2010年9月18日  成田山新勝寺と宿場町


今日は所用があって千葉の成田へ行ってきました。

そこには言わずと知れた成田不動があります。正式には成田山新勝寺。真言宗智山派の大本山とのこと。大変大きなお寺で、立派なお堂や関連施設がたくさんある。ここでは年中行事が目白押し。茶道の献茶式が定期的に行われています。今年は師匠一門の席がありますので、私も着物袴の正装でお点前をする予定。その辺りは当日である明日、無事に済みましたらレポートするかも(今日は準備で行ったのでした)

成田街道から成田不動に向かう道路は、アスファルトで綺麗に舗装されています。かつての参道のたたずまいを彼処に残してはいますが、完全に観光地と化していますね。外国人の観光客も多く、活気がありました。鉄道の駅からゆるりと歩いて、つかの間の宿場町の情緒を感じて来ました。

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2010年9月19日  成田山表千家献茶式と大茶会


今日は成田山新勝寺にて、表千家のお家元による献茶式がありました。説明するのはなかなか難しいのでそこは省略・・・そちらは私の様なヒラの弟子にはまぶしい行事なのであります。師匠一門の内弟子は、同時に大広間で開かれる茶会の方でお点前をし、一般のお客さんにお茶とお菓子をふるまいます。

大広間は一回の茶席に約60名が入ります。これほど大きな大座敷は、新勝寺のような大きなお寺でないとお目にもかかれないでしょう。一日に何度も茶席が設けられ、約500人ほどのお客さんをお迎えします。

っで、今年のうちの師匠の一門の席に、献茶式を終えたお家元の方々が入られたのですが、なんとその席のお点前を私が行うことになっておりました。大変名誉なことであります。でもプレッシャーも大変大きい。最近はそのことが毎日頭から離れなかったほど。お点前自体は、日頃の稽古でやっていることをしっかり行えれば問題なし。ただ、優雅に手際よく、そして美味しいお茶を点てなければなりません。お茶はただかき混ぜれば良いものではないのです・・・

他にも緊張するのが・・・その時に使う茶のお道具が大変貴重なものであること。この時の為とも言えるとても稀少なものを使います。日頃の稽古で使っているものとはまた違うものです。そういうものを預かってお点前をするのですから。お点前でそそうをしたら、師匠の顔に泥を塗ってしまいかねません。ああ・・・

結果を言いますと、それほど緊張はしませんでした。するべき事にしっかり集中できて、大勢の視線も気にはならなかった。でも・・・それでも所作の一部をしっかり間違えてしまいました。また、畳を歩く歩幅を間違えてぎこちない足運びをしてしまった。ちょっと言い訳をしますと、日頃は師匠の茶室では、一間しっかり180cmある京間畳を使って稽古をしています。でも大広間の畳は若干サイズが小さくて、体が覚えている歩幅が狂ったのです。頭で考えてやってもダメなのですね・・・

これからも一生懸命精進しなければなりません。

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2010年12月09日  師走に拝む掛け軸


まだクリスマス前ですが、茶道の稽古ではすでに一年を締めくくる心持ちにて 点前を行います。私もこの所忙しさにかまけて稽古を休みがち。久しぶりの茶の香りに反省の意も込めて気持ちを静めてきました。

師匠の茶室に掛かっている掛け軸は、この時期に相応しくも思える「無事」の一言。「無事」とは、禅語の中にも出てくる言葉で「悟りぬいた境地から何のはからいも無く物事を行う平常心」を現します。つまりそれは、迷いの無い素直な澄んだ心であるべしと言うこと。そのような穏やかな気持ちで年越しをしたいものですね。

手前の茶花は、蝋梅(ろうばい)と神楽椿。花入れは「小峠丹山」

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2011年01月09日  今年の初釜


今年も初釜にて年始めの馳走を頂いて参りました。

茶の席は密室性が高く、歴史の流れにおいても、そこで「まつりごと」の談義や密議がなされたりして来た日本独自の空間であります。戦国時代より多くの大名や武士が茶の湯を通して行ったコミュニケーションには、様々な逸話が存在することと思います。それが利休の存在によって庶民の文化へと次第に移り変わり、現在に至る・・・平和な今の時代においては、形式的な問答を行うことから、古人の意識に触れて深い観照に想いを寄せたり色々と・・・

でも、懐石料理にお酒が入ってしばらくすると、自由に楽しく閑談するフリータイムとなっていきます。関東においては茶人のほとんどが女性であり、その中において私はいつも黒一点なのですが、今年はなんともう一人男性の同席がありました。それだけで何か雰囲気が随分変わるものですね。あんまりお堅い話などはしませんでしたが、良い初釜であったと思います。

また茶席の最後に行われる「正月恒例のくじ」私は一度も当たった事がありません。ところが、今日は何かくじを手に取った瞬間に「もしかしたら?」という予感を感じました。・・・で、結果はその通りビンゴ(写真 右)縁起物の干支の色紙を師匠より頂戴しました。年の初めから運気の良さに箔が付いたみたいで喜ばしい。また今年一年、心機一転頑張っていこうと思います。

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2012年12月22日  茶室の大掃除


私は表千家の茶道を習っておりますが、そうなった経緯はとても不可思議なものであったりします。元々私は茶道などというものは、お菓子を食べて茶をすすっているだけの何だか形式張った堅苦しいだけのものと敬遠していました。社会人になるまで見向きもしませんでした。それが、仕事で京都の寺院を取材で回っているうちに感じるものがあって、自分でやってみたくなったのでした。年齢にして20代の後半でしたから早いとは言えないスタートでした。

実は私の母は以前よりずっと茶道をしておりましたが、それまで私には全く感心がなかったので、実家で茶道についての会話をすることは皆無だった。自分で始めてからやっと少し話を聞くようになりました。そうしたら、私の曾祖父(ひいじじさま)が家元に出入りしていた茶人だったと初めて耳にしました。100年以上前の人ですから私は会った事は無いし写真ですら見たことも無い人。そんなご先祖様といきなり繋がりを感じたりして何とも不思議な感覚を得ました。まるで何かの因縁があって声をかけられた様な。人から見ればどうでも良いはなしなのでそんな話はこのくらいにして・・・

今日は年末になった事もあり 実家にある茶室の大掃除を手伝いに行って来ました。最近では自分の住まいでは日本間をフローリングに変えてしまったりしたので、畳の生活などというものが無くなってしまっています。畳の拭き掃除や襖の埃取りなどはもう滅多にやらない珍しいことですね。何時の間にか畳が非日常の空間になっていたのは何とも言えないことなのかも・・・どうも茶道に関しては適切な言葉が出て来ないのでブログを始めてからちゃんと論じた事がほとんどありません。でもそろそろ少しずつでも語って行きたい気分になりつつあります。

これは私の曾祖父が使っていたらしい踏み台。今日の掃除の時に使いました。軽く100年はたっているとの事ですが、木そのものが傷んでいる訳でもなく堂々とした鈍た色合いを放って風格すら感じさせる骨董品であります。実際の茶道で使う道具のはなしを差し置いて踏み台を紹介するのもヘンですが、時間の流れを感じさせてくれる遺品はすごく存在感を感じるのだ。やっと話に出しましたがやはりどう説明したら良いのか分からずふわふわした気分で書いております。昔の人はブログなんか無かったからその意識に触れることは本当に難しく一方で趣きを感じる事であります。どうも言葉がまとまりませんね・・・

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2013年1月6日  今年最初の茶会


実家の茶室で今年最初の茶会がありました。本来なら初釜という懐石料理を頂戴するものが年始めのイベントとしてあるのですが、そういう大掛かりなものでは無くシンプルな茶会でありました。私はお薄を担当しました。お茶には濃茶とお薄があって、ドロッとした濃い一杯の茶碗を参加者みんなで回して飲むのは濃茶、薄目の茶を一人一杯ずつ割り当てて点てるのが薄茶です。

今日の様な良き日には実家ではご先祖様が残してくれた記念すべき茶器を使うことにしています。茶人であった曾祖父(私にとってのひいじじ様)が使っていたというお茶碗。それは明治時代の頃のものです。旦入と弘入と言えばお茶をやっている人なら分かると思います。私も滅多に触ることが出来ないのでちょっと緊張しましたね。

最近茶道界ではちょっと問題も起きています。炉で使う炭はクヌギの木を使ったものが多いのですが、それは福島から東北にかけてのものが関東では普通です。ところがその一帯はご存じの様に一昨年前の大震災で被災し、更に原発事故による放射性物質の汚染で出荷制限がかかってしまっている。炭は燃焼して灰になりますがそれは即放射性廃棄物扱いになってしまいます。最もサイズの大きい胴炭が今回手に入らなかった。仕方無く裏千家で使う長さの短いものを使いました。表千家と裏千家では色々決め事や所作が違うので本来ならいけない流用なのですが仕方有りませんでした・・・



普段私が稽古に行っている師匠の茶室では、当たり前の事ですが稽古中にデジカメで写真など撮れません。でも今日は実家なので私が点前をしている様子を写真に撮ってもらいました。自分の所作を確認できるのはなかなか無い機会で有難い記録になりました。習い事の世界は古いしきたりに縛られており、稽古はメモなどを取ってはいけない口伝による相伝が当たり前なのであります・・・



茶道は四季折々に合わせた取り合わせで茶器を組み合わせて使います。更に干支に合わせた茶菓子を添えるなどの工夫があって、それが風流なる場の出し物となります。巳の年である平成25年が始まった実感を得ながら茶会は無事に執り行われました。

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