのでは無いかと私は考察しております。ちょっとロリが入っていながら、ネタ元をSF大家の小説や、インテリが好みそうな難しいどっかから持ってきた話を挟んで展開が進む(例えば太宰治作品など)でもその進み方はかなりお下劣で幼稚で笑えるパロディな描写。そのアンバランスさに私はいつも笑いを頂戴しておりました。

吾妻ひでお氏は、本人曰わく 天真爛漫で自由奔放!世間のモラルなんかくそ喰らえと言わんばかりのキャラクター?でも、いつの間にか凄く人気作家になってしまい、そのプレッシャーが相当あったらしいのですね。いつしか、締め切りを放ったらかすというプロにあるまじき行為を犯し、家族をおいて失踪してしまいました。しばらくたってから復帰して、その時の逃亡生活を漫画にした「失踪日記」は、本人は言い訳を書いたつもりで書いたみたいなのですが、これは文学作品のレベルに昇華した名作であります。多くの他の漫画家も絶賛する内容で、私もこれは手塚治虫氏の本の横に並べるに足る存在だと評価しています。哲学書に一歩近づいた金字塔かも・・・

この度、その失踪日記や最近の作品など全てをまとめて、多くの著名人が総括を論じた本が出版されました。それが「文藝別冊 吾妻ひでお」です。近場の書店で見つけられなかったので、私は先日Amazonでポチりました。それがやっと届いて、仕事中にもかかわらずチラ読みしては感動しております(笑)

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2011年5月25日  光と闇の魔術師 レンブラント展



今日は上野の国立西洋美術館でやっている「レンブラント展」を見に行ってきました。

レンブラントとは(偉大な作家を敬称略にて失礼)・・・17世紀に活躍したオランダの画家。油絵だけでなく エッチングによる銅版画を得意とした作家です。特徴的なのは、唯一無二とも言える陰影の使いこなしが素晴らしいこと。「光の画家」「光と影の魔術師」とも呼ばれています。それは作られた版画の実物を見ればその凄さが分かります(残念ながら印刷物・WEBの画像などでは分からないと思う)一般の絵画や版画を見ると、素晴らしい作品にはしっかりとした光と影を感じることが出来る。それはまぁ普通のことです。ところが、レンブラントの作品には、光を感じるのでは無く、そこに光があるのです。信じられないことですが、画面の中の空間に暖かい光そのものを感じる!それは、もはや技術論を超越し、理屈では全く信じられないような表現力を内包した宇宙なのだ。この人の視界にはきっと常人の理解を超えた何かが見えていたのでは無かろうか?

私が最初にレンブラント展を見に行ったのは、美大受験の浪人生の頃だったかと記憶しています。レンブラントは日本でもファンが多いので、10年に一度ぐらいの頻度で大きな展覧会が行われているのです。美術の勉強を始めた頃に見たレンブラントは、私にとってはどう観察しても分析の手がかりすら掴めない遠い存在でした。その技術の僅か髪の毛一本分でも理解できたら、何か凄いパワーを得られるのではないかと望みました・・・

日本には漫画という世界に誇れる表現メディアが存在します。でも、どんなに絵が上手い作家でも、その絵の中にレンブラントほどの光と闇を描ける人はいないと思う。次元が違うと。だから、逆にレンブラントの作画の秘密を会得して、それを漫画やイラストに活用できたならば、もの凄い表現力を発揮することが出来るのではないだろうか!?私はそんなことを考えていました。だからこそ、今 専門学校でグラフィックに関わる学生さんたちは、是非見に行ってもらいたいと強く思うレンブラントなのであります。

今回のレンブラント展では、とても有難い展示手法が試みられています。それは版画家が、インクや紙にいかにこだわったかという視点。17世紀の時点で、世界中から取り寄せたありとあらゆる紙を試して、版画での表現力を究極にまで高めていた凄まじい努力。実物だからこそ伝わってくる迫力は、そういうこだわりの部分からだと思われます。その到達点でレンブラントは、何と日本の和紙に一つの答えを見いだしていたのですね。今回の展示会では、一つの作品を西洋紙・中国紙・和紙に印刷した場合(当時の試し刷り作品)のバリエーションで比較して見ることが出来ます。とても良い企画です。国立西洋美術館の学芸員か、レンブラント作品にかかわるキュレーターに素晴らしい視点を持った人がいるのでしょう。 一度は見る価値があります。大変お勧めであります。

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2011年6月7日   仮面ライダー写真集



サブカルチャーが日本の輸出産業となり、それなりの文化として認知度も上がって来たのは否定できない事実だと思います。以前にも何度かコメントしましたけれど、今や大人でもおもちゃやゲームに興じる事が、恥ずかしくないご時世になりましたよね(自己肯定 笑)それは大変よろしいことかと個人的にも思います。そして、先日コンビニのブックコーナーで、こんな写真集を見つけて買いました。

「仮面ライダー」公式写真集 40周年記念本

コレは写真集なのです。凄いと思いませんか?設定資料集では無いのですよ。本来写真集と言えばグラビアが多い。それはアイドルだったり、女優だったり・・・そういうカテゴリーに、サブカルもののヒーローが飛び入りです。更に こうした企画本がコンビニで売られるという事は、それなりの数がイニシャル(初期ロッド)で刷られた事を意味します。つまり、それだけ売れると企画元は踏んだのでしょう。市場が成熟したひとつの証拠でありますね。

内容について少し突っ込みを・・・仮面ライダーは、昭和と平成のシリーズで流れが大きく異なります。前者は「初号ライダー」から 「J」までで一区切り。その後のイケメンを中心とした新しいシリーズに移りましたね。私は1987年の「BLACK」から2007年の「電王」前まで、一旦関心が離れておりブランクがあります。その間に、主人公であるライダーのスタイルの変化もさることながら、敵である悪の組織の定義も随分変わってしまいびっくりしました(笑)そして、単に世界征服を狙っていたショッカーやデストロンの大義名分はとてもシンプルだったのに・・・平成ライダーシリーズでは、悪にもそれなりのポリシーが生まれ、一般社会に溶け込んだ怪人まで現れてきた。それこそ時代の変化でありますね。なんかもう変身することがファッションの一部と化している感すらあります・・・

現代のヒーロー像はいかなるものであるのか?単純なる正義と悪のステレオタイプでは無さそう。価値観が違う二つの勢力のせめぎ合い程度の戦いにスライドして来たような・・・だから本来悪である怪人にも、感情移入が出来そうな存在が増えてきました。もしかしたら、怪人にスポットを当てた写真集なんかも出て来てもおかしくありません!?それもまた、新たなキャラクター商品市場を作り、色々な企画が生まれるきっかけになりそうで面白いと思います・・・

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2011年6月20日  特撮リボルテックシリーズ ギャオス1967



リボルテックにはいくつかの系統がありまして、ロボットやキャラクターフィギュア、特撮怪獣などの大系に分類されます。私が注目しているのはその中の特撮シリーズ。主に実写版の怪獣映画やTVヒーロー番組に出て来たモンスターがラインナップされている。

以前紹介した < ジャイアントロボ 1967 > や < サイボーグ怪獣ガイガン 1972 >もそのうちの一つです。今回 新たにシリーズに加わったのは「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス 」に出て来た< ギャオス 1967 >です。これは3月に青空市で見つけた樹脂製のギャオスと同じ世代。1995年リメイク版のギャオスではありません。

フィギュアの出来は、そのデザインを作り上げる原型師と呼ばれるクリエイターの手腕にかかっています。リボルテックシリーズは数あれど、一体ずつ原型師が異なっており、その完成度はかなり幅があると思われる。私の大好きなガメラなどは、昭和版・平成版とも納得のいく仕上がりとは感じられず購入意欲も湧きません。元々リーズナブルな価格設定なので、あまり贅沢な仕上がりは望めないのかも知れませんが・・・ガイガンなどはとても素晴らしい完成度でありましたので「厳しい条件内でもやれば出来る見本」が存在するのであります。

< ギャオス 1967 >も、可動関節を境目にしていくつかのパーツに分かれます。そのジョイント部分が全体の造形にうまくマッチしていればいいのですが、ややもするとちゃちっぽい関節人形になってしまう。厳しい事を言うと、このギャオスの胴体部分のシルエットがなんか体から皮一枚浮いた感じがしないでもありません。特に後ろから見た時にシャープなボディラインが途切れており、鎧を被っているかのごとき。少々残念な感じがしました。でも、首から上の作り込みは、オリジナルの印象をよく映しており、しっかりギャオスの表情を感じさせてくれます。脚部のすねから先の足の爪に至る部分も特徴がとても良く出ていると評価したい。総じて、1967年度版のギャオスとしての風格は再現できているのではなかろうか。

数ある怪獣の中で、私はギャオスが大好きです。コウモリをベースにしたデザインだと言われていますが、私はギャオスに狐の印象を持っている。少しずる賢そうで性格は凶暴(人間を喰うもんね!)超音波メスという破壊光線を武器に持っている大変ユニークな唯一無二な存在かと思います・・・

さて、ガメラシリーズに出てくる怪獣達はこれまでにあまり良い立体化造形がありません。是非今後のリボルテックのラインナップに期待したいと思います。つまりは良い原型師に担当してもらいたいもの。バルゴンとギロンと宇宙ギャオス、それにジグラを是非是非!知る人ぞ知る、企画段階で没稿となった幻のガラシャープなんかも具現化してくれましたら、私は絶対に買いますよ(笑)

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2011年7月15日  ウルトラ怪獣DVDコレクション



今年でウルトラマンシリーズが誕生して45周年!もうそんなに経ったのかと驚きます。思い起こせば私の幼少の頃は、ウルトラマン・仮面ライダー・マジンガーZと、様々なエポックメーキングなタイトルが登場してきたイマジネーション豊かな時代でした。何故かというと、科学技術に夢を託して明るい未来を望める世の中だったから!?

ウルトラマンはウルトラQの後番組として始まった円谷プロ制作の怪獣シリーズ。よもや こんなに長く続く長寿シリーズ(カテゴリー)に成るとは・・・その初代マンが単発のDVDとは別に、怪獣毎にスポットを当てた企画版として再登場してきました。最初にバルタン星人を持ってきた辺りは、通好みなウケを狙っての事なんでしょうが、そういう切り口はズルいです。私はしっかり買ってしまいました(笑)っと言うのも、本編の映像もさることながら、付属しているMOOKの編集が心憎い。例えば・・・特集したバルタン星人の歴史が刻んであります。最近の「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説THE MOVIE」に至るまでのバルタン星人の変遷が載っている。こういう時間軸に沿った解説は嬉しい限りです。

40年以上前にはCGによる特殊効果はありませんでしたから、ほとんどが実写の合成加工による映像。やや荒削りな所もありますけれど、ただ綺麗な映像で当たり前に見える昨今の特撮モノには無いインパクトがしっかりあります。そこを私はとても評価したいのですね。その辺りを平成の世代の人たちにも伝えたいなと思うのですが、どのように感じてくれるのだろうか・・・

ウルトラ怪獣DVDコレクション 講談社より(毎月10日・25日発売)
円谷プロニュースサイト http://m-78.jp/news.php?id=1067

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2011年11月5日  まどか☆マギカの総括本



この所ちょっと忙しいので疲れ気味です。でも疲れている時ほど頭は冴えていたりもする。すると、小難しい評論なんかを読みたくなる病が出て来ます(苦笑)本屋で面白そうなのを見つけました。

「魔法少女まどか☆マギカ」の総括本

これはユリイカ 11月臨時増刊号。ユリイカは、芸術評論誌というジャンルの雑誌で、内容は「文学・芸術」の多岐に渡る総評を主とする理屈っぽい内容。近年では時々サブカルジャンルも特集して異彩を放っているらしい。何年か前にカルチャー雑誌STUDIO VOICEで「ヱヴァンゲリヲン」を特集した時の様なインパクトがあります。

この作品が近年のアニメジャンルにおける一つの金字塔になりえるのは、それが創作系作品としてのチャレンジ精神に満ちているからでしょう。監督の新房昭之氏や脚本の虚淵玄氏が何を目指していたのかによる影響が大きい。その周辺事情を探ってみると、今のアニメやコミック業界の閉塞感が強く、末期的と思える程行き詰まっているのが見えてきます。これはかなり深刻だわな・・・

視聴率・売り上げなどを追求するあまり、流行にすり寄ってかなり多くの作品が「金太郎飴状態」に陥っているのは、みんなうすうす感じているでしょう?その流れに逆らって新しい何かを創り出そうとする事がいかに難しく厳しい事なのか。それは現場スタッフの抱える由々しき問題。目新しい創造行為は・・・これはもうユーザーサイドからの支援・支持が無ければ、そういうチャレンジは実を結ばないのですね。今回「魔法少女まどか☆マギカ」が世間一般に広く支持されたと言う事が、一つの光明に思えて頼もしくなります。

まだ数項に目を通しただけなのですが、この本はお薦めしたい。ホント文字ばかりの理屈っぽい内容ですけれど、作品を総括することの意味は大事であります。私としては脚本の虚淵玄氏へのインタビューコメントに大きな希望を感じました。これからの日本のアニメ業界を背負って行ってくれる人材だと思います。

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2011年11月17日  懐かしの5円プロマイド



私が小学生の頃、昭和40年代に流行ったものがいくつかありました。「5円プロマイド」という商品もそうで、当時大変人気があったコレクターズアイテム。平成の今でいうところのトレーディングカードに相当する価値があったものと言えるかも。それは、主に駄菓子屋さんという当時のコンビニみたいな子供のオアシスがあって、安っぽい藁半紙の様な袋に一枚ずつ入っているのを、束の中から引き当てるという商品でした。プロマイドとは要するに紙焼きの写真の事です。これは原板のモノクロ写真に絵の具で着色した疑似カラー写真であります。独特な雰囲気がありますね・・・

5円払って紙袋の中のプロマイドを確認するのはとってもエキサイティングだった。中に何が入っているのか分からないのは今と同じシステム。何故か同じものが続けて出るので、システムにいかさまがあったのは明らかだ。何度発狂したか分からない。私はガメラシリーズの束から引いている事が多かったのですが、大好きなギャオスやジグラの欲しいプロマイドはあんまり出なかった。いったいいくらつぎ込んだのだろう!?まったく子供から金を巻き上げるシステムを考えた大人は「タヒね!」と幼少のおつむでも感じたものでした(汗)

その「5円プロマイド」が平成の世に現存していました!先日、中野ブロードウェイに所用があって立ち寄った時に、プロマイド商品を扱っているお店を見つけてしまったのだった。ショーウィンドウの中に、懐かしいモノを見つけた時には足がその場に張り付いて私は石化しました。「今更そんなモノに興味を示してどうするのだ!?」と言う声と「今なら大人買い出来るぞ」という声が闘い始めたのは言うまでもありません。

10枚で千円程でした。100円プロマイドでした。しかも中古で黄ばんでいる・・・
でも、けっきょく買ってんじゃん。誘惑に負けた!

私が今回手に入れたのは「ガメラ対ジャイガー」のプロマイド。10枚の束の一番上に見えたものが、かつて持っていたものだったので選んでしまった。あとはギャオスとギロンとジグラも欲しいな・・・そんなこんなで、中野ブロードウェイは大人が行ってはいけない場所である事を再確認しました。発言が大いに矛盾してますが悪しからず・・・

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2011年12月28日  ミニチュアコレクションシリーズ



今日 こんなガチャガチャを見つけました。

「一眼レフカメラミニチュアコレクションシリーズ」

PENTAXの6機種がラインナップに。

200円相当の出来としてはまぁまぁかな。

一つ買って出たのはK-5、出来たらMXが欲しかった・・・

もしNikonシリーズが出たら大人買いしてしまいそうで怖い。

やばいです・・・

ちなみにこのミニチュア、本物のカメラのホットシューに

くっつく様に出来ています。


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2012年1月7日  ミニチュアコレクションシリーズ 続報



今日 家族そろって近場のイオンに出かけた所、またまた例のカプセルを売っているガチャガチャマシンを見つけてしまいました。

これは無視出来ないと思い、100歩譲って財布の中にある100円玉の数だけしか使わないぞと固い誓いを立てて臨みました。チャンスは2回分。私はPENTAX MXが欲しいのだ!すると・・・1回目は前回と同じK-5のLimitedSilverモデルが、そして2回目に念願のMX Silverモデルが出ました。やった!うれしいな!

この400円の出費は安くはないけれど、大きな成果に繋がって納得です。
私のゆるい正月気分はまだ続いています(笑)

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2012年1月31日  UCCミルクコーヒー アスカフィギュア付き



目に入ったので買ってしまいましたよ 懲りずに・・・

UCCミルクコーヒー アスカ特性フィギュア付き

ヱヴァンゲリヲンは、その初期より劇中に多くの実在する商品を登場させて、その後その商品メーカーとスポンサー契約を結ぶという離れ業をやってのけていると見える。それは広告の呼び方としては、かなりイレギュラーであり、また巧妙狡猾な力技にも見受けられます。今や数多くのグッズや食品パッケージに、説明脈絡無くヱヴァのキャラクターが載るようになりました。最近では恐らく メーカーの方からすり寄っているのでは無いだろうか。何しろネームバリューがほぼブランド化しておりますものね。こんな旨いネタは限られておりますゆえ・・・

今回のフィギュア付きUCCコーヒーは、キャップの台座にフィギュアを付けて缶の上に被せるタイプ。おまけの企画としてはまぁまぁなんじゃないでしょうか。出せば売れると分かっているのか、けっこう強気の値付けでした。その分 作り込みは良いと感じます。欲を言えば、表情がもう少し豊かであって欲しかったなー。でも、ほんとにこんなモンに凄いエネルギーが注ぎ込まれているのだから、サブカル業界は侮れ無いったらありゃしません。

今回の商品パッケージには、この秋公開の映画の宣伝もしっかり入ってました。
どこまで抜け目ないんだ・・・


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2012年2月15日  北京 故宮博物院 200選



上野の国立博物館で現在催されている「北京 故宮博物院 200選」を見て来ました。11世紀の宋時代から20世紀の清時代までの王宮文化にある様々な資料が展示されていました。私は中国は過去に二回観光旅行で訪れましたが、その広さとスケール感は日本には無いもので、想像を超えた凄さがそこにあります。

展示内容は主に巻物が多かったです。その巻物に描かれた書画と漢字の記録は、私の様な歴史の素人が見ても思わず唸ってしまうほどの精密勝つ流暢な描写でありました。ちょっと想像を超えたレベルだった。そもそも日本に多大な影響を与えたそれ以前の中国を見ても・・・漢という時代は紀元前200年頃から紀元200年頃までの約400年。その頃の日本はどうであったかと比べるといかに進んだ文明であったかが測り知れます。恐るべし中国・・・

中国という国家に対する印象と感想は、近代中国における日本との不幸な関わり合いと、最近の緊張関係などがあって、あまりポジティブなものばかりではありませんが、少なくとも古代中国における文化の深みは感じる事が出来ました。今日は私にしては珍しく中国ベタ誉めです。

ちょっと驚いたこと。約千年ほど昔の巻物にしても、その保存状態が大変良く、退色していても敗れたりシミになっていたりがほとんど無い。綺麗過ぎる位。中には複製品展示というものもありましたが、オリジナルがそんなに綺麗な状態で保存されていたというのが少し不思議でもありました。

あと、歴史の年表を見て改めて驚いたのは、清という王朝が20世紀まで続いていたという事実。中国共産党は割と最近出来た体制なのですね。中国の歴史についても機会あるごとに勉強しておいた方が良さそうだと認識を新たにしました。

博物館内展示は撮影禁止ですので、写真は外観のポスターと出口の階段付近のワンショット。


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2012年2月18日  海外製の動物フィギュアの出来具合



最近 水族館に行った時に、土産物コーナーで鯨や鮫のフィギュアなんかが 普通に売っている様になりましたね。この前それらを手に取ってみた所、日本の海洋堂のものではありませんでした。急いでいたので、何処の製品なのかまでは確認しなかった・・・

昨日 本屋に行った時に、玩具・おもちゃコーナーがあって、そこで動物フィギュアが置いてあった。海洋堂のものは、カプセルに入った組み立てるタイプが多いですけれど、今回目にしたものは完全に組み立ててから塗装した一体成形ものでした。継ぎ目は無し。

商品タグを見てみると「Schleich」と書いてある。製造がMade in Chinaの刻印もありますが、商品自体はドイツのシュライヒ社のものと判明。
シュライヒ社

大きさはカプセルフィギュアよりも二回り以上大きく手のひらに乗せてちょうど良いサイズです。色々なものがありましたが、私は自分が大好きな亀をチョイスして買いました。値段は、動物によってサイズが違い、私が見た範囲では約600円から1300円くらいまで幅があるのを確認しました。

シュライヒの動物フィギュアは、完全なるリアル指向で造りが細かく、表情の付け方が日本のものと若干違うように感じます。動きの付け方が自然なのですね。海洋堂のものよりも足先などの表情がより繊細であると私は評価します。まぁコストが何倍も違うでしょうから、同じ価格帯での比較は酷かも知れません。 Wacomのタブレットの上に置いて見ると落ち着いた存在に見えて、とても良い感じです。5枚目はおまけ。平成ガメラのカプセルフィギュアとのツーショット。



久しぶりに亀に触れたので、うちのかめさん(冬の間は段ボールの箱の中で冬眠中)の写真を比較として貼っておきます。こちらはロシア産のケヅメリクガメ。私が中学生の頃に、親戚のおじさんにもらったもの。もう35年以上生きています。実家の広いベランダが彼のテリトリー。冬眠から覚めるのはまだ少し先のことでしょう・・・

フィギュア写真
FUJIFILM FinepixS5PRO + SIGMA 150mmMacro F2.8→7.1 1/250 ISO200
Nikon SPEEDLIGHT SB-600 使用

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2012年6月8日  宇宙戦艦ヤマトは何故エポックメイキングたり得たか



「宇宙戦艦ヤマト」というアニメーションはその登場自体が事件だった。ファーストシリーズは1974年に讀賣テレビ放送(現 日本テレビ放送)でゴールデンタイム枠で放送され、最初のうちは裏番組の「アルプスの少女ハイジ」や「猿の軍団」などに押されてあまり目立っていなかったものの、次第に熱狂的なSFファンの支持を得てブームに火が付きましたね。当時私は中学生でしたが、まだビデオなどありませんでしたから、ラジオカセットテープレコーダーに音声だけ録音して何度も聞き直して楽しむほどの大ファンに!ほとんどの台詞を記憶してシナリオのト書きを書けるほど聞き込みました。

それまでアニメーションは子供番組としてしか評価されていなかったと思う。「宇宙戦艦ヤマト」が始まった4年後に、徳間書店から「アニメージュ」というアニメ専門誌なるものが登場した時には、世間からは「たかが漫画程度のものに何で専門情報誌など作るのか。いい歳をした大人が買うものか!」と陰口をたたかれたご時世でありました。でも、本放送が終わって間もなく全26話を再編集した劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が封切られると世間の注目は更に加熱。何と映画専門誌「月刊ロードショー」にまで特集が載りました。当時映画枠では洋画と邦画があって、後者にアニメは映画として認知されていなかったのでは無いかと思われる(ディズニーのファンタジアは洋画枠で例外的扱いだった)映画評論家はこぞって「世間は何を浮かれているのか?」という論評で「宇宙戦艦ヤマト」を白い目で見ていましたよね。現に「月刊ロードショー」の論評はかなり冷たいコメントで溢れていました。

まだ世間にアニメや漫画を文化として認めていないご時世だった訳です。テレビアニメに関する資料などはほとんど無く、主題歌とエンディング挿入歌のドーナッツ盤EPレコードが出ていればマシであった。ところが・・・「宇宙戦艦ヤマト」の人気と共に様々な関連グッズ(お子様向けでは無い仕様?)が作られ市場に溢れ始めると、それが商売となる記念すべき前例となったのだと当時を振り返って私は思います。何しろ映画館で売られていたのは普通はパンフレットとポスターがせいぜいであったのに「宇宙戦艦ヤマト」ではステッカーやプロマイドやプラスチック製のおまけなど、それはもうファンが喜びそうなグッズが一気にラインナップされていたのです。しかも、英語版のパンフレットやカレンダーまでも発売されていました。色々な新しい試みがそこで行われた。BGMのレコードが出るわ、フルオーケストラの交響詩も作られるわ・・・全ては西崎義展氏というプロデューサーの仕掛けから始まったとされています。キャラクターデザインを担当した漫画家の松本零士氏のデザインも大当たりだった・・・

商売になると凄腕のプロデューサーの考える事は次々にエスカレート。何とテレビシリーズをビジュアルストーリーとして書籍化した豪華本3巻セットを3万円!で発売しました。昭和53年当時にたかがアニメの資料集に万単位の価格を付けたのは明らかに異常であり、世間からはかなりの批判を受けたのも事実の様です。でもファンにとってはそれは夢の様なお宝であったのも事実。書籍としても前例が無い程のクォリティでありました。中学校の私のクラスで同級生の一人が親に買ってもらったという噂は一日にして広まりました。その彼の家にはクラス中の男子生徒が押しかけて「夢の3万円本」なるものを恐る恐るめくっていたのは一生忘れません(笑)

どんな作品でもそうですが、前例の無い新しい試みというのはエポックメイキングとしての評価があって然るべきです。SF業界の専門用語で言えば「センスオブワンダー」と呼ばれるもの。それは最高の賛美としての金字塔です。

まだ「宇宙戦艦ヤマト」の作品内容については何も語っていませんね。其の弐に続きます・・・

写真は「宇宙戦艦ヤマト」の全26話を収録したビジュアルストーリー大百科辞典(昭和54年初版本)何と3万円本が出た翌年には3巻を再編集した廉価版が出たのです。私はソレを買った。価格は4500円。廉価版と言っても当時としては充分高すぎる超弩級豪華本でした。平成の秋葉原には何でも揃っている当たり前の資料も、35年位前にはほとんど存在すら無く「宇宙戦艦ヤマト」が如何に多くの前例なる功績を作っていったのかが評価できると思います。ロボットアニメの金字塔「機動戦士ガンダム」が登場する5年前の事であります・・・

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2012年6月9日  ファーストヤマトとヤマト2199



当時「宇宙戦艦ヤマト」は社会現象にまでなりました。プロデューサーの西崎義展氏はラジオ番組の文化放送セイヤングに番組枠を設けてパーソナリティーとなり、若者に色々な人生論まで語るほどになっていました。私も勿論聞いていましたとも(最近では「もしドラ」作者の某氏が同じ事をやって音速でコケた様だ?)人気が過熱してラジオ特番のドラマ版「宇宙戦艦ヤマト」の番組まで作られました。平成の最近で言えば「けいおん」や「魔法少女まどか☆マギカ」なんかがちょっと騒がれていますけれど、そんなレベルでは無かったかと思われる。映画版「宇宙戦艦ヤマト」は渋谷の映画館東急3で上映された時などには、徹夜組が東急文化会館のまわりを一周するほど集まって新聞やテレビでニュースになったほど。ネットなど無い時代に、口コミだけで集まった「同志」のコミュニティはしっかり根付いて、その後長い間 多くのサークルや同人誌などを維持し続けましたね。そのエネルギーは凄まじかったと思います(けいおんも30年位人気と記憶が色あせなければ認めてあげる・・・)

内容について少し語ると・・・「宇宙戦艦ヤマト」のシナリオには多くの真面目なエピソードが盛り込まれていましたね。日本帝国海軍の戦艦ヤマトをモチーフにした理由にはロマンを感じました・・・沖田十三艦長の台詞には、かつての日本海軍の将校が語ったいくつかの実話をもじったメッセージが刷り込まれていました。「宇宙戦艦ヤマト」自体は戦意高揚を是とする右寄りの姿勢が開き直った様にあって、人類(日本人)の存続繁栄の為には敵を殲滅すべしというテーマが有りや無しや(道徳的に良い悪いはこの際問いません)隠されたエピソードをほじくるとかなり玄人好みの隠し味があって唸ります。

また当時、時間と空間をねじ曲げて宇宙空間を航行するという設定は「宇宙大作戦 1966(いわゆるスタートレックのこと)」で世間に広まったワープという概念を取り入れたものかと思われる。その定義をすっかり一般に認知させたのでは無いか?その基礎知識すら疎かった当時の少年少女にそれ相応のショックを与えてくれました。

話が飛びますが・・・先日「宇宙戦艦ヤマト 2199 Vol.1」のBlu-Ray Discを買って2度ほど視聴しました。この作品はファーストヤマトのリメイクですが、この20年ほどの間に何度も企画が出ては立ち消えになって、先送りになっていたもの。それが2012(平成24年)の今になってやっと実現したのです。正直言って待ちくたびれて私の意識は遠くを見ていました。ヤマトに限らずガンダムもマクロスもウルトラマンも仮面ライダーも・・・みんな「柳のしたのどじょう」を何度も繰り返して変質し別の何かになってしまっている!?どうせ「またか」というレベルのものなのでは無いかと・・・

技術的には30年以上たった今の方に軍配が上がるのは当然かも知れない。そこそこの予算がついて作っているのであれば、ビジュアルとスペシャルエフェクトは目を見張るほどハイクォリティであります。でも、リメイクがファーストを越えられないジンクスがあるのも確かでは無いだろうか。それはドラマに感動する意識の部分にあります。どんなに丁寧に高画質で作り直したとしても、基本と成るストーリーは既に完結してエンディングが見えてしまっているのです。原作を知っているファンとしては、分かりきった結末にどういう風に落とし込まれるのかを追体験に近い感覚で確認するに過ぎないのであります・・・

「宇宙戦艦ヤマト2199」のメカ関連はほとんど3DCGで精密に再現され、各キャラクターのデザインはリファインされて垢抜けたものに。ストーリーの演出にも少しひねりが加えられてなかなか良い感じでした。音楽はほとんど昔のものを流用している。そこはサービスとして素直に評価したいところ。その辺りなどに不満などありませんよ。それなのに私の心があんまり熱くならないのは、決して私が歳をとって感性が錆び付いたからでは無いと思います。最近、既に何度か評論している「魔法少女まどか☆マギカ」を見た時にはしっかりとオタクマインドに灯がともりましたから。やはり「新しいものを見せてくれる」事に心が期待をしているのでしょうね。技術で衣だけを新しくしてもそれは印象を良くするだけの話です。もちろん、過去のシリーズを知らず今回初めてリメイク版を見て感動するファンはいる事でしょうから、作品価値を過小評価で断定している訳ではありません。歴史とアーカイブをずっと見て来たうるさいオタクは舌が肥えたグルメ妖怪であります。その好奇心を満足させてくれる素晴らしい作品を生み出すことは簡単ではあり得ないという事に他なりませんね・・・

写真は38年の時を超えて並んだ新旧ヤマトのビジュアル

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2012年7月29日  幕張ワンダーフェスティバル2012



模型・ガレージキット・コスプレなどの祭典「ワンダーフェスティバル2012」が幕張メッセで行われました。驚くのはその規模。幕張メッセ内の1~8号館まで全てが参加者ブースで埋め尽くされるというレベル!元気が無くなって来た東京モーターショーを越えているのでは無かろうか・・・

東京工学院専門学校 ゲームクリエーター科おもちゃクリエーターコースの有志がフィギュア作品を出しているので見に行って来ました。



時間の関係で私は8号館のみ見て回りましたが、やはりプロレベルのスキルと見せ方と言うのは凄いですね。その素晴らしさに色々刺激を受けて来ました。

ここに載せた写真は、各ブース関係者に許可をもらって撮りました。個人のブログにも載せて良いと言うものだけセレクトしてあります。アダルト関係のちょっとHなフィギュアは企業秘密などがある様で紹介出来ません。でもこう言っては何ですが、高額でもほいほい売れる商品と品揃えは、そちらの領域にいっぱい存在しているのですよね。勢いのあるジャンルには資金も人材も集まりますからスキルレベルも半端ではありません。クールに判断してそこを観察検証する価値が充分あると思われます。



作品クォリティが高くても一般の流通ルートで扱えないものは、数量限定生産品であるものでありいわゆるプレミア扱いです。そういう個体をゲットしようと大勢のバイヤーらしき人物がうろうろしているのもワンフェスの風景ならではでした・・・



これはフィギュア模型を保管する専用ケース。私も以前こういう企画を考えた事がありますが、実際に作っている業者さんは探すと出て来ているのですね・・・

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2012年10月2日   特撮博物館の展示



この夏に世間の注目を集めていた「特撮博物館」の展示を東京都現代美術館に見に行って来ました。昭和から平成にかけての日本特撮映画におけるメカや小道具・設定資料集を作品ごとに集めて展示したものとしては過去最大かと思います。「新世紀エヴァンゲリオン」監督の庵野秀明氏が特撮展示の語りべキャラとして随所に登場します。各模型作品に氏の紹介コメント札を付けたとてもオタクに親和性の高い配慮がなされていました。それにプラス 音声ガイドのサービスは一般の美術作品と同様に端末の貸し出しもあり。レンタル料500円也。その解説もファン心理のツボをよく心得たナレーションになっていてとても良かったです。

私が小学生の頃に見た懐かしい怪獣映画の貴重なる模型は、よくぞ綺麗な状態で保存がされていたと驚嘆しました。例えば「海底軍艦」の轟天号やムーンライトSY-3号の模型(一部はオリジナルの復元品)は、こういう質感で作られて居たのか!?と初めて分かる素晴らしいもので、私はしばらくそこに張り付いて眺めていました。40年以上経過している模型はもちろん経年変化による劣化がありましたけれど、どの程度の精度で造られていたのかはやはり現物を直に見るに限りますね。写真で見たのでは分からないリアルな努力の結晶がはっきり感じられました。

以下にあげる展示は私の好奇心をわしづかみにしてくれました。
「日本沈没」の深海潜水艇「わたづみ」
「妖精ゴラス」のゴラスと設定資料集
「スターウルフ」のバッカス3世号
「ゴジラ」のオキシジェンデストロイヤーのカプセル
「ゴジラ対メカゴジラ」のメカゴジラの着ぐるみ
「ゴジラ対メガロ」に出て来たジェットジャガーのマスク
「マイティ・ジャック」のマイティ号(全長3m位あった!)
「トリプルファイター」のレッド・オレンジ・グリーンのマスク
「ウルトラマン」の初期設定稿
「ウルトラマンタロウ」のZATのスカイホエール
「平成版ガメラ」のガメラのフィギュア
「ローレライ」に出て来た旧日本海軍の伊507号潜水艦(全長5m以上!)
その他もう色々・・・

設定資料集に関しては昭和時代であれば、プラモデルの箱絵として誰もが見た事があるはずの挿絵画家 小松崎茂氏の原画を見ることが出来たのは大変な感動でした。また多くの特撮映画の中に出て来る「毎朝新聞」の実物?にも感心。記事の内容も全部ちゃんと書いて有り 手の込んだ造りには脱帽(映画の中では細かい字なんて見えていないのに・・・)館内は通常の美術品展示と同じ様に撮影禁止でしたので記録は一切撮れず残念でした。

今回の展示のもう一つの目玉としてあったのが、この特撮博物館の為に作った短編映画「巨神兵東京に現る」の上映とその時に使ったセットの復元模型。巨神兵は元々は宮崎駿監督の作品「風の谷のナウシカ」に出て来た人型兵器(庵野監督はある意味宮崎監督の弟子ですから直接の繋がりがあります)その巨神兵が東京に現れたらという設定で作られた映像は日本の特撮技術を駆使した見応えのある迫力でした。セットの方はこのコーナーのみ撮影OKの展示で、大勢が列に並んでセットの中に入り撮影していました。私も長い列に並んで壊れた東京タワーを鑑賞して来ました・・・

こういう展示を見に行く意義をちょっと考えたのですが・・・単に懐かしいとかだけでは無いのです。しっかりした技術に裏付けされた企画物~造形美というものには、本当に良い刺激を受けて己の中のイマジネーションが豊かになった気分になります。まぁそれだけでも見に行く価値が充分にある。更に何かしらのもの作りに関係している立場の者ならば、その刺激を自分の創作活動に生かして前に進むパワーにしたい所です。

展示のパンフレットの最後にも庵野監督のメッセージがこう刻まれていました。
<来場された方で、一人でも二人でもいいですから「オレもやってみてぇ!」と思って欲しいですね。フィギュアとか模型を集めたりするよりも、作ったり動かしたり撮ったりした方が、もっともっと楽しいよ!」

まったくごもっともなお言葉であります >^_^<












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2012年10月3日   特撮魂の血が騒ぐ「海底軍艦」



昭和世代はある意味サブカルチャーの資産が豊富です。特に昭和30年代~40年代は邦画の特撮映画の黄金期でした。CG合成が全盛の平成とは違って、ほとんどが着ぐるみ怪獣と模型とのオプチカル合成のアナログ作品。それはそれで味のある臨場感があったのですよ。よく見れば天井からのワイヤーが見えていたり、模型のビルの張りぼてがバレていたり・・・でも、それでも許せてしまえる面白さと迫力があったのです。

私の好きな作品の「海底軍艦(1963 東宝 )」には、これぞSF特撮映画ならではの超弩級戦艦「轟天号」が登場します。海底軍艦はその人気ゆえか何度かリバイバル上映されました。1968年の時の「怪獣総進撃」と同時上映された時に私は父親に連れて行ってもらって見たのです。その時のパンフレットは私の宝物となり今でもちゃんと現存しています。

昨日見に行った「特撮博物館」では、海底軍艦の復元模型が展示されていました。オリジナルの設計図面もあったし、そこからインスパイアされて分化したと思われる「惑星大戦争(1977 東宝 )」の宇宙防衛艦の轟天もあり ファンとしてはそのグラマラスで迫力のあるフォルムを堪能できて大変感激。40年以上たって当時の制作秘話などに触れて作品の魅力を再考するのはとても感慨深いです。パンフレットをもう一度読み直すと、大変シンプルかつダイナミックなストーリーの魅力に改めて感心しますね。






特撮博物館のショップコーナーで「海底軍艦」のキーホルダーが売っていました。こんなもの見せられたら買うしかありません(苦笑)

ネット上にあった「海底軍艦」の公開データ
海底軍艦


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2012年10月8日   ブリキのおもちゃ



体育の日の今日 家族で近所の公共施設に行って来ました。駐車場スペースで青空市をやっていました。ふと見ると何やら懐かしいイメージのおもちゃが目に入って来た。

ブリキのロボット

戦後の日本のある時期に、アメリカ軍の缶詰の廃材を使ったブリキ素材のおもちゃが市場に溢れた時期があったそうな。そのおもちゃは粗悪品も多く出回ったとの事ですがその後ブリキのおもちゃはアンティークな置物としての価値が出て再評価される時代になりました。

私が小学生の時にも少し有ったように思いますが私自身はブリキのおもちゃはほとんど所有していませんでした。今日見かけたブリキのロボットは中国製。手に取ってみるとその造りはシンプルである意味大ざっぱ。でも、ブリキの面白さみたいなものはしっかり感じて良いのです。

大きな方をひとつ買って来ました。ネジを巻いて動かしてみた所 ネジの具合が悪くちょっとしか巻けない。実用品としては疑問があります。まぁ最初から置物としての見立てで買いましたからいいのですが・・・ブリキの存在感というものは独特で趣深いなと改めて評価したいと思います。





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